番外編 〈 Happy Birthday! 〉
それは、夜の出来事だった。
ノギが風呂へ行き、ハトリとユラが甘くあたたかいミルク茶を飲んでいた時のことだ。陶器のカップを両手で包み込み、ふぅふぅと冷ましていたユラが、わざとらしいくらい唐突に声を上げた。
「あ!」
「え? な、何?」
ハトリは驚いてミルク茶でむせるところだった。それを辛うじて回避することができた。
そんな彼女に、ユラは可愛らしく肩をすくめる。
「明日って、ノギの誕生日なの。でも、まだなんにも用意できてないのよね」
「ノギの?」
ノギにだって誕生日くらいあっても不思議はない。ハトリ自身は孤児であるため、誕生日は施設に入った日。施設を出てからは意識をすることもなくなったので、そういったものとは無縁の生活を送ってきた。
だから、誕生日だと言われてもピンと来ない。けれど、ぼんやりとしていたハトリにユラは言う。
「ねえ、今年のプレゼントの用意、手伝ってほしいの」
「あ、うん、いいけど」
そう返したものの、一般的に誕生日に何を送るものなのか、見当もつかない。ノギは一体、何がほしいのだろうか。
「あのね、ご馳走作ってお祝いしたいの」
ノギは毎日食事を作ってくれているけれど、たまには休ませてあげたい。それはいい考えのように思われた。
「なるほどね。でも、ノギがいるとできないよね? 内緒で作ってびっくりさせたいし」
目の前で作っていたのでは、感動も何もない。手際が悪いと逆に怒られそうだ。
ユラはうぅん、と人差し指を頬に当てて考えていたが、妙案が思い浮かんだのか満面の笑顔になった。
「ハトリちゃん、悪魔の尻尾、まだ持ってる?」
悪魔の尻尾とは、魔術の触媒である。渦巻いた植物の一種なのだが、その見た目が悪魔の尻尾のようだからその名で呼ばれるようになったのだという。ユラが余分に取れたからと、そのうちの一本をハトリにくれたのだ。
「うん、あるよ」
ハトリがうなずくと、ユラはにっこりと笑った。
「あれ、触媒として使うんじゃなくて、経口摂取すると睡眠薬になるって知ってた?」
「え゛」
「ちょっとだけでいいの。細かくすり潰して、明日のノギの朝食に混ぜてね」
一服盛れ、と。ユラは麗しい笑顔で言うのだった。
そうして翌朝。
何も知らないノギはいつも通りにうるさかった。
「貝の殻はもっと丁寧に洗え。ゴミがまだついてるだろ」
「はいはい……」
ハトリはため息をつきつつタワシで丁寧に貝を擦るのだった。誕生日だというのなら、今日くらいはこの口うるささを許そう。
そうしているうちに、ノギはトントンと包丁をリズミカルに動かして野菜を刻んでいく。その横顔をなんとなく眺めた。いつも真剣な面持ちで作っている。手抜きが嫌いなのだ。
急に振り返ったノギがスッと目を細め、
「サボるな」
と、ひと言。――今日は怒らないと決めた。だから、ここは我慢だ、とハトリはタワシを力強く押しつけるようにして棚に片づけた。
ノギが用意したつけ合せの野菜と、メインの鶏肉とチーズの挟み焼き。幾重にも重ねられた肉とチーズの断面が綺麗だった。時折香草も入り、緑のアクセントがまたいい。
ハトリがその盛り合わせをしている間に、ノギは貝のスープに味つけをしていた。
「じゃあこれもよそっとけよ」
「う、うん」
ハトリにスープを託すと、ノギは釜からパンを取り出し始めた。ハトリはスープをよそいながら、最後の一杯をよそう前に、昨日あの後に顆粒状にしておいた悪魔の尻尾をさらりと投入した。スープには牛乳なども入っているし、こうしてしまえば調味料の黒椒と見分けがつかなかった。
本当にこんなの飲んで大丈夫なのかな、と思いつつも、ハトリはそれをノギの席に運ぶのだった。
「おはよう、二人とも」
今日も爽やかにユラは現れた。ノギも笑顔で迎え入れる。
「おはよう、ユラ。今呼びに行こうかと思ってたんだ」
ハトリに目を向けるユラは、いつもと何も変わりない。
「お、おは、おはよう」
だから、ハトリが一人でおかしいだけにしか見えなかった。ノギは少し訝りながらも、朝食が冷めるので追求しなかった。
そうして、美味しい朝食を堪能しつつも、ハトリは気が気ではなかった。敏感なノギだから、気づかれるかもしれない。ばれたら後が怖い。
入れてしまってから、なんでこんなことをしてしまったのだろうと後悔したほどだ。
けれど、ノギはあっさりとスープを飲み干してしまった。ハトリが拍子抜けするくらいだった。
もしかして、効かなかったのかもしれない。ノギは普通だった。いつも通りに食事を取っている。ユラも普段通り過ぎて、何を考えているのかよく読み取れなかった。
ただ、食事をすべて終え、後片づけのために立ち上がったノギが、急にその場に崩れ落ちた。きっと効かなかったんだと思っていたハトリは、食事を終えた頃には一服盛ったことを忘れていた。
「ノ、ノギ!」
床に転がったノギの顔を覗き込むと、それはそれは平和な顔をして眠っていた。いつもの狂暴さが嘘のようだ。寝顔があどけない。
「さすがハトリちゃん。うん、よく効いてるね」
ユラも隣にしゃがみ込む。
「ほんとに大丈夫なんだよね?」
恐る恐る訊ねると、ユラはにっこりと微笑んだ。
「うん。夜には起きるんじゃない?」
そうならいいのだが。
「でも、このまま床の上じゃ風邪ひくよね?」
「そうね。せめてあっちのソファーの上に運んだ方がいいかな?」
ノギは細身だ。二人がかりなら運べるだろう。
「じゃあ、ハトリちゃん頭の方お願い」
「了解!」
ぐったりとした体を二人で運ぶ。何か、変な気分だった。ソファーに寝かせて薄手の上着をかけておく。その寝顔が可愛いと言ったら多分怒るだろうけれど、寝ている時は悪態をつかない。
「さてと」
ユラはふぅとひと息ついた。それから、ハトリに向かって首をかしげる。
「ハトリちゃんはどんな料理が作れるの?」
その質問にドキリとした。
「え、と、あたしは食べるの専門?」
実を言うと、一人暮らしだというのに、あまり料理をしてこなかった。村の人々が世話を焼いてくれたおかげで、食事はもらいもので済ませることが多かったのである。
ユラはあはは、と笑った。
「あら、私もよ?」
そう言えばそうだった。
この計画は、始まりと同時に頓挫してしまった。あまりに無計画だったと言える。
「どうしよっか?」
「ねえ?」
ユラは少しだけ考えるような素振りを見せた。
「そういえば、ハトリちゃんが使ってる部屋に、トーマが書いたレシピがあるのよ。でも、読めないのよね、これが」
「何それ……」
トーマとはノギの父親で料理の師匠である。今、ハトリが使わせてもらっている部屋が、トーマの部屋であったという。
試しに部屋へ行き、その本棚に並んでいるうちの一冊を手にとってみると、確かにまるで読めなかった。すべてが暗号化されている。図解してある部分もあるけれど、それだけでは料理経験の乏しい二人には意味不明である。
「やっぱり、ハトリちゃんも読めないよね?」
読めるはずがない。がっくりと肩を落とした。
「暗号化するなんて、よっぽど味を盗まれたくなかったのかな?」
ユラも苦笑するばかりである。
「こうしていても仕方ないし、じゃあ町に行かない?」
確かに、何か買ってきた方がマシな気がする。
そうして二人は、こっそりと翼石を使って町へ繰り出したのである。
☆ ★ ☆
「ノギの好きなものって何かな?」
と、ハトリはバーガンディの町の石畳の上を歩きながら、隣のユラにつぶやいた。正直に言って、お金とユラ以外にノギの好きなものに心当たりがない。
「そうねえ、好き嫌いはあんまりしないよ。それで、卵料理が特に好きみたい。甘いものは食べれなくはないけど、好んでは食べないかな」
言われてみるとそうだ。
プレゼントは食べ物以外でもいいはずなのに、どうしても二人とも食べ物から離れられなかった。それはノギと料理が切っても切れない関係であるように思えたからかもしれない。
「あ、そうだ。ここまで来たんだし、セオにも相談してみようかしら?」
セオならいい案を考えてくれそうな気がする。ハトリもうなずいた。
触媒仲買人セオの店。
店主のセオは、ドアベルを響かせて入店してきた二人を見た途端に目を丸くした。今日も艶やかな装いである。寒いだろうに脚は出していた。
「あら? 二人だけ? ノギがいないなんて、珍しいわね」
「うん、実は――」
ユラが説明すると、セオはにっこりと微笑んだ。とても綺麗なのに、とハトリは複雑な心境である。
「誕生日、ね。なるほど、じゃあ、アタシからはキスでもプレゼントしてあげるわ」
「…………」
激怒するさまが目に浮かぶだけに、それはやめてほしいとハトリは思う。
「セオ、お料理できる?」
「できるわよ。女性のたしなみでしょ?」
それを言われてしまうと、できない二人は何も言えない。
「じゃあ、何か卵料理教えてほしいの」
ユラが頼むと、セオは赤い指先を唇に当てて考え込んだ。
「卵ねぇ」
そうして、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、ちょっとこっちに来なさい」
セオは店番を店員に任せると、店を出た。そのまま表に回り、階段を上がっていく。二人もその後に続いた。
二階にはセオの魔力にだけ反応して開く鍵がかかっていた。セキュリティは万全である。
そこは、一階よりも高品質の触媒が宝石のようにショーケースに飾られている。ハトリはそれらにうっとりと見入ってしまいそうだった。それを、ユラが腕を引いて呼び覚ます。
「ハトリちゃん、目的を忘れちゃ駄目よ?」
「はい……」
そうだった。ハトリはしょんぼりと諦めた。
そんな二人を微笑ましく眺めながら、セオはそのさらに奥へと手招きする。
「こっちよ」
さらに進むと、そこはセオの居住空間だった。几帳面な性格をしているのだろう。生活感がまるでない見本のような部屋だ。染みもなければチリひとつ落ちていない。
家具のひとつひとつも洗練されたデザインで、シックな色の中に時折混ざるパステルカラーがおしゃれだった。
綺麗過ぎて、ハトリのような大雑把な人間はむしろ落ち着かない。
「卵料理って、単純に見えて実は結構難しいの。だから、あなたたちにもできるものっていうと――」
対面する形の厨房の中に入ると、セオは少しだけ考え込んだ。それから、言う。
「そうね、シュフレなんていいかしら」
「何それ?」
ハトリが首をかしげると、セオは苦笑する。
「卵をふわふわに泡立てて焼く卵料理よ」
「ふぅん」
ユラはうきうきと言った。
「じゃあまず、材料の買出しに行ってこなきゃ」
張りきるユラに、セオは優しく笑いながら言った。
「そんなに高価な食材じゃないんだし、ここにあるものを使えばいいわ」
「え? いいの? ありがとう!」
そうして、セオを講師とする二人の挑戦が始まった。
「――まず、卵白と卵黄を分けるの。こうして、殻を使って……」
セオはまず実践してみせてくれた。半分に割った卵の殻を使って、器に卵白だけを落とす。卵の殻の片側に、きれいな橙色の卵黄だけが残る。
ユラは大きくうなずいた。
けれど、結果は無残である。卵黄は割れ、どろりと混ざった。粉砕された殻も一緒に。
それを目撃したハトリは、今までの勘違いに気づいた。ノギが決してユラに家事を手伝わせないのは、ユラを大事にしているからだと思っていた。けれど、実際にこの様子を見ると、手伝ってほしいという気持ちにはなれない。こう言っては悪いが、手間が増える。
ハトリもそれほど器用ではないのだが、卵くらいは割れた。
「あれ? なんで?」
しかも、ユラには不器用だという自覚がない。
「えっと、殻を使うのが難しかったら、一度器に割って、手で卵黄をすくい出してもいいのよ?」
セオはそう言ってフォローしてくれるが、もうそういうレベルではない。ハトリはせめて、ユラがすべての卵に手をつけてしまわないうちに素早く割った。
「で、できたよ。次は?」
セオは卵白に泡立て機を添え、それをユラに手渡した。
「こうして、ひたすら混ぜて。アタシがいいって言うまでね。こぼしちゃ駄目よ」
「うん、わかった」
ユラは張りきり、ジャカジャカと音を立てながら必死の形相で卵白と格闘する。そんな様子は可愛かった。微笑ましく見守っていると、セオはハトリに言う。
「さて、卵だけじゃ味気ないから、中の具を作りましょう」
セオは細かく挽いた肉と瓶入りのトマトの水煮を取り出す。それと、香草であるローリアの葉、橙色をした根野菜のニジン、丸ギネ、独特の風味のある青野菜セルリ。
「はい、野菜は全部微塵切りね」
「うん」
いつも叱られつつもハトリも手伝っている。ノギのように、測ったような規則正しい切り口にはできないけれど、なんとか刻むことはできた。丸ギネは目に染みるから嫌いだ。
うるうるとした目で見上げると、セオはうなずいた。
「さ、炒めましょうか」
ユラはまだシャカシャカしていた。結構体力が要る。
鉄板に油を敷き、野菜と肉を炒める。いい匂いがした。思えば、昼食は食べそびれた。
炒めるのは楽だ。細かく切った野菜は、火が通るのも早い。
「ここでトマトの水煮とローリアを入れて、少し煮込むの」
セオが入れたトマトの甘酸っぱい香りが漂う。パキリと割って入れた乾燥ローリアも爽やかだ。
ユラは随分疲れた顔になったが頑張っている。
具に塩と黒椒を加えて火を止めた頃にはユラが疲れ果てていたので、ハトリが交代した。
「ピンと角が立ったらもういいわ」
真っ白な卵白がきめ細かな泡になっている。セオはそこへ卵黄と塩を加えた。その後で取り出してきた平たい器に具を乗せ、それを被うように泡立てた卵を載せる。
「こうして釜で焼けばでき上がり」
そのひと言に、ユラとハトリはほっとした。
慣れないことをしたせいか、ユラは妙にぐったりとしていた。
焼き時間のうちに後片づけをする。セオは少しだけ外へ出ると、自分からだと言ってノギへのプレゼントをくれた。どうやら、ぺティナイフらしい。ノギは悪態をつきつつも喜ぶだろう。
「ほら、できた」
調理台の下に備えつけてある釜から出たシュフレは、入れた時とは比べ物にならないほどに膨れ上がっていた。その熱気とボリュームに、二人は呆然とする。
「でっか……」
「ああ、これ、すぐにしぼむのよ」
平然と言ったセオの一言に、ユラは慌てた。
「そうなの!? じゃあ、すぐに帰らなきゃ!」
「すごく熱いから、ちゃんとしないとね」
セオはキッチンミトンをはめた手で皿を取り出し、それを大きなバスケットの中に入れてくれた。
「はい。気をつけて帰るのよ」
「ありがとう、セオ」
二人は尊敬の眼差しでセオを見上げる。
今日ほどセオが頼りになったことはない。すごい人だと輝いて見えた。
「またお皿返しに来るね!」
ハトリはユラと共にバスケットを慎重に持ちながら去った。セオはひらひらと手を振っている。
翼石を使えば、あっという間に戻ることができるから、シュフレもしぼまないはず。
☆ ★ ☆
「う……」
ノギは小さく声を立てて顔をしかめた。何故だか妙に頭が痛い。
立ち上がろうとすると足に上手く力が入らなくて、ソファーからフローリングの床に転がってしまった。なんとかソファーに寄りかかる。
あまり体調を崩す方ではない。食生活には気を使っているので健康だと思っていた。
こうして気を失うほど疲れていたのだろうか。
暗くなった部屋を見回しても、ユラとハトリの姿はなかった。ノギは痛む頭で最後の記憶をたどる。
いつもと変わりなく、ごく普通に朝食を取った。それから後のことが思い出せない。
しばらく動かずにそうしていると、不意に外で物音がした。ユラとハトリ、二人の声がする。
「急いで急いで!」
「あ、待って、ユラ」
なにやら楽しげだ。暗がりで呆然としていると、開いた扉から二人が大きなバスケットを抱えて入ってきた。ノギがソファーに寄りかかっている姿を見ると、二人はギクリと身を硬くした。
「わ! ノギ、起きたの?」
ハトリがうろたえている。嘘が得意なタイプではない。何かやましいことがあるのだろう。
二人が戻って急に家の中が華やぐけれど、頭痛がするノギにはその甲高い声がつらかった。少し苛々するのを我慢する。
「まあいいじゃない」
ユラは優しい笑顔で言うと、ハトリと共にバスケットをテーブルに運んだ。そういえば、何かの料理の匂いがする。正直、食欲もないけれど。
二人が慎重にバスケットから取り出して用意したのは、ふんわりと膨らんだシュフレだった。少ししぼんできているものの、まだまだ結構なボリュームだ。
ノギは、自分が寝込んだから二人が食事を調達してきたのだと疑いなく思った。けれど、そうではなかった。
「ノギ、誕生日おめでとう」
ユラがシュフレを前にして微笑んでいる。ようやくノギは、今日がなんの日だったか思い出した。
惚けているノギに、ハトリもそっと言った。
「おめでと。ノギは卵が好きだって聞いたから、ユラと二人で作ったの」
「……ユ、ユラと?」
思わず身震いしてしまった。ユラの料理はノギとその父を数日間腹痛にしたという黒歴史を持つ。その後、否応なしに封印された。
脂汗を滲ませたノギに、ハトリが慌てて言った。
「あのね、セオが教えてくれたの。味つけもしてくれたし、大丈夫!」
「そうそう。後、セオからのプレゼントも預かってきたの」
と、ユラはテーブルの横に小さな包みを置いた。ノギは立ち上がるのもつらかったが、無理をしてテーブルについた。食欲なんてない。けれど――。
二人が自分を囲んで微笑んでいる。あたたかな誕生日。
嬉しくないとは言いがたい。自然と、表情は和らいだ。
「ありがとな」
今日は特別な日。一日限定なら、素直になってもいいだろう。
二人も、嬉しそうに笑った。
そうして、取り分けられたシュフレは、なかなかのボリュームだった。こんなのはほとんど空気だと思わなくはない。健康な状態なら、もっと美味しく食べられただろう。味はトマトとローリアの風味が利いていて、まずまずだ。
ただ、頭痛が続いているノギは無理をしなければ食べられなかった。どういうわけか、今日は体調が悪いと告げてしまうよりも、無理をする方を自然と選んでしまった。
完食はした。したけれど、何やら意識が朦朧とする。
「ノギ?」
不審に思ったのか、ハトリが顔を覗き込んできた。その顔がはっきりとしないくらい、焦点が合わない。そんな時、ユラが嘆息する。
「あらあら、ちょっと量が多かったのかしらね?」
「え? シュフレの?」
「ううん。ほら、アレ」
アレ。
問い質す元気もない。ハトリの悲鳴が聞こえた。
「ご、ご、ごめんね? 大丈夫?」
よくわからないけれど、ハトリが何かしたのだろうか。ぐったりとしていると、ハトリが肩を貸そうと体を寄せてきた。
「ユラ、ノギの意識があるうちに部屋まで運ぼう」
「うん」
ユラは口をナプキンで丁寧に拭うと、ようやく立ち上がる。そして、二人はノギを運ぼうとした。
ただ、立ち上がるその瞬間にユラがおかしな方向へ動いた。
「ひゃっ!」
ハトリの方へ傾いたノギの体を、ユラはあっさりと手放す。
「あらら、ごめんね?」
えへ、と可愛らしく謝る。ノギはぼんやりとした頭でこの状況を把握した。
倒れ込んだ先は、柔らかく甘い香りがする。その鼓動とあたたかさが心地よく、ここで意識を手放すのもいいかと思った。
慌てふためいてもがくハトリの声と、コロコロと笑うユラの声がした。
そんな誕生日。
【 Happy Birthday! ―了― 】




