⑧唐草の沼〈1〉
魔術の発達した不可侵の国、ライシン帝国。
巡る季節は初秋。鬱金の月。
ほんのりと紅葉を始めた木々が随所に見られる。日中はあたたかくとも、夜には冷え込むことが多くなった。秋は夏をすっかり上書きして訪れたのだ。
秋といえば、皆が口をそろえて食欲の秋と言う。
家畜は肥え、魚にも脂が乗り、芋や木の実も収穫の時期だ。旬の食材は安くて美味しい。
そんな今、七宝の森と呼ばれる広大な森のそばに居を構える少年、ノギは朝食の支度に忙しかった。魔術師たちが使う魔術のもと、触媒と呼ばれるアイテムを採取する仕事に就く彼は、二人の少女とこの家で暮らしている。
一人はユラ。長い歳月をノギと共に過ごしている。ノギは彼女の存在なくして触媒屋という仕事を続けることはできない。仕事上のパートナーでもある。
そして、もう一人は、今まさにノギの朝食作りを手伝っている少女、ハトリである。均整の取れた体型に長い珊瑚色の髪を持つ、溌剌とした少女だ。
一見、仲睦まじく作業しているように見える。けれど、そんな空気はすぐに壊れるのだった。
ノギはサラリと髪を振り、わざとらしく嘆息した。
「お前、いつまで経っても覚えないよな」
「え?」
「葉物は右上だって言ってるだろ」
「食べたら一緒じゃない」
ボソ、とハトリの本音が漏れる。すると、ノギは淡い虹彩の目ををスッと細めた。
「ガサツ」
「はぁ?」
「大雑把」
「な、な」
「不器用」
「ひど!」
口の悪いノギに、ハトリは震えた。
「ノギの馬鹿ぁ!!」
朝っぱらからうるさいが、いつものことである。
ユラはその怒声でふらりとキッチンにやってきた。まだ朝食もできていないのに、呼びに行くよりも先に来てしまった。
「あらあら、また喧嘩? 仲いいね」
あは、とユラはショートカットの髪にレースの髪飾りをつけながら微笑んだ。キラキラと輝く宝石のような目に惑わされがちだが、少々意地の悪い時もある。基本は優しいけれど、人をからかうのも好きなのだ。
「よくない!!」
二人してぎゃあぎゃあと騒いでいるが、ユラの関心は今日の朝食だった。鼻歌交じりに、二人を放って鍋をぱかりと開けている。
「あ、ユラ、もうちょっとだから! 座って待ってて」
態度と口の悪いノギだが、ユラにだけは優しい。
ノギは慌てて粉をつけ、バターでこんがりと焼いた白身魚のムニェールを皿に盛る。このバターは自家製で、細かく刻まれた香草がふんだんに使われているため、香り高かった。焦げ目をつけないように焼いた、白くふかふかしたパン。豚の燻製のスライス。卵とカドアボのディップ。甘芋のミルクスープ。
全部並べ終わると、ノギはようやくひと息ついた。
席につくと両手を合わせる。
「よし! じゃあ、いただきます」
行儀が悪いようでいて、ノギは食事マナーに関してはうるさい。
ユラとハトリも手を合わせる。
「いただきます」
白パンは柔らかく、頬張ると甘さが際立っている。ディップをつけて食べるとまた格別だ。
「美味しい!」
先ほどまでの喧嘩も忘れ、ハトリは幸せそうに食べる。ノギも、そんな時だけはハトリを見守る目が穏やかになる。美味しい食事は人の心を豊かにする。ノギの料理の師である父親の言葉に嘘はなかった。
ユラは見た目に反して大食漢であり、優雅な所作で黙々と食べ続けるのであった。
そうして、食事の後片づけがあらかた済むと、ノギはハトリがポストから回収してきた手紙を手に取るのだった。
差出人はセオ。
セオは触媒仲買人。つまり、これは仕事の依頼である。
ピリ、と封を開けると、二つ折りの便箋を広げる。それに目を通したノギはぽつりと言った。
「『唐草の沼』にある『悪魔の尻尾』だと」
「あ、悪魔ぁ?」
ハトリが素っ頓狂な声を上げた。それをユラがクスリと笑う。
「やだ、ほんとに悪魔じゃないわ。植物よ。見た目からそう呼ばれるようになっただけ」
そう聞いて、ハトリはほっとしたようだった。彼女は魔術学院の生徒であり、成績は優秀なのだが、それでもまだまだ知らない触媒はあるようだ。
「へぇ。沼地に生えるのね」
「ん。原初の植物って言われてるな。前にも取りに行ったことはあるけど」
植物の採取は怪物の体の部位などに比べると楽だ。そこに行きつくまでが大変な場合もあるのだが、唐草の沼なら初めてでもないから大丈夫だろう。
ノギはこの依頼内容にほっとした。無理難題ではない。
「そう難しくもない依頼だな」
「そうねぇ」
ユラもうなずく。
けれど、ただ――とユラはつけ足す。
「沼地だから、お洋服が汚れちゃうかもね」
「ああ、なるほどね……」
と、ハトリは苦笑していた。




