①雲立涌の丘〈4〉
ルルルル、と鳥の声で啼く虎のような獣は、薄青いその背をくねらせながらノギの前をうろつく。緩やかに距離を詰めている。
あの獣からすれば、ノギたちの方が侵入者なのだ。外敵を排除しようとする気持ちがわからなくはない。
けれど、残念ながらこちらも退けない。ノギはうっすらと霜の残る草を踏みにじるようにして、足を肩幅以上に開く。そして、ひとつ深呼吸し、腰を低く落とした。
少年特有のほっそりとした体だ。獣に喰いつかれれば、腕の一本くらいは持っていかれてしまう。
それでも、ノギは武器など持っていない。あるのは、この体だけだ。
鳥の声がこだまする。
こだまではない。その勘違いに、ノギはすぐに気づかされた。
こだまではなく、一頭の獣に呼応してやってきた同種の獣の声である。ズルズルと茂みの間から這い出して来る。全部で――四頭。
ノギは嘆息した。
そうして、右腕にそっと左腕を添える。その腕にポゥッと白光が灯る。それは、淡く優しい輝きだった。
「ごめんね、ノギ。これが限界……」
ノギの背後で祈るように手を組んだ小さなユラが、眉を寄せて呻いた。
「十分! 無理しないでいいから」
一度ユラを気遣って振り返り、再びユラに背を向ける。
それから正面の獣たちに顔を向けた瞬間、ノギの表情は一転した。淡い色の瞳はギラギラと、飢えた獣のそれとなんら変わりない。
「さて。やるか」
光をまとった右腕の拳を強く握り締める。場の空気が変わったことを、人よりも敏感な獣たちは感じ取ったはずだ。けれど、その時すでにノギは動いていた。
トン、と軽い音を残し、思いきりよく跳躍する。そうして、一頭の獣の頭上に降った。光る拳をその脳天に叩きつけると、派手な衝突音もなく、その獣は泡を吹いて体を横倒しにして昏倒した。
ノギはその体を腕で吊るすように持ち上げると、顔色ひとつ変えずに他の獣たちの方へ投げつけた。華奢と言ってもいいような細腕で。
キーキーと啼いて逃げ惑う獣たちに、ノギは素早く追いつく。拳に光はなく、あの淡い白光はノギの足もとにあった。ショートブーツの中から光が漏れている。
そうして、再び高らかに跳んだノギの表情は、ユラに向けるような優しさなど欠片もなく、冷え冷えとしたものだった。獣の頭上に光をまとった踵を落とす。
「うらぁ! くたばれ――っ!!」
黙っていれば大人しそうな少年。しかし、残念ながらこれが彼の本性である。
ユラといる時だけは機嫌がよく、にこやかであるけれど、基本は好戦的で気性が荒い。ほぼ毎日ユラとばかり接しているため、ユラも時々忘れそうになるのだが。
「こら、口が悪いよ」
戦闘中だというのに、のん気な口調でユラはため息をつく。ノギもあはは、と笑ってごまかした。
お行儀よくしなさい、とよくユラに注意されるのだが、態度を改めるのはその時ばかりである。
さほど手強い怪物でもないと判断したノギは、すべてを倒したわけでもないのに油断していた。背後から忍び寄った一頭の爪が脇腹をかする。
「っ!」
ほとんど反射的に体をよじり、大したダメージにはならなかったけれど、雑魚だと判断した獣に手傷を負わされたことに、ノギは真剣に苛立った。頬を引きつらせ、光り輝く拳を震わせている。
その憤慨に、獣はかすれた声で啼きながら、姿勢を低くして後ずさるけれど、ノギは見逃さなかった。
拳を数発叩き込まれ、獣は折り重なるように積み上げられる。ノギは手を払いながら吐き捨てた。
「チッ、身のほど知らずが」
三つ子の魂百までという。ノギの口の悪さが直る日は来るのだろうか。
ユラは諦めを半分抱えつつ、ノギのもとへトコトコと歩む。
「怪我、大丈夫? 痛い?」
先ほどとは別人のように、ノギは笑顔を浮かべてかぶりを振った。
「いや、かすり傷だから。さ、先を急ごう」
ノギの体の一部に光が灯る時、そこはまるで金剛石ほどの硬質になる。そうして、その膂力も増幅されており、本来持てるはずもないような重量を持ち上げることもできる。足に光を宿せば、神速で動くことも、空高く跳躍することもできる。
ただ、ノギは魔術を駆使する魔術師ではない。魔術の刻み込まれた特殊なアイテムを持っているわけでもない。
彼自身はすばしっこく運動神経がよい方ではあるけれど、それ以外に特出したところがあるとは言えない少年だ。
では何故、そのような能力を持っているのかというと、それはユラがいるからこそである。
ユラがそばにいる時にこうしたことができると気づいたのは、いつの頃だっただろう。物心がついた頃には自然とこうしていた気がする。
ユラは『太古の民』――。
この世界の魔術師たちとはまた違った、原初の魔力を持つ。触媒を使用しない、特別な能力をノギに与えているのである。
ただし、ユラの力は誰にでも分け与えられるものではない。やはりそこは相性というものがある。
ノギが特別であるとするなら、そのユラの能力との適合率である。それから、その与えられた力を上手く使いこなす戦闘センス。そう言えるだろうか。




