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魔法のおしごと。  作者: 五十鈴 りく
✡第7章✡

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⑦紗綾の洞〈4〉

 自分は何も悪くない。


 ノギはそう思った。思いたかった。

 けれど――。


 開け放たれたままの扉を見遣る。虫の声がうるさかった。暗い夜気が、家の中までも侵略するような気がした。

 気持ちがこんなにも晴れないのは、そのせいだと。


 ノギは片手で自分の髪をぐちゃぐちゃと乱す。そんなことをしても、何の意味もないとわかっているけれど。


 ハトリがあんなにも傷ついた顔をして泣くと思わなかった。苛立ちをぶつけても、いつものように勝気に言い返してくると思った。


 大体、苛立たせたのはハトリの言動だ。

 ユラが気に入って、可愛がるから家に置いた。歓迎なんてしていなかった。

 気を許したつもりもなかった。


 それでもこのところは、ハトリがいることを不自然に思わなくなっていた。当たり前のようにこの家に馴染み、溶け込んでいた。

 不思議と、いつの間にかそれが嫌だと思わなくなっていた。

 いつまでもいるわけではない。そのうちいなくなる。そういう存在だとわかっている。


 それでいいと思う。ずっといてほしいなんて考えていない。

 だとしても、今、この家で共にいることが、ノギは嫌ではなかった。

 自分が思っていた以上に、気づけば心を許していたのだろうか。

 そんなはずはない、と自分に言い訳をする。


 今、脳裏に浮かび上がるのは、あの怯えた表情と震えた指先。瞬く間に流れた涙。

 そうでなければ、どこか媚びるような響きのある声。甘えた瞳。


 正直、ゾッとした。

 体中の血の気が引いた。

 自分が知っていたハトリとは別人のようで。

 目的のためなら、そんなにも簡単に態度を変える。その変わり身の早さに嫌悪感を覚えた。

 だから――。


 あの涙にはどんな意味があったのか。

 それを考えると、頭が使いものにならなくなる。考えたくないと遮断しようとする。


 けれど、もし、あんなにも泣くほどに思い詰めていたのだとしたら、自分が投げつけた言葉は、その心を深くえぐったのだろうか。


 ハトリには親もいない。一人で何もかも乗り越えていかなければならない。

 どんなに嫌でも我慢して、嗚咽を飲み込んでしまわないと生きていけない。

 そこまでの覚悟をしていたのなら、自分が言った言葉こそが安易で愚かなものだったのではないだろうか。ふと、そんなふうに感じてしまう。


 身ひとつで飛び出したハトリは、結局のところ何もできない。

 泣き疲れた後でここに戻ってくる。それしかないはずだ。

 そうした時、どういった態度を取るべきなのか、それを考えると頭が痛かった。ただ、その瞬間に、あることに気づいてしまう。


 ハトリは、どちらの方向に走っていったのか。


 正面のだだっ広い原っぱか。背面の、薄暗い森か。

 こんな遅い時間に森に入るなんてこと、するだろうか。しかも、この七宝の森は――。


 入るわけがない。そう思ったけれど、ハトリは自国の皇帝の顔さえ知らなかったようなタイプだ。

 この森のことも何も知らないに違いない。ノギは迷った挙句、カンテラを手に家を出た。


 

 けれど、カンテラの明かりも必要なかった。晩夏の月明かりのおかげで、目が慣れれば問題なく歩けた。

 原っぱにはそれらしき影もない。隠れる場所もないのだから、まずそんなところにはいない。

 そうなると、やはり森だ。

 ノギは深々と嘆息した。鼓動が早まる自分を意識していた。

 早く連れ戻さなければ厄介なことになりそうだ。


 ざくりと草を踏んで、ノギは七宝の森の入り口に立った。

 豊かに茂る木々。

 皓々と輝く月は優しく道を照らしてくれているけれど、その光がハトリの心にまで降り注ぐことはないだろう。ノギは先を急いだ。


 生まれてからずっとあの家で過ごし、この森には慣れ親しんでいるようでいて、ノギ自身、ここに足を踏み入れたことなどなかった。


 何故なら、それが禁忌だからだ。


 この七宝の森の深部は、立ち入り禁止区域である。皇帝の許可がなければ、何人なんぴとたりとも進入を許されない。深部には獣すらいない森なのだ。

 今は現皇帝キリュウによって結界が張られており、押し入ることもできないのだが、その奥に眠るものを突き止めようとした強欲な連中が、衛兵によって連行されていく瞬間を、過去に目にしたこともある。


 キリュウは、『知らなかった』が通用する相手ではない。

 もし、ハトリがあの結界に触れれば、キリュウはハトリを処罰するだろう。あれは、そう甘い人間ではない。甘さだけで国を統べることなどできないとでも言うのだろう。

 手遅れになる前に見つけ出したい。


 この際、自分が悪かったと認めてもいい。ハトリの覚悟を安易に受け取って怒った自分が。

 だから、居場所を教えてほしかった。泣くのなら、大声で泣けばいい。

 その気持ちが伝わったのか、ハトリの声が聞こえた。


 ノギが追ってくるなど思いもしていないようだ。誰もいないと思って、声を上げて泣いている。

 さすがに心が痛まなかったわけではない。ただ、木の根もとでうずくまっている姿にほっとした。奥へは行かなかったのだ。ここなら引き返せばまだ間に合う。


 安堵のため息をつくと、ノギは体を横たえて泣いているハトリに歩み寄るのだった。

 緊張している自分を覚られないように。

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