⑥市松の林〈6〉
ハトリは一緒に行くと言い、結局いつもの三人で市松の林へ向かうのだった。
市松の林は、以前に行った花菱の野をさらに西へ抜けたところにある。
人の手が加わったわけでもないのに、林は高木と低木が入り乱れ、一見すると互い違いになって見える。何故かなんてことは、ノギには関係なかった。
この高木、尖頭杉は、樹齢三百年もすると、城ほどの高さになるらしい。千年すれば、山ほどの高さになるとも言われている。ただし、そこまで育ったものは見たことがないので疑わしい。
夏だというのに、日差しを遮る木々のお陰で地面はじっとりと湿っていた。辺りも薄暗く、どこか肌寒ささえ感じるほどだ。
「……葉が邪魔でろくに上が見えないな」
ノギがぼやいたように、日差しさえも漏らさない笠のような枝葉は視界の邪魔だった。こう近づいてしまえば、木の高さもよくわからない。これでは、もしミーティアーが現れたとしても気づけないだろう。
「そうねぇ。どこか見晴らしのいい場所があるといいんだけど」
ユラが可愛らしく首をかしげながら言う。
「見晴らし……。ああ、そうか。要するに、これに登ればいいんだよな?」
と、ノギは一本の杉の幹を叩いた。パラリと細かな木くずが落ち、ノギはそれをうっとうしそうに頭から払った。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「うん、気をつけてね」
にこやかにユラは、いつもと同じようにノギに自らの力を貸し与える。ノギはひとつ息をついて集中すると、両足に光を灯す。そして、軽やかに幹を蹴って一番低い枝につかまるのだった。それからは、猿ほどにも身軽にくるりと回転し、わさわさと音を立てながら登っていく。
その時に少しだけ下を見た。
ハトリは無言で木を登るノギを見上げている。その表情は不安そうでしかない。
そんな彼女のことも、ユラは優しく見守るのだった。
☆ ★ ☆
杉の木を登っていく。それはあまり気持ちのいいことではなかった。
枝で目を突きそうになるし、辺りは虫だらけ。細かい葉くずが髪に絡まる。
さっさと帰って風呂に入りたい。ノギはそんなことを思いながら木の頂点を目指した。
ユラの力を借りていれば、そう時間はかからない。雲をつかめるような高い木だが、山に登るよりはずっと早い。
下を見れば足が竦むほどの高さだけれど、ノギは落ちたところで怪我もなくガードできる自信がある。だから、無闇に怖いとは思わなかった。
登っていくうちに、ハトリのことを少しだけ考えた。
いつもうるさくて、ちょっとしたことで騒ぐ。ユラが庇うから、余計に反抗的だ。
それがノギの知るハトリだ。
だから、口数も少なく、不安げにうつむいていると、あれは誰だという気分になる。
うるさくて、ガサツなやつだと思うのに、そうでなくなったハトリは、以前よりもずっと面倒だった。
大げさに怒って、喚いて、笑って、そうしていた方がいくらかマシだ。
ハトリの不安はハトリが立ち向かい、解決することだ。それができないなら、エドに限らず、誰に負けても仕方がない。
自分がまっすぐに目標を見据えて戦わなければ道は開けない。
難しく考えすぎてしまっているのだ。少なくとも、出会ったばかりの頃のハトリにはそれができていたのだから。
余計なことばかり考えていたから、どこまで登ったのか正確な位置はわからなかった。
枝葉に遮られずに照った明るい陽光に目が眩んだ。かなり高いところまで登ったらしい。
「っ……」
くらりとする視界。焦げつきそうに暑い日差し。
けれど、ここは木の上。気を抜けば落ちる。
ミーティアーは、その美しい羽根こそ注目されるものの、気性は穏やかとは言いがたい。
流星の名を持つように、星が落ちるがごとく速度で獲物に急降下する。その鋭いくちばしで串刺しにするのだ。
地面の上でミーティアーを捕らえることは難しい。その羽根を手に入れようとするのなら、こうして木に登り、翼を休めているところを狙うしかなかった。
きょろきょろと辺りを見回す。
すると、二本隣の木の上にいた。中型犬ほどの大きさをした鳥が、内側の枝にとまっている。
白銀の細く長いくちばし。美しい緑青の輝く翼。細く長い尾羽。
雄か雌か、そこまではわからない。
ノギのいる場所から下りてあの木に登り直すのは、なかなか至難の業だ。木を登る振動を察知して逃げるかもしれない。空高く飛んで逃げられたら、さすがに手が届かない。一度警戒させてしまっては、日を改めなければ捕まえられないだろう。
「よし!」
明るさに目も慣れた。行けるはずだ。
それしかないと結論づけ、ノギは足にユラの力を集めた。そして、枝をバネにして跳躍する。視界に夏空の青さが映った。
飛び移る際の空中で、ノギは両手に光を移し、腕の力だけで枝にしがみついた。枝の先が身体中を擦って痛いけれど、そのまま即座に体を枝の上に押し上げる。それとほぼ同時に、ミーティアーの垂れ下がった尾羽を下からひと房引き抜いた。
それは、ミーティアーが飛び去る瞬間のほんの僅かの差だった。ギヤァアア、とその麗容とはかけ離れたおぞましい声を上げ、ミーティアーは飛び去った。
「あの声、二度と聞きたくないな……」
ノギはその鳴き声を頭から落とすためにかぶりを振った。その手には確かに、緑銀に輝く細長い尾羽がある。手触りも絹糸のように滑らかだった。
ノギはそれをくるくるとひとまとめにすると、腰のポシェットにしまった。そして、また木の幹を蹴って跳んだ。足場のないノギの体は、当然のことながら落下する。
この風を切る感覚が、案外楽しい。
そうして、ドン、と地鳴りのような音を立て、ノギは着地した。
ユラの力によって護られ、ノギの体は痛くもなんともない。けれど、金剛石のように硬くなったノギの両足が、高い高い木の上から速度をつけて落下したのだ。地面は、そこだけ割れた。地面の方は痛かったかもしれない。
「こら! 横着しちゃ駄目でしょ」
地面に埋もれた足を引き抜くと、ユラに怒られた。ユラとハトリは、その衝撃のせいで転んでいた。地面がじっとりと濡れていたこともあり、二人の服が汚れてしまった。
「ああ、悪い」
ユラに謝る。それから、いつもよりずっと動きが緩慢なハトリに向けて言った。
「ミーティアーの尾羽、手に入ったぞ。あいつに売る。それでいいな?」
「……うん」
ハトリはそう、小さくうなずいた。
心の中では裏腹なことを思っていても、きっとそんなことは言えなかったのだろう。