⑥市松の林〈3〉
翼石を駆使し、エドは七宝の森のそばの草原にやってきた。
そこは本当に何もない、原っぱとしか言いようのない場所だった。赤い屋根の家が、木製の柵に囲われて建っているだけだ。
間違うわけもなく、本当に一軒しかない。セオの地図の通りだった。
「こんなところに……」
辺鄙な場所だ。こんなところに住みたがる触媒屋なんて、どんな人間なのだか見当もつかない。
けれど、腕っ節が強いのは確かだ。触媒は危険な場所にあることが多いのだから。
きっと、毛むくじゃらで筋骨隆々の赤ら顔をした野蛮な男が出てくる。そう考えてゾッとした。
ちゃんと交渉できるだろうか。金目のものだけを奪い取られることにならないだろうか。
これも試練と覚悟したけれど、それでも不安はある。
そうして、激しく脈打つ心臓を押さえながら、その一軒家に近づいた。雨風にさらされて古びた柵に手をかけると、その奥から声が飛んだ。
「止まれ。この中に入ったら、どうなっても知らないからな」
その声は、綺麗な響きを持つくせに乱暴だった。顔を向けると、声の主は自分と同じ年頃の少年だった。
淡い色をした髪がサラリと揺れる。意志の強そうな目がエドを見据えていた。少女かと見紛うくらいに中性的であり、華奢な体格である。
ただ、彼のような少年が何故ここにいるのかわからない。ここは触媒屋の住む家だ。
考えられるとするならば、家族か、雇われているのか――。
とりあえず、エドは緊張の面持ちで少年に言った。
「ここは触媒屋の家だと仲買人のセオに聞いてきた。これが紹介状だ。触媒屋に会わせてもらえないだろうか?」
すると、少年は歩み寄り、差し出された封書を乱暴に受け取った。そして、勝手に封を切る。中の紹介状を読むと、それを折りたたんで服の中にしまった。
それから、改めてエドを上から下まで観察するように眺めた。不躾な態度だった。あまりいい気はしない。
そんなことを考えていると、少年はエドの方に歩み寄り、エドに自分の顔を近づけた。彼からふわりとお菓子のような甘い匂いが漂う。
彼は至近距離でじっとエドの顔を見つめる。緊張するエドを少年は軽く嗤った。
「冴えないツラだなぁ」
「は?」
「お前、魔術師なんだろ? それも、そこそこ能力のある。そう書いてあったぞ。それにしちゃあ地味だって言ってんだよ」
思わず耳を疑った。
初対面の相手に向かって、なんて口の利き方だろう。脳みそをかき回されたような衝撃だった。上品な顔立ちも、こう口が悪くてはは台無しだ。
一体、どういう教育をされてきたのだろうか。
エドが返事もできずにいると、彼はさらに乱暴な口を利いた。
「フン、まあいい。地味でも金払いがよければ問題ない。ちゃんと払えるんだろうな?」
この偉そうな口を黙らせてやりたい。エドはムッとして反論した。
「当然だ。だから、早く触媒屋に合わせてくれ。君じゃあ話にならない」
けれど、少年はさらに声を高くして笑った。
「俺がその触媒屋だ」
「え?」
「セオが書いた紹介状、本人にしか外せないように特殊な封蝋がしてあっただろ? そんなことにも気づかないなんて、ほんっと大したことねぇなぁ」
人の神経を逆撫ですることが生きがいであると言わんばかりの口調である。
エドはカッとなって言い返す。
「君が触媒屋だって? どう見たって、僕とそう歳の変わらない子供じゃないか! 封蝋? そんなの証拠になるのか?」
すると、少年の繊細な顔から表情が消える。その唇から冷ややかな言葉が漏れた。
「用があるのは俺じゃない。お前だろ? 喚いて不利になるのはどっちだ?」
足元を見られた瞬間に、エドは何も言えなくなった。
ミーティアーの尾羽を手に入れるための手段は、結局のところこの少年だけなのだ。
「俺は確かに、世間的に見て子供の部類だ」
そう、少年は落ち着いて言う。その次の瞬間には、彼の目の色が静かな炎のように感じられた。
「ただな、俺は自分の足を地につけて生きてきた。労働を知らないお前とでは、そもそもが違う」
厳しいその目は、彼が言うように親の庇護を受ける子供のものではなかったのかもしれない。
けれど、親がいて、期待をかけられ、それに応えようともがくつらさを知らないとも言える。
どこまでも、彼は自由だ。
こうして自分に自信を持ち、誇り高く生きていけるのなら、何も憐れではない。
幸福なのはどちらか。
そんなことは、お互いにわからない。
二人はまるで違う人間だから。
ただ、こうして他人に認められる実力を持ち、奔放に振舞える彼を羨ましいと思った。誰をねたむこともなく、生きていける彼を――。




