⑥市松の林〈2〉
『――君ねえ、エド君。君は勿論才能あふれる生徒だよ。けれどね』
いつも皆、決まって同じことを言う。
その口元がにやけていた。
『けれど、ハトリ君の方が上、かな。何せ、彼女は類稀なホノレスだからね』
魔術師の中でも高い魔力を秘める、ホノレス。
プリマテスである王族に次ぐ、その実力。
『君に彼女を越えることは――』
うるさい。
皆、うるさい。
「僕は――!」
そう叫びかけて目が覚めた。ぐっしょりと寝汗をかいている。
これは暑さのせいばかりではない。
エドは体を起こすと、ベッドのそばにあった眼鏡をかけた。これがないと何も見えない。
開け放った窓から風が室内に吹いたけれど、風の通り道のない部屋では大して涼しくもならなかった。紗織りのカーテンがゆらめく。
部屋を出て、白が基調の洗面所で母親が使っている鏡台の前を通りすぎる。
焦茶色の癖毛。黒縁の眼鏡をかけた、そばかすの浮いた平凡な顔。
エドは寝癖をごまかすためにブラシを乱暴にかけた。
今日は休日だ。
だからといって、学業を忘れて遊び惚けるわけではない。そんなことは許されない。
エドの家は格式のある名家なのだ。父親は役所の重役。優秀な魔術師を輩出してきた家系である。
「もうすぐ卒業だな」
テーブルで食事を取っていた父が言った。そのひと言にドキリとする。
「は、はい」
「最後まで気を抜かぬように。卒業試験で追い抜かれるなんてことのないよう、支度を怠るな」
「勿論です」
平静を保つ。
覚られてはいけない。不安なこの胸のうちを。
一度も勝てない相手がいる、このくすぶる劣等感を。
それでも自分は特別だと信じたい――。
エドは一人、家の外へ出た。
痛々しいまでに眩い空を見上げる。それはまるで、不甲斐ない自分を痛めつけるような行為だった。
「どうして……」
川縁に立ち、エドは小さくつぶやいた。
どうして勝てない。
あれはただの庶民だ。
血統も何もない雑種だ。
なのに、何故勝てない。
教員たちの誰もがハトリに期待する。
「僕は……」
それでも、負けるわけにはいかない。
どんな手を使おうとも、主席で学院を卒業する。
その思いを胸に、エドは翼石の使用ポートへ行き、それからとある場所まで飛ぶのだった。
☆ ★ ☆
エドがやって来たのは、バーガンディの町。
先週の休日には首都ヘリオトロープを隈なく探した。
彼の目的は、卒業試験に必要な触媒である。自分に最も相応しく、力を出しきれると確信できる品を探しに各地へ出向いているのだ。
この町には、セオという触媒仲買人が営む店がある。品揃えはよい方だ。もしかすると掘り出し物があるかもしれないと、期待を込めてやってきたのだ。
レトロモダンなレンガの店構え。
ガラン、とドアベルの音を響かせながら中に入った。すると、中から口論する声がして、エドは軽く身を竦ませた。
そこにいたのは、店主であるセオ。長身の美女だ。女手ひとつでこの店を切り盛りしている。
もう一人いた人物は、来客に気づくと舌打ちしてセオから離れた。金髪に赤と青のメッシュを入れた、軽薄としか言いようのない風体の青年だった。
彼はエドとすれ違う時、わざと肩をぶつけたように思う。そうして、ただ不機嫌にエドを睨みつけて去った。
育ちの悪い、低俗な輩だ。
気分を害しつつも、エドはセオに歩み寄り、本題に入る。
「あの――」
振り向いたセオの顔も険しかった。先ほどの青年と口論していた熱が冷めないのだろう。
迷惑な話だが。
「ああ、何か? お探しの品でも?」
少し、上から物を言われた気がした。気分が悪い。
けれど、相手は妖艶な美女である。高飛車なのも仕方がないと思い直した。
「卒業試験のために必要な触媒を探しているんだ。何か、いい品はないだろうか?」
そう訊ねた。すると、セオはああ、と声を出した。
「シャトルーズ学院の生徒さんね? あなたが扱えるものを好きに選ぶといいわ」
確かに、品揃えは豊富だ。ここにいるだけで、それぞれの触媒が持つルクスが体内に伝わるような恍惚感がある。けれど、エドはそのどれもを手に取って見ることはなかった。
ぽつりと言う。
「『ミーティアーの尾羽』はないのか?」
ミーティアー。
流星の名を持つ鳥。その尾羽は、煌く星の命のようだと。
それはそれは美しい鳥なのだと聞く。
セオはくすりと赤い唇で笑った。
「随分と高望みをされるのね」
そのひと言に、エドはカッと頬を染めた。分不相応だと、エドには過ぎた代物だと嗤うのか。
続けてセオは言った。
「ミーティアーの尾羽は一級品。それも、お金を出せば手に入るとは言えないわ。まず入手が困難ですもの」
けれど、エドは諦めきれなかった。
随分と昔、一度だけ目にしたことがある、あの触媒。
あれを手にしたい。ずっとそう思ってきた。
卒業試験にどうしても必要だと言えば、金銭面の心配は要らないはずだ。
「それでも、なんとかならないか? それを手に入れられそうな心当たりは――」
すると、セオはにこりと微笑んだ。その妖しさにドキリとする。
「心当たりがあるとすれば、とある触媒屋ね。彼ならもしかすると手に入れることができるかもしれないわ」
少しでも可能性があるのなら、それに賭けたい。
「だ、だったら、頼む」
そう言ったエドに、セオは淡白な口調で返す。
「そう。なら頼みに行くといいわ」
「え?」
「彼は気難しいから。その必死の思いを伝えて動かしてね」
「ええ?」
あんぐりと開いた口が塞がらなかった。
触媒屋とは、触媒を入手してくる人々。けれど、魔術とは無縁の、魔力を持たない只人。
知性などなく、粗野な連中。
そう、さきほどまでこの店にいたあの青年も触媒屋なのかもしれない。
「き、君は仲買人だろう? 客が頼んでるんだ。ちゃんと手配してくれ!」
すると、セオはコロコロと笑いながらカウンターの中に戻った。そして、サラサラと何かを書く。そうして、一枚の封書と手書きの地図を持って戻った。
魔力を込めた封蝋は、特定の相手にしか開けない。
「これ、その触媒屋の居場所よ。こっちは紹介状。じゃあ、健闘を祈っているわ」
嫌なら諦めたらいい。セオの顔にはそう書かれていた。
だからこそ、エドはその封書と地図をひったくるようにして受け取った。
「支払いは触媒屋に直接払う。それでいいな?」
セオはうなずいた。
「ええ。そうしてくださいな」
大人の顔は崩れない。むきになるだけ、自分が子供だと言われているようで癪だった。
考え方を変えよう。
試験はここから始まっているのだと。
ミーティアーの尾羽を手に入れることは、エドが自分に課した試練なのだ。