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魔法のおしごと。  作者: 五十鈴 りく
✡第6章✡

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36/88

⑥市松の林〈1〉




 夏も盛りの甕覗かめのぞきの月。

 虫の声がうるさく響き、暑さで眠れない夜もある。

 ――だからといって、寝坊は許されない。



 魔術大国ライシン帝国の南に、七宝しっぽうの森と呼ばれる広大な森があった。その森のそばにひっそりと建つ一軒家。赤い屋根のその家は、魔術のもととなる触媒と呼ばれるアイテムを採取する、触媒屋という職に就く少年の家だった。


 その少年、ノギは相棒のユラという少女と、新たに雇ったハトリというもう一人の少女と共にこの家で寝起きしている。

 癖のない艶やかな髪に線の細い面立ちをしながらも、ノギの気性は荒かった。かけがえのない存在のユラのことは大切に扱うけれど、新参のアルバイトであるハトリの扱いはひどいものだった。


 まず、出会った時には頭から水をかけた。その後、海に放り込んだりもした。

 間違っても、年頃の女の子に対する扱いではない。

 ノギは、ハトリに対して真っ当な扱いをしてこなかった。それでもハトリはめげずに居座るのだから、ノギは雑な扱いしかしないのだ。



「あのヤロ」


 早朝、ノギは台所にて小さくつぶやくと舌打ちした。

 ハトリが起きてこないのである。

 昨日は取り分け暑くて寝苦しかった。そのせいかもしれない。

 だとしても寝坊は許されない。雇い主であるノギが起きているのだから。


 足を踏み鳴らしながら、ノギはハトリの部屋の前にやってくる。もともとここはノギの父親の部屋だったのだが、今はハトリに貸しているのだ。

 イライラしながらも、ノギはどうしてやろうかとその場で考えた。結果、怒鳴って起こすことにした。荒々しい音をわざと立てて扉を開く。バン、と壁に当たって跳ね返った扉が小刻みに震えた。

 女の子の部屋である。しかし、ノギにそんな配慮はない。ズカズカと踏み入って大声を出した。


「起きろ! この――」


 青筋立てて怒鳴りかけたノギだったけれど、そこで固まってしまった。


「ん……」


 と、ハトリは長い珊瑚色の髪をベッドに広げ、眉根を寄せてうっとうしそうに呻いただけだった。あんなにうるさくしたのに、起きる気配がない。昨晩は、本気で寝苦しかったのだろう。

 薄いタオルケットを蹴飛ばす脚がむき出しだった。ユラに借りた可愛らしいフリルのネグリジェは、寝相の悪いハトリには合わない。広く開いた襟からは肩が出ているし、めくれ上がった裾が――。


 ノギはふとこの状況のまずさに気づいた。わざとでなくとも、この寝乱れた様を目撃した以上、何を言われるかわかったものではない。


 別に、普段から脚なんか出している。珍しくもなんともない。そう自分の心に言い訳するような感覚があった。

 馬鹿らしいと思う。

 ハトリには色気なんてない。常にガサツだ。そんな意識、するだけ馬鹿らしい。


 さっさと戻って朝食を作ろう、とノギはそろりそろりと後退した。ただ、一瞬の判断が彼の誤りだった。

 ハトリがさらに難しい顔をして寝返りを打った。ネグリジェの裾がふわりと動く。


「……」


 ここで立ち止まらなければよかった。さっと立ち去ることができたなら、この後目を覚ましたハトリが悲鳴を上げて散々喚いた後、平手打ちをしてくることもなかったはず。



 朝食の支度はノギが一人でした。ハトリはユラが慰めるまで部屋から出てこなかったのだから。


 今日の朝食は、溶いた卵に牛乳と砂糖を加えた液にパンを浸して焼くというもの。バターを鉄板にたっぷり溶かして焼く。おまけに熟した黄色いババナの実も加えて焼いた。とにかく甘い匂いがする。仕上げに、メイプの木の蜜をたっぷりかける。


 ノギは、こういった食事が好きではなかった。こんなのはお菓子で、食事とは言えない。朝っぱらから食べるものではない。

 だったら何故、足りなかったババナの実とメイプの木の蜜を、わざわざ町まで飛んで買ってきて作ったのかという問題について、ノギは『なんとなく』としか答えない。

 決して、ハトリの機嫌取りではない、と。大泣きされ、多少の罪悪感がそうさせたわけではない、と。



 早朝からそんなアクシデントがあったというのに、甘い香りが立ち込める部屋で、ユラは楽しそうにクスクスと笑っていた。


「だから、女の子の部屋にいきなり入っちゃ駄目だってば。前から言ってるじゃない」


 宝石のように麗しいユラ。幼さの残る顔立ちの中にも、たおやかで落ち着いた雰囲気がある。

 ハトリの方が外見は大人っぽいけれど、中身はずっと子供だった。まだ拗ねた目をしてノギを睨んでいる。

 ノギはというと、まだほんのりと赤い頬を押さえて陰鬱につぶやいた。


「俺が悪いのか? こんなに無残に殴られたのに、俺が?」


 すると、ハトリはムッとして喚いた。


「当たり前でしょ! 声もかけないで眺めてたじゃない!」

「かけただろ! 大声で!! お前が寝こけてただけだろ!!」

「嘘つき! 変態!!」

「はぁ!?」


 言いがかりだ。

 ひどい言いがかりだ。

 なのに、ユラはさらにひどかった。

 頬に手を当て、やれやれといったていで嘆息する。


「ノギも男の子だからね。仕方ないなぁ」

「ユラぁ?」


 ガン、とショックを受けるノギだったが、ユラはまだクスクスと笑っている。

 明らかにからかって遊んでいる。時々、ユラは意地悪だ。


「ほらほら、ここは素直に謝った方がいいよ?」


 心底楽しそうな口調だった。

 ハトリは、うっすらと涙を浮かべた目でノギを睨む。

 百歩譲って、悪かったと思わなくもない。だから、朝食にこんなものを作った。

 その甲斐もなく、ハトリは朝食の感想も述べず、朝からこんなものが出たことを不思議にも思っていない。こうなると、ひねくれたノギが素直に謝るわけがなかった。


「別に、俺、悪くないし!」


 結局、そう言ってそっぽを向いてしまうのだった。ただ、その後、そろりとハトリを見遣ると、ハトリは冷めた目をしてひと言、


「子供」


 とだけ言った。

 カチンと来た朝だった。

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