⑤向蝶の丸の峰〈2〉
セオの店はノギたちの家から最も近い町、バーガンディにある。
歳若く美人のセオが切り盛りする触媒取扱店は評判もよかった。その品揃えの豊富さは町一番だと店主が自ら誇っている。
貴重品が多くある店だけれど、強盗などが今までに押し入って成功した例はない。ああ見えてセオ自身も魔術師であり、なかなかに強い。怒らせると怖いのだ。命が惜しければ馬鹿な真似はやめた方がいい。
ガランガラン、と乱暴にドアベルを響かせてノギは店に踏み入る。店一面のビンに収められた輝石、植物、羽根――色々な触媒がずらりと並んでいる光景は圧巻だ。
魔術師ならばこの店に踏み入るだけで血沸き肉踊るというところである。ハトリは魔術師であるため、連れてくるたびに惚けて棚に見入ってしまうのだった。
セオはノギの姿を認めると、ヒールを打ち鳴らしながらやってきた。その脚線美を見せつけるようなスリットが入った衣装を好む。
女性にしては長身な彼女は、ヒールを履けばノギよりも高い。その長身の美人が、やってくるなりノギの顔をがっしりと両手で捕らえた。後ろに引こうとするノギと、腕によりいっそう力を込めるセオとのやり取りを、ユラはのんびりと眺めている。
「遅い!」
「知るか!」
しばらく二人の小競り合いが続き、本題になかなか入れないので、仕方なくユラは訊ねた。
「それで、どうしたの? 今回は特殊な依頼?」
すると、我に返ったセオはノギに近づけていた顔をユラに向けた。
「そうなのよ。今回はね、絶対に失敗しちゃ駄目よ」
解放されたノギは、頬に爪痕を残しながらムッとした。
「信用できないなら頼むな」
今までの依頼をすべてこなすことができたわけではない。けれど、納品率は高いはずだ。
失敗するなと言われたことがノギの気に障った。
そんなノギのプライドをよく理解しているせいか、セオは苦笑した。
「やだ、信用してるから頼むのよ。アンタたちじゃないと無理だって」
そうして、セオは感情を落ち着けるように息をついた。
「今度の依頼は、『向蝶の丸の峰』に生息する、妃蝶の翅。頼めるわね?」
妃蝶とは、その昔、あまりの美しさから、当時の皇帝の寵妃が庭園を舞わせるために所望し、闇雲に捕獲された蝶である。その翅は高いルクスを包有するのだが、その妃は美しさを損なうことを厭い、触媒として使用することをさせず、ただ閉じられた庭に留めて鑑賞用とした。
高い峰の清浄な空気の中に生息する蝶は、数日と持たず次々に落ちた。
そうして、それは繰り返され、妃蝶の数は激減したのだという。
「妃蝶……」
ユラが悲しげにつぶやく。絶滅の危機にあるような種の蝶に、憐れみを感じているのだろうか。
その様子を感じ取った、セオはとっさにつけ足す。
「何も乱獲しろとは言っていないわ。翅も一枚でいいの。一枚だけなら、あの峰にいる限り、妃蝶は再生できるからね」
清浄な空気の中ならば、その生命は人よりも長いとされる。穢れた空気に何よりも弱いのだ。
「そうね。わかったわ」
ユラが納得すれば、ノギに否はない。そのことをセオはよくわかっている。
ただ、ノギは少しの引っかかりを覚えた。
「で、何をそんなにカリカリしてんだ? 依頼人が厄介なのか?」
そう訊ねると、セオは形のよい額に手を当てた。
「そうなの。うちだけじゃ信用できないのか、他所にも依頼してるんだから腹立つわ」
「ん?」
「ええと、要するに、競争?」
言ってから、にこやかにごまかそうとするセオだった。
つまり、他の触媒屋も同時期に妃蝶の翅を狙っているということである。
「……おい」
「大丈夫よ、ノギなら。アタシが見込んだんだから」
「報酬弾めよ」
結局、ノギの言いたいことはそれだけである。
「弾む弾む。サービスするわ。足りなかったら体で払ってあげる」
などと襟元を緩めて肌を見せる。残念ながらセオの妖艶さはノギの鳥肌を誘うだけであった。
「いるか!!」
ぎゃあぎゃあと喚いているノギに、セオはウフフと大人の余裕で笑っていた。
「まあ、とにかく頼んだわよ」
ケッと吐き捨ててノギは外に出ようとした。これだけ騒いだにも関わらず、ハトリはまだ棚の触媒に見入っている。依頼の話もあまり聞いていなかったのではないだろうか。
ノギが目を向けたから、セオもハトリに目を向けた。
「この子、魔術師でしょう? 本当にノギが雇ってるの?」
セオの目はまっすぐで、ハトリを品定めしているようだった。
ノギがユラ以外の人間を寄せつけるなんて、信じられないのだろう。その疑問はもっともであるのかもしれない。
ハトリは困ったように答える。
「ええと、まあ、魔術師とは言っても学生ですけど。しかも、触媒を買うお金が足りないから、働くしかないんですよね」
すると、セオはふぅん、と鼻にかかった声を出した。
「少しの間だけだ。別にずっとってわけじゃない」
ノギはそう答えた。ハトリにとって、目当ての触媒が手に入り、片道分でも翼石が買えればそれで十分。それまでのことだ。
セオは意味深に、艶やかな微笑を浮かべている。
「そうなのね」
何を言いたいのか、聞かなくてもわかる。
それでも珍しいと言いたいのだ。
そんなの、ユラがハトリを気に入って手を差し伸べたからだ。別にノギが望んでハトリを迎えたわけじゃない。
そんなわけがない。
そこを勘違いされたくはなかったけれど、いちいちセオに言うのも面倒で、ノギはそのまま店を出た。