④亀甲の泉〈5〉
さて、どうしたものかとノギは考えた。
亀甲の泉に咲くという水晶蓮の花を採りに向かうとして、それを手にすることができるのはユラのみである。
太古の民。
現代の魔術師たちとは質の違う魔力を持つ存在。
触媒を一切使用せず、自身の魔力のみにて魔術に匹敵する現象を起こす。
それこそがユラの正体で、この国では間違いなく特異だった。誰にも知られたくない事実である。
ハトリにユラの能力、正体をどのようにごまかすべきか、それをまだ考えつかなかったからこそ、ハトリと共に難易度の高い採取地に向かうことは避けていた。そうした時は無理やりに草むしりなどの雑用を言いつけて置いてきたのだ。
けれど、今回はあのいけ好かない皇帝キリュウ直々の依頼だ。気に食わないが、この依頼を蹴るわけにもいかない。依頼の内容を聞いてしまったハトリを置いていくのも、今回は難しかった。
やっぱり、ハトリを雇ったのは間違いだったと、ノギはしみじみと思った。今からでも追い出すべきだろうか。
そんな考えが顔に出ていたのか、ハトリが支度のために席を外した少しの間に、ユラは言った。
「ねえ、私たちの力のこと、ハトリちゃんになら知られてもいいかなって思うの」
ユラの発言に、ノギは唖然としてしまった。ユラがそう思う理由がわからない。何故、そこまで気を許すのか。
ハトリはそれなりに魔術の才能のある人間だ。将来、大成したいという欲もある。
だとするのなら、ユラのことを利用しようとするかもしれない。
ハトリに対するその信用が、いずれ毒となってユラを侵食してしまうのではないかと、ノギは今さらながらに怖くなった。
「そんなの、知らせない方がいいに決まってる。あいつは他人だから」
他人――。
そのたったひと言が、二人の間に重くのしかかった。ユラの瞳が悲しげに揺れる。
自分は何か間違えただろうか。
おかしなことを言っただろうか。
ノギには、ハトリのことがどうしても受け入れられなかった。
☆ ★ ☆
「おまたせ!」
皇帝直々の依頼であり、高ルクスの触媒を拝めるということで、ハトリは張り切っていた。ウキウキと支度をし、ノギのもとへ戻った。
ハトリの服は、あの日着ていた一着しかない。ユラが何着か貸しているのだが、ハトリはユラよりも背が高く、丈があまり合っていない。着られそうなものだけを貸し、あとは購入するしかなかった。
ノギがユラのために用意していた小遣いが、ハトリの服になってしまったのだ。ノギは腹立たしく思ったのだが、ユラがそうしたいと言って利かないのだからどうにもならなかった。
動きやすいパンツスタイルに着替えたハトリに、弁当を詰め終わったノギは、いつも以上に冷たい視線を向けていた。
ハトリはノギの不機嫌の理由を知らない。
「ご、ごめん。待たせた?」
とりあえずハトリは謝ったけれど、ノギは返事をしなかった。そういうことではない。
けれど、ハトリなりにこのままではまずいと思ったのかもしれない。何か必死の形相だった。
「うん、遅かったよね? すっごく遅かった! お、置いていかないでくれてありがとぅ」
これ以上ないほど姿勢を低く謝り倒してくる。けれど、ノギはそんなハトリの謝罪を聞き流した。もう、頭の中はユラのことでいっぱいだった。
どうしたらユラを護れるのか。ハトリとの距離が近くなりすぎては、絶対にユラのためにならないのに、ユラはハトリを気に入ってしまっている。
それがノギには危うくて、恐ろしかった。考え出すと頭が痛くなる。
はぁ、とため息をつくと、ハトリはびくりと身を硬くした。
そんなハトリの腕に、ユラがギュッとしがみついた。
「どうしたの、ユラ?」
ユラはにこりと花のように微笑む。
「ううん、なんでもないわ。行きましょう――」
そうして、三人はぎこちない雰囲気を漂わせたまま出発する。ただ、ノギは翼石の使用を躊躇った。
ハトリがおずおずと訊ねる。
「ところで、亀甲の泉ってどこにあるの? 初めて聞いたんだけど」
実を言うと、ノギも知らない。そのことに今、気づいた。
泉や湖ならいくつか知っているけれど、亀甲とはどこを指すのだろうか。
今さら知らないなんて言えない。ノギは固まってしまった。
ユラはそれを察したらしく、クスクスと笑う。
「大丈夫。私が知っているから。とりあえず、内海の見える場所まで行きましょう」
内海とは、三日月形をしたこの帝国の内側の海である。
ユラとハトリはノギと手を繋ぎ、三人は翼石を使用して飛ぶ。
ふと、ノギは不思議に思った。泉なのに、何故海に行くのか。
けれど、ユラだけがその場所に行く術を知る。今は疑問を持たずに行くしかない。




