④亀甲の泉〈1〉
春も徐々に夏へと近づき、日に日に暑さを増す頃――。
三日月のような国土を持つ、魔術帝国ライシン。
皇帝を筆頭とする魔術師たちが住むこの国は、多くのものが魔術によって動いていた。
季節は春も終幕の紅緋の月。
七宝の森と呼ばれる奥深く広大な森のそばに、一軒の赤い屋根の家があった。手前に広がるのは草原ばかり。通り過ぎる人さえいないような場所であった。
そんな辺鄙な場所に住まうのは、触媒屋という職に就く少年と少女であった。
触媒とは、魔術のもととなるアイテムの総称である。それらは自然界に眠る植物、鉱物であったり、怪物の部位であったりする。危険を冒し、それらを採取するのが触媒屋の仕事だった。
この家の家人である触媒屋のノギは、艶やかな髪を持つ中性的な少年である。線が細く整った顔立ちは、とても戦闘向きとは言えない。一見するだけならば、家の中で読書に勤しんでいた方が様になる。
ただし、彼は大人しそうな外見とは裏腹に、実は気性が荒い。
「おい」
その低めに発したノギの一声に、びくりと体を震わせた少女がいた。
珊瑚色の、背中までまっすぐに伸びた長い髪。意志の強そうな空色の瞳。すらりとした四肢に魅力的な丸みを帯びた体つき。ハイウエストで絞ったワンピースがよく似合っている。
顔かたちは端整ではあるのだが、どこか何かが足りない。
きっと、本人にその自覚がないため、色気が足りないということなのだろう。麗容も宝の持ち腐れというやつだった。
「な、何?」
そんな彼女、ハトリはノギが嫌々ながらに雇っている住み込みのアルバイトである。
彼女がこの家に住むようになって、早二十日が過ぎていた。ノギの人使いは、やはり荒い。
初日から、宛がわれた部屋で眠っていたハトリを、ノギはノックのひとつもせずに叩き起こした。雇い主が起きて働いてるのに、寝てるとはいい度胸だな、と。
女の子の部屋に無断で入るなんて嫌らしい、などと言わせるつもりはない。ノギにとって、ハトリは興味の対象ではないと顔に書いてあるのだから。
それから毎日、こうして朝食の支度を手伝わせた。
ノギは神経質でこだわりが強く、指示通りのことができないハトリを何度叱っただろうか。
ノギは冷ややかな視線をハトリに向ける。
「緑の位置が違う。皿の右上って言ったよな?」
「ふぇ……っ」
彩のために添えられた菜っ葉の位置なんて、ハトリにとっては大した問題ではないのだろう。食べてしまえば一緒だ、なんでそんなにうるさいんだ、とハトリの内心が透けて見えるようだった。
「この大雑把のザル人間! お前のメシ抜くぞ!!」
「や、やだ!!」
ハトリは慌てて配置を直した。
ハトリはこれまで、あまりいい食事をしてこなかったのではないかと思われる。だから、ここで何を食べても美味しそうにしている。メシ抜きはどうしても嫌なのだろう。
ノギはカリカリに焼いた薄切り豚の燻製を平たいマフィンの上に乗せ、その上にさらにトロトロの半熟卵を乗せる。その香ばしい匂いに、ハトリの腹がぐぅと鳴った。
「ノギのご飯、美味しいから……」
ぽそりとハトリは言う。正直にそう言われると、まんざらでもない。他の何かを褒められるより、多分一番素直に受け取れる。
ノギの料理はほぼ創作料理で、珍しいものが多い。他所では食べられないものばかりだ。だからこそハトリも、ノギの料理を食い損ねたくないのである。
ハトリはノギの手元を注視しながら訊ねた。
「これも、お父さんに習ったの?」
ノギは軽く首を揺らした。
「ん、まあ、な。多少のアレンジはしてるけど」
ノギの父親は料理人だった。料理の基礎はその父に教わったのだ。
ただ、ノギの父親はすでに亡くなってしまった。そうして、今、その空いた部屋をハトリに使わせている。
「……さてと。できたしユラを呼んでくるか」
ユラ。
ほっそりとした、守ってあげたくなるような儚さを持つ女の子。おしとやかで心優しい彼女は、ノギにとって特別な人である。一番大事な家族なのだ。
だから、ノギはユラに雑用を手伝わせたりはしない。それくらいなら自分がやればいいと思っている。
そんなごく普通の朝だったというのに、ノギは嫌な気配を感じ取った。とっさに窓に寄り、カーテンの陰から外を窺う。
「え? 何? どうしたの?」
その動きにハトリが驚いている。ノギは険しい表情で彼女の方を振り返った。
「おい、仕事だ」
「え?」
「不法侵入者だ。排除してこい」
「ええ――っ!!」
把 多摩子様著【どくしょかんそうぶんえ。】にて、本作を紹介して頂けました!
とっても可愛いイラストつきです♪
http://ncode.syosetu.com/n8136bu/5/
ありがとうございました!




