③青海波の浜〈3〉
どこか淡い柔らかな日差しは、春の波を優しく照らしていた。潮風も、海燕の声も、のどかでさえある。
ただ、そんな砂浜に立ち尽くして、ノギは呆然としていた。
自宅前で振りきったはずの魔術師ハトリが、青海波の浜までくっついてきたのだ。
「へぇ、こういうところに触媒があるのね」
などと、ハトリは眩しそうに辺りを見回している。
そののん気さに、ノギは爆発した。
「ふざけんな! このストーカー女!! すぐさま帰れ!!」
結構な剣幕で怒鳴ったというのに、ハトリは怯むどころかノギを睨み返してきた。
「あんたに興味があるわけじゃないの! あたしは高ルクスの触媒を入手したいだけ! そのためだったら、捻じ曲がった性格のあんたにでも我慢してついていこうって決めたの!」
遠慮のない物言いはお互い様なのだが、ノギはもともと喧嘩っ早い。女の子が相手だろうと、ユラ以外の人間を特別視することはないのだ。
「ひね曲がっただの、捻じ曲がっただの――お前、命が惜しくないんだな」
黒いオーラを放つノギに、ハトリは距離を取って構える。
「何よ? やろうっての?」
ハトリは、触媒を入れている腰のポシェットに手をやる。ユラは、やれやれと嘆息した。
「ノギ、いい加減にしないさいね?」
その一声で、ノギは先ほどの勢いはどこへやら、ぐっと言葉に詰まる。
「……チッ。こんなのに構うだけ時間の無駄だな」
更にカチンとした様子のハトリに、ノギは言い放つ。
「まあいい。おい、触媒がほしいってんなら、ここで自力で採ればいいだろ。今後、俺たちにまとわりつくなよ」
「……そう、ね。納得の行く上物が手に入れば、もう用はないわ」
「上物? そんなもんは俺たちが入手するに決まってんだろ。お前はカスでもつかんでろ!」
「うわぁ、腹立つ!!」
時間の浪費だと気づきながらも、ひたすらに浪費している二人だ。
「ノギ、そろそろ始めないと日が暮れるよ?」
そんなユラの言葉に、ノギは渋々切り上げる。本当はまだ言い足りないのだ。
「そうだな。よし、行こう」
途端にノギは、ハトリの存在など目に入らなくなった。拳を左手で受け止める動きを繰り返す。パシン、と響いた音は、潮騒に紛れた。
ハトリの相手をやめたノギとユラは、砂浜をさくさくと歩く。どのポイントに、泡真珠を秘めている『床貝』がいるのかを探しているのである。
泡真珠は、まるで海中の泡のように透き通った色とプリズムの輝きを持つ真珠だ。大きさも、粒ではなく球と言った方が適当なサイズだったりする。
当然、床貝も固く、大きい。引き上げるのも至難の業なのだが、苦労しても確実に入手できるという保証はない。
「めんどくさい依頼だな。セオのやつ、絶対誰も受けないようなの回してるよな?」
ケッ、とノギが吐き捨てると、ユラは苦笑した。
「海中にあるものだし、他の人じゃ難しいわよ。でも、きっと高値で売れるはずだから」
「まあ、そうだな」
ノギとユラには、大金が必要である。それは、どうしても譲れないものであり、いつか必ず願いを実現するために、今はがんばらなければならない。
そんな二人の後ろには、一定距離を置いてハトリがいた。彼女は、ちょこまかと浜を動き回っている。
「あ! 白夜貝だ! これも使える!」
案外楽しそうな声が上がっていた。
浜には低ルクスの触媒であれば転がっている。ノギにとってはカスでも、ハトリにとっては足しになるのだろう。
白銀に輝く小さな貝をポシェットに詰め込んでいるハトリと、ふと立ち止まったノギの目が合った。
その途端、双方は勢いよく顔を背ける。本当に子供の喧嘩だった。
それから、ノギは何事もなかったかのようにユラに言う。
「この辺、どうだろ?」
ユラは大きくうなずく。
「うん、いいと思う。じゃあ、始める?」
「ああ」
ノギもうなずくと、ふぅとひとつ息をついた。それから、体中に気を張り巡らせるようにして集中する。
ユラがそんなノギのそばで彼に力を与えた。
うっすらとほのかな光は、いつものように強く一点に灯ることはなく、ノギの体全体を覆うように薄く残る。こうすることで、海中でもノギは自身を水や多少の衝撃から守ることができる。ただし、硬度や膂力は一点に集中した時よりも劣ってしまう。一長一短だ。
ユラの力は、このように利用することも可能なのである。
「さて、行くか」
「うん。気をつけてね」
そう言うユラのことこそが、ノギは心配だった。けれど、ユラは少しの曇りもなく微笑む。
「何? ハトリちゃんなら大丈夫よ。あの子、私に危害を加えたりしないわ。知ってるでしょ」
確かに、前はユラを助けようとしていた。いくらノギの弱点がユラだといっても、そこにつけ込むほど腐ってはいないのだろう。それくらいは認めてもいい。
「……わかった。でも、それ以外にも色々と危ないから、何かあったらすぐに呼んでくれ」
そうして、ノギは光をまとい、一歩ずつ漣に引き込まれるようにして海へと消えた。