③青海波の浜〈2〉
青海波の浜とは、三日月の形をした国の南寄りの海岸である。
白に近い色合いのサラサラとした砂、澄み渡った碧海。地平線が見えるその場所は国内でも有数の名所なのだが、海洋生物にとってもそこは住み心地のよい場所のようで、不用意に近づくと襲われかねないという。
それから、ノギとユラは食材などの買出しのために最寄のバーガンディの町に来た。瞬時に移動できる、翼石というアイテムがあるので、たどり着くのはすぐだ。
町の中で使用ポートという着地点に到達すると、
「海かぁ……」
ぼんやりとノギはそうつぶやく。
これが夏ならよかった。生憎と水泳には少々気が早い季節である。水はまだまだ冷たいだろう。
「特にいいことなさそうだな」
「そうね。お魚でも釣って帰ろうか?」
クスクス、とユラが傍らで笑う。
ユラが笑っていてくれるなら、面倒な仕事も我慢しよう。ノギにとってはそれがすべてだ。
☆ ★ ☆
そうして、その翌日、支度を済ませた二人は出発しようとしていた。
今回の弁当は食べ歩きしやすいように、柔らかく炊いたメコの実を味つけして握った、『おにぎり』というやつだ。シンプルながら、これが美味しい。
以前使っていた浮遊するバスケットは、買い換えた。新品である。
何故なら、前回の使用の仕方が悪かった。嫌なにおいが染みつき、もう食べ物を入れる気になれなかったのである。
二人は家の外へ出た。屋内で翼石を使用することはできない。
面倒な依頼で乗り気がしないながらも、なんとか自分で気分を盛り上げようとしていたノギは、扉を開けた瞬間にテンションがとんでもなく下がった。
「げ」
思わず声に出た。
「あら」
ノギとは対照的に、ユラは嬉しそうである。
家の周囲に立てられた柵の手前に、『彼女』はいた。
長い珊瑚色をした髪と、すらりと伸びた四肢。その手が一度、自らのチュニックの裾を握り締めた。表情はない。
そんな様子から、強い緊張が窺える。
魔術師ハトリ。
彼女に向け、ユラは微笑んだ。
「ハトリちゃん! よかった、また会えて。この間はごめんなさいね。それから、ありがとう」
ユラの柔らかい態度に、ハトリの緊張も少しほぐれたようだった。慌てて両手を振った。
「あ、ううん。気にしないで」
ユラは、あたたかく柔らかな眼差しをハトリに向ける。
「脚の傷は大丈夫?」
切り傷だらけだった脚は、うっすらと痕が残るのみだ。そのうち、それも消えるだろう。
「う、うん」
ハトリはショートパンツから伸びた脚を、少し動かしながらうつむいた。
そこでユラは、ちらりと隣のノギを見遣る。それから、ぼそりと言った。
「謝るって言ったわよね?」
「ぅ?」
「言った」
「…………」
言った気がする。
ただし、ノギが素直にそう言ったのは、多分二度と会うことはないだろうと思ったからである。もう、ここには寄りつかないはずだと。
それがどうだ。
なんて図太いんだ、とノギはイライラしながら、とりあえずハトリを放って家の戸締りをした。
けれど、ユラの視線が背中に刺さるので、仕方なくそこからハトリに向き合った。距離を縮めるつもりはない。
大げさなくらい、ため息を深くついた。
「お前、どんな神経してるんだよ?」
「は?」
ハトリはきょとんとした。そんな仕草にもノギは苛立つ。
「よくここに顔出そうとか思うよな? 図太いにもほどがあるぞ」
謝るどころか、口を開けばろくなことを言わない。ハトリはノギが謝るとは思っていなかったようで、この発言も来るべき攻撃が来たというだけのことなのだろう。キッとノギを睨む。
「あたしは、あれくらいでへこたれていられないの!」
「へぇ。貧乏暇なしってやつか」
「うわぁ! あんたって、なんでいちいちそんなに腹立つわけ!?」
そこから口論が始まった。ただ、二人の距離はそれなりに開いており、結構な大声で怒鳴っている。ユラは、やれやれと嘆息した。
「――もう、なんだっていいのよ! あんたがどんなに性格ひね曲がってたって、触媒屋のつてがない以上、仕方ないんだから!」
「知るか! なんで俺がお前の役に立ってやらなきゃいけねぇんだよ!!」
「アルバイトするっていってるでしょ! タダで高級触媒くれなんて言ってない!」
「ふざけんな! お前の働きなんてはした金にしかならねぇよ!」
「じゃあ、出世払い――」
「出世の見込みがないくせに、出世払いとか言うな!!」
隣のユラが呆れているのにも気づかず、ノギは言い捨てる。
「出世するもん!」
「するか、バーカ!」
もう、子供の喧嘩である。いい加減に止めようとしたユラの手をノギは急につかんだ。もう片方の手にはバスケット。そして、翼石に念じる。
この言い争いは不毛だと、ノギはようやく気づいたのだ。面倒なので、ハトリを放置してさっさと青海波の浜へ飛ぶことにした。
キラキラと、光が二人を包み込む。二人の姿が細かな光になり、その光が空へと向かう。
ハトリは空を見上げながら腰のポシェットを探った。
「逃がすか!」
ハトリが取り出したものも、翼石である。けれど、赤紫色の光を放つそれは、ノギたちが使ったものとはまるで違う、高性能のものだ。使用回数と距離が格段に高い。繊細な装飾すら施された石は、ハトリの持つ唯一の財産と言ってもよかった。
石の力を使い、ハトリもノギたちを追う。