③青海波の浜〈1〉
ここはライシン帝国。
人為的に超常現象を引き起こす『魔術』を操る『魔術師』が多く暮らす国。
その魔術師たちも何もないところから魔術を発生させることはできない。『触媒』と呼ばれる魔術のもととなるアイテムが必要なのだ。
ルクスと呼ばれる魔力を含むものを総称して触媒と言い、『触媒屋』なる人々が体を張って調達してくる。
魔術師とは違い、触媒を消費せず、自分の身ひとつで戦う彼ら。
秘境に分け入り、怪物と戦い、触媒を入手する彼らがいてこその魔術師であるが、触媒屋自身は表舞台に立つこともない日陰の存在である。
そのはずである――。
春真っ只中の真朱の月。
触媒屋を生業とする少年ノギは、大きくひとつ伸びをするとベッドから飛び下りた。滑らかな髪に寝癖はつきにくい。
ノギの寝起きは常によかった。朝はやることがたくさんあるのだ。いつまでも寝ていられない。
寝衣を脱ぎ、薄手の上着に袖を通すと、ノギは部屋を出た。
まず、瓶から水を汲み取ると、桶に移して顔を洗う。ちなみにこの瓶も魔術アイテムである。魔術師たちが開発したアイテムは、一般家庭でも普通に使えるように工夫されている。この瓶に練りこまれた触媒のルクスと、刻まれた紋様の効果が切れるまでは常に新鮮な水が湧き出る仕組みである。
顔をタオルで拭くと、ノギは朝食の献立を考えた。まず、食材の保存庫である氷箱の中身を思い浮かべ、それから決める。
献立さえ決まってしまえば後は早い。
大きめの陶器の鍋を戸棚から取り出すと、そこに冷凍してあった鶏ガラスープを入れて火にかける。そこへ、白く細かな『メコの実』の種子を投入した。こうして炊くと、メコの種が出汁を吸ってくれる。
くたくたと炊くうちに、薬味の準備に取りかかる。
まず、青ギネを小口切りにし、香草も微塵切りにした。次に、香ばしくローストした豆を砕く。それから、昨日の残りのパンを小さく切って油で揚げた。保存してあった焼き豚も細かく刻む。金糸卵も作った。
数種類の薬味を小皿に乗せてテーブルに広げると、それだけでも色彩豊かでノギは満足だった。
深めの茶碗とおそろいの陶器のスプーンを配置し、中央の鍋敷きに炊き上がったメコの実の粥を置く。ふたは、まだ開けない。
支度が整うと、ノギは別室の『家族』を呼びに向かうのだった。
「ユラ、おはよう。朝食できたよ」
「おはよう、ノギ。いつもありがとう」
そう言って微笑む少女のユラは、うっとりするほどに綺麗で可愛い。
今日は白いフリルのブラウスに段染め糸を使ったカーディガン。ふわりとしたスカート。
「今日も可愛いよ」
素直にそう言うと、ユラはクスクスと笑った。
「私以外にもそういうことが言えたらいいのにね」
そんなこと、絶対に言わないに決まっている。ノギは、ユラ以外なんてどうだっていいのだ。
「ユラ以外に可愛いって言葉が似合う人間がいないから、使うところがないだけだよ」
あはは、と笑いながら人類の半数を敵に回しそうな発言をする。ベッドに座っていたユラは嘆息しつつ立ち上がった。
「じゃあ、ご飯にしよ」
二人は、そうしてテーブルについた。
ノギはキッチンミトンをはめた手で、勿体つけつつ鍋の重たいふたを開けた。向かい合った二人の視界を覆う湯気と、食欲をそそる粥の匂いが立ち込める。その途端、急に空腹を思い出した。
塩加減を調節しつつ丁寧に粥をよそうと、ノギはユラに茶碗を差し出した。
「熱いから気をつけて。好きな薬味をトッピングしたらいいよ。何杯食べても飽きないように、色々用意したから」
「うん、ありがとう。いただきます」
最初、ユラは香草と豆を組み合わせて食べ始める。ノギは焼き豚と青ギネにした。
出汁がよく染みている。朝の体に優しい一品だった。
ハフハフと粥を冷ましながら食べるユラはやっぱり可愛い。ノギはそれだけで満足だった。そう、可愛らしく、可愛らしくない食欲を見せて粥を食べているとしても。
このままユラに見とれていると一日が終わってしまうので、ノギは軽くかぶりを振って本題に入るのだった。
「えっと、今回の依頼は『青海波の浜』の近海にある、『泡真珠』だ。あれは本気で稀少だからな。上手く見つかるといいけど……」
真珠なのだから、貝の中に守られている。ただ、貝の外見では真珠があるのかないのかを判別できない。それを地道に探せというのだ。
「もしかすると、発見できなくて徒労に終わるかもしれないってことね」
ユラがそうつぶやくと、ノギは顔をしかめた。
「そういうのが一番嫌だ。タダ働きなんて、最悪だからな」
「でも、仕方ないわよ。毎回毎回上手く行くとは限らないもの。依頼があった以上、探すだけ探さなきゃね」
そうユラに宥められても、ノギはしばらくぶつぶつ言っていた。
タダ働き、慈善事業、そんな言葉が大っ嫌いなノギである。




