お願いと書いて命令と読む
連れてこられた場所は、普段生徒は立ち入りを禁じられている科学実験室だった。
なんでも、出入り自由だった昔に生徒が誤って危険な薬品を落としてしまい、大惨事になったとかで、以来科学実験室は厳重に鍵で封鎖され、教師もよほどの用がない限り鍵は借りられないというほどだ。
生徒の間では『呪いの科学実験室』といった名称が付けられ、七不思議の一つとされている(後藤情報)。
…だというのに、先輩は堂々と鍵穴に鍵を通し、ズカズカと我が物顔で中へと押し入って行った。
ひこずられている俺も当然、入る羽目になる。
中は、やけにカビ臭い匂いが充満しており、カーテンが窓全体を覆っていた。
かすかに隙間から光が漏れる以外に明かりはなく、急な明暗の差に一瞬視力を失った。
先輩が教室に入るとすぐに扉を閉めてしまったため、なおさら闇が広がり、軽く恐怖を覚えた。
なにか言わなければと口を開くも、乾いた空気ばかり吸い込んでしまい、喉が枯れてしまっている。
先輩は握りしめていた俺の手をパッといきなり離すと、これまた勝手に歩き出してしまった。
「え、待っ…!」
暗がりでいきなり一人にされたような孤独感に無我夢中で先輩のいた方に手を伸ばすも、空しく空気を掴むだけだった。
別に暗所恐怖症でもなんでもないけどさぁ…!
さすがに恐い。
俺は足音のしている方へ向き直り、叫んでいた。
「先輩っ!なんなんですか!暗くてなんにも……うわっ!眩しッッ!?」
シャーッという軽快な音と共に視界が黒から一気に白へと切り替わった。
あまりの眩しさに目を手で抑えこんでしまった。
その間もシャーッシャーッといくつもの音と共に世界が明るくなっていった。
おそるおそる瞼を開けると、黒いカーテンがすべて開け放たれた埃まみれの教室が目の前に広がっていた。
こうして見ると、なんの変哲もないただの教室だ。
どの辺りが不気味だったのか不思議なくらいだ。
周りを見渡すと、先輩がカーテンを綺麗にまとめ終えていた。チラリとこちらを見てから教卓の埃を払いのけ上へ飛び乗った。
教卓の上に座り、足を組みこちらを睨みつける姿はまるで女王様だ。
マゾヒストさんがこの場にいれば、喜んで膝まづいただろう。
しかし、あいにく俺はマゾではなかったので、仁王立ちしたままで先輩と対峙した。
…ぶっちゃけめちゃくちゃ帰りたい。
「せ、先輩、あの、なんで俺をこの部屋に?」
先輩は腕組みをしてから、つまらなそうに答えた。
「あなたを話を聞かざるを得ない状況に追い込みたかったからよ。この部屋から出るには、私たちが入ってきたあの扉から出るしかないの。窓は錆び付いてて開かないし、鍵は私が持ってるこれだけ」
そう言いながら、先輩は制服のポケットから小さな鍵を取り出して見せた。
「あなたはただ黙って私の話を全て聞いているだけでいいの。そうすればこの鍵は渡すわ」
そもそもなんで先輩がこの部屋の鍵を持ってんですか。と反射的に聞きそうになったが、その前に先輩が話を続けてきたため、俺はあわてて口を閉じた。俺の様子に気がつかなかったらしく、気にする風もなく宮井先輩は少し苛立ちの含んだ声を出した。
「…後藤君に頼んだのが間違いだったかしら。彼、私や別の人にならなかなか口は達者なのに、あなた相手だとまるで駄々をこねる子供みたいだったわ。
仲が良すぎるというのも考えものね」
「別にあいつとはそこまで仲いいわけじゃ…って!さっきの会話、聞いてたんですか!?」
先輩は今度は反対側のポケットから携帯電話を取り出した。
「通話状態で後藤君に持たせてたの」
あの野郎…!どこまでも犬に成り下がりやがって!
後藤への怒りを溜めながら、俺は息を吐いた。
この怒りは必ず後で奴にぶつけてやる。
今は目の前の女王様だ。
「それで先輩の話ってなんなんですか?さっき教室で、俺にも利益があるとかなんとか言ってましたけど」
宮井先輩は表情一つ変えず、頷いた。
「私のあなたへのお願いはただ一つ。私の周りで起こっている奇怪な現象を、二度と起きないようにして欲しいの。代わりにあなたの望む報酬は何でも叶えてあげる」
「…なんか最初に言ってたのよりハードル上がってません?」
「言い方を変えただけよ。さあ、望みを言いなさい」
なんだかすでに了承したものとして扱われている様子にあわてて止めに入る。
「ちょ!ちょっと待ってください!まだやるとは言ってませんよ!」
先輩はムッとした顔になり、俺を見据えた。
「断ると言うの?なぜ」
「な、なぜって!普通に無理だと思ったからですよ!」
「無理?」
「そうです!無理ですよ!有名な霊能力者さんたちに頼んでダメだったんでしょ?なら、俺なんかなにやっても無駄ですよ!」
勢いあまってゼーハー息を切らす俺に先輩はつまらなそうに腕を組換えた。
「無理だとか無駄だとか、聞いててちっとも納得できないわね。諦めて欲しいなら私が納得できるだけの言い分をしなさい」
「そ、そんな無茶な…!」
横暴にも程がある言い草に目を白黒させるしかなかった。
宮井先輩は、俺に構わず続けた。
「だいたいあなた、本当に山手君なの?後藤君から聞いた話とずいぶん印象が違うのだけれど」
「聞いた話って…」
おそるおそる聞き返すと、やはりというべきか、呆れて物が言えなくなった。
「『山手は霊媒師としては一流なので、先輩の抱えている問題を無事解決してくれますよ』…と、笑顔で語ってくれたわ」
「……………」
「不本意極まりないって顔ね」
「…わかりますか」
げんなりして先輩を見る。そんな情けない態度をとったところで、先輩が同情の視線を向けてくれることはなかったけれど。
「本当は違うのかしら」
「当然です!」
キッパリと断言すると、先輩が問いかけてきた。
「なら、本当のあなたはどういう人なの?」
先輩の目が異様に鋭くて、思わず息を飲む。
さあ、和也。言ってやれ。事実を知れば先輩もきっと諦めてくれる。
「俺は、つまらない男です。霊能力とか不思議な力なんてないですし、どこにでもいる平凡な一般市民です。先輩の力になれるような大それた奴じゃ…」
「つまらない。平凡。一般市民。それがあなたなの?」
俺は再び息を飲んだ。どうしてだろう。先輩に問われたことはその通りだったし、認めてしまえばいいのに、なぜか上手く口が動かなくなったのだ。
なにを戸惑ってんだよ。自分で言ったことじゃないか。早く肯定しなきゃ…肯定。
頭の中をグルグルと自問自答が飛び交う。
ーーーつまんないヤツ。
頭の奥の奥にしまってあった過去の記憶の断片が蘇り、思考が完全に停止した。
「ーーーがう…」
「なに?聞こえないわ」
「違うッ!!」
叫んでからハッとした。先輩がキョトンとした顔でこちらを見ているのを確認して、一気に何を言ってるんだと頭が冷えていった。
「……あ、えっと、すみません!今のは、」
「そう。違うのね」
先輩はすでにいつもの先輩に戻っており、少しだけ残念に思う。
先ほどの先輩は、なかなかにレアな感じではなかっただろうか。
それこそファンの人に言えば、『しねッ!氏ねじゃなくて死ねッ!』と羨ましがられるくらいにはレアだった気がする。
…などと、どうでもいいことを考えている間に先輩はヒョイとこちらに手に持っていた鍵を投げてよこしてきたため、俺はあわてて受け取る羽目になった。
「ひとまず、今話しておきたいことはこれだけ。詳しい話は、また改めて連絡するわね。
聞いてくれてありがとう」
「あ、いえ。どういたしまして…?」
礼を言われ、思わず応えてから首を降る。
「ち、違う違う!違いますよ!さっきのは…」
「そうよね。違うのよね」
先輩は分かってるからと言わんばかりに頷いた。
「あなたは平凡でも一般市民でもなく、やはり特別な力を持つ特別な存在なのよね」
「いや!だから、それは…」
先輩は俺の発言を遮り「あぁ。そうそう」と、思い出したように口を開いた。
「ごめんなさい。私ったら、自己紹介もまだだったわね。名前は宮井米子。あなたより二学年上の三年生です。好きなものはミカンと弓道。それから…」
急に立板に水のごとく自己紹介なんてされても、どうすればいいのかわからないんですが。
状況についていけてない俺は、先輩になに一つ返せない。先輩もこちらの返しなど期待していないようだ。
「嫌悪するのはレバニラと虚言。とくに男の二言は一番許せないの。軽く殺意を抱くほどに…」
低く唸るようにつぶやいてから俺を見て、微笑んだ。
「分かってくれたかしら?」と明るく告げる先輩は、だが決して目が笑っていなかった。