溺愛義弟は、今日も悪役令嬢のロジックを破壊する。
代々、帝国屈指の魔術師を輩出してきた名家。フォンタナ公爵家。
建国当初に建てられた荘厳な邸宅から響く声は、名家フォンタナにそぐわないものだった。
「お、お嬢様!申し訳ありません!どうかお許しを……!」
強大な魔力の代償か、フォンタナに産まれる子供達は皆、感情の一部を欠落したように、問題のある子ども達が産まれた。
長女である、アデライドも例外ではなかった。
「謝罪は聞きました。もう連れて行きなさい。たしか我が家の家法では、主人の私物を壊せば片腕を切断して追放だったかしら?」
淡々としたその言葉を聞き、地面にひれ伏したメイドは更に小さく悲鳴をあげた。
それを無の表情で見下ろす、アデライド・ジル・フォンタナ。齢9歳にして、この落ち着きよう。その様子を見ている公爵家の使用人達は息を呑んだ。
「やはり氷のフォンタナ。アデライド様も受け継いでいらっしゃる……!」
「恐ろしいわ。感情が欠如してらっしゃるのよ……!」
衛兵がメイドを連れて行こうと腕を掴む。メイドは絶望した顔でアデライドを見た。
――その時、騒然とした公爵邸の中庭に、突如として風が柱となって立ち上がった。
「わぁっ?」
「何っ?」
慌てる使用人達に制止の手を上げて黙らせ、アデライドは落ち着いて風の柱を見つめた。
「おかえり。レオニス」
風の柱から現れたのは、レオニス・アーク・フォンタナ。フォンタナ家の長男であり、アデライドの弟である。
彼もまた、齢8歳にして落ち着き払っている。アデライドと容姿は全く似ていないが、フォンタナ公爵家の子息であることが窺えた。
(またか……)
レオニスはアデライドを見、衛兵と連れて行かれそうになっているメイドを見やった。
微笑みながらアデライドに一礼をして、手にキスをする。
「只今戻りました」
そしてアデライドの後に控えていた侍従に冷たい視線を向けた。
「リーディス。どういう状況だ?」
リーディスはフォンタナ家に仕える執事の一人だ。フォンタナ公爵家では、家人1人1人に執事が付いている。現在、アデライドに付いているのがリーディスである。
リーディスは青ざめた顔で言った。
「そちらのメイドが、お嬢様がお世話をしていた鳥を死なせてしまったのです」
「鳥……?」
アデライドの掌に、ガーゼに包まれた桃色の美しい羽根が見えた。
(本当だ……。姉さまが鳥の世話を?いつの間に……)
レオニスは驚いたが、落ち着いた声音で言った。
「なるほど……。それで姉さまはメイドを罰しようとしていたんだね?どんな罰を?」
アデライドが先ほどの台詞をもう一度言う。やはり淡々と。
「主人の私物を壊したのですもの。フォンタナの家法では片腕を切断して追放でしょう?」
ゴホッ!!
レオニスは思わず咳込んだ。
(まじか。こわ。フォンタナの家法)
「レオニス?」
アデライドが首を傾げる。瞳には特に何の感情も見えないが、おそらく、咳込んだレオニスを心配しているのだろう。
レオニスは一度息を吐いた。そして諭すようにゆっくりと言った。
「そのような家法が我が家にあったのですね。勉強不足でした。……姉さま。その鳥は物ではありませんので、私物には入りません」
「……そうね」
「物ではないので、『壊す』も違いますね」
「……ええ」
「そしておそらく、その鳥は野鳥でしょう?うちに来た時点で弱っていたと思われます。死んでしまったのは、メイドの責ではないでしょう」
「……」
最後に微笑を称えてもう一言付け加えた。
「そして第一に、その罰は重すぎます」
アデライドが少し目を見開く。
「……そうなのね」
「ええ。その罰は家で起こる問題にはどれも適しておりません。父上に言って変えてもらいましょう」
「……でも…」
アデライドが口を開く。しかし歯切れが悪い。
レオニスはアデライドの手に握られたガーゼごと、両手で優しく包んだ。
「でも鳥が死んでしまったのは悲しかったですね。一緒に裏庭へ埋葬しましょう」
アデライドは少し目を見開き、微笑んだ。
「ええ。そうします」
その控えめな微笑みは、普段アデライドの表情を見慣れていないと気づかないほどの微かな微笑みだ。
レオニスもその笑みを見て、思わず顔が緩む。
くるりと後を向き、使用人達に指示をする。
「裏庭にスコップを用意してくれ。僕が穴を掘る。墓板にちょうど良さそうなものがあれば、それも」
「レオニス様」
リーディスがおずおずとレオニスに声をかける。
レオニスはちらりと視線を向けた。
(咎めなしで終えるなと言うことだな?分かっている)
「ふむ。とはいえお咎めなしとはいかない。メイドには通常の業務と、下水の清掃を追加で行うように。更に反省文を提出するよう……」
「レオニス様、このメイドは文字が書けません」
リーディスの言葉に、レオニスは半眼で答えた。
「ならばお前がメイドの反省を聞け。お前にも咎めがあるぞ。主人が間違った対応をすれば正すよう努力しろ」
子供とは思えぬドスの効いた声を出し、レオニスは言った。
(僕の帰りが遅ければ、メイドの腕が切られていたって事じゃないか)
そんな罰を、アデライドから与えさせる訳にはいかない。
リーディスは頷き、頭を下げた。
「御意に」
◇
「後は自分でするからもう下がっていい」
帰宅後のごたごたも収まり、夕食も食べ、レオニスは自室に戻った。ほっと息を吐く。
先ほど父であるフォンタナ公爵に、家法の変更を進言した。
公爵はレオニスの説明を静かに聞き、頷いて言った。
『分かった。検討しよう』
家法に重きを置いていないのもあるが、8歳のレオニスの意見に耳を傾け、尊重するのには訳がある。
レオニスはフォンタナ家の養子である。
元はこの帝国の皇族であり、現皇帝の歳の離れた弟――皇弟だった。
(……公爵家の子になってまだ数年しか経っていない。公爵が未だ皇弟として接してしまうのも仕方がない)
現皇帝は皇太子の頃からすでに子をもうけていた。そのため、三年前に即位した際、将来の皇位争いの火種にならない様、皇弟であるレオニスをフォンタナ公爵家の養子に出したのだ。
そしてゆくゆくは公爵家を継ぎ、フォンタナの血筋を絶やさぬよう、アデライドを伴侶として帝国を支えていく――。
これは秘匿された話ではなく、高位貴族であれば誰もが知るところだった。
レオニスはベッドに頭から突っ伏した。
(――はぁ。今日も……)
一呼吸置き、レオニスは心中で叫んだ。
(【6人の騎士と白亜の聖女】のアデライド、可愛いかったあぁぁーーーーーッ!!)
「……ッ」
心中で叫ぶだけでは足らず、足と腕をバタバタと動かす。
(アデライドが……!【6聖】のあのアデライドが、未来の僕のお嫁さん…!!)
何度も想像したことだが、考える度に悶えてしまう。
レオニスは養子だ。故にフォンタナの特性と言われている感情の欠如には当てはまらない。幼くして落ち着き払っているのは、レオニスが転生者であるからだった。
転生前の記憶を思い出したのは、フォンタナに来てすぐの頃だ。アデライドに会うたびに感じた妙な既視感。初めは戸惑ったが、レオニスは記憶を徐々に思い出し、一年経った頃には完全に前世の記憶を思い出していた。
――享年27歳。そしてこの世界が、生前大好きだったゲーム【6人の騎士と白亜の聖女】の世界と瓜二つであることも。
【6人の騎士と白亜の聖女】通称【6聖】は魔術学園を舞台とした恋愛シミュレーションゲームだ。主人公の聖女が、6人の男性から好感度を上げながら学園生活を送り、最終的に一人選んで卒業と共に結ばれる。王道は王道なのだが、声優陣が豪華だったのと、それぞれ選ぶキャラクターにより難易度が変わったり、界隈ではそれなりに人気を博していた。
レオニスは、自身が攻略キャラクターであることにすぐに気付いた。なぜなら、レオニス選択ルートが一番好きで、何周もプレイしたからだ。レオニスルートに出てくる、悪役令嬢アデライドが好きすぎて。
初登場時から、エンディングまで、ほぼ無表情だったアデライドの、最期にみせる懺悔の言葉と微かな微笑み。それに魅せられ、それを見るために何周したことか。
姉であるアデライドが、【6聖】のアデライドだと気づいた時には思いきり泣いた。アデライドにしがみついて泣いたものだから、その日ばかりはアデライドも困惑し、泣きながら離れない義弟を宥め、なんと泣きつかれて寝るまで手をつないでいてくれた。
(感情が欠落している訳ではないんだ。少し疎い気はするが、彼女にも……父上にも感情はある)
レオニスは決意を新たに拳を握りしめた。
――アデライドの笑顔がもっと見たい。たくさん笑えるようにしてあげたい。
◇
「メイドがいなくなった?この間、姉さまの鳥を死なせたメイドか?」
朝、レオニスは報告を聞いて眉を顰めた。
「はい。今朝メイド長が報告に来ました」
「昨日はとりあえず自室での謹慎を命じたよな?誰も部屋を見張っていなかったのか。父上はなんと?」
レオニスの執事、ジーニアスは言葉に詰まりながら言った。
「閣下は害はなさそうなので放っておくようにと」
レオニスは呆れた声を出した。
「……前から思っていたが、父上は邸宅の管理に関しては甘すぎないか」
主人に「感情がない」などと陰口を言ったり、落ち着きがなかったり……仮にも公爵邸の使用人として品位に欠ける。
「夫人が亡くなられて、取り締まる方がおりませんので……」
ジーニアスに言っても仕方がないのは分かっている。
(いなくなったメイドは気になるが……アデライドを恨んだりしてないよな?刑罰も軽くしたのに……何故出て行った?)
思案しているとジーニアスが言った。
「坊ちゃまの進言を、閣下は早速実行なさいましたよ。今朝我々に宣言されました」
『私物にもよるが、片腕の切断と追放はなしにする。罰役。反省文、字の書けぬ者は執事長へ反省を述べるように』
それを聞き、レオニスは微笑った。自分で言ったことだが、冷徹侯爵と名高い父の口から『反省文』などという言葉が出るとは。
「坊ちゃまのおかげで、我々一同、気を張り過ぎずとも働けるようになりました」
「気を抜き過ぎないでくれよ」
「もちろんでございます」
そう言ってジーニアスは頭を下げた。
食堂からの帰り、外を歩くアデライドが見えた。無表情のまま花を持って歩いている。
(向こうは裏庭の方角だ)
昨日埋葬した鳥の墓へ供えるのだろう。
アデライドが悪役令嬢になった原因は、間違いなくこの公爵家の在り方だ。
アデライドも、父も、本当は素直な人たちだ。こちらが真摯に向き合えば、ちゃんと伝わる。
なら、少しずつ変えていけばいい。急がず、けれど確実に。この公爵家の在り方を変えていかないと。――悪役令嬢らしい理屈に陥らないように。
◇
――5年後。
【6人の騎士と白亜の聖女】物語の始まる、魔術学園の入学式。レオニスはゲームのスチル通りのクリーム色の制服を着て、学園を訪れた。
馬車から降り、学園の高い尖塔を見上げる。
(おお…実際にこの目で見れるとは)
少し感動して、くるりと向きを変え手を差し出した。アデライドがその手をとり馬車を降りる。
5年前まで同じくらいだった背丈は、レオニスがすぐに抜かして今では20cmほどの差がある。アデライドがレオニスを見上げて言った。
「レオニス、入学おめでとう」
「姉上、ありがとうございます」
まだぎこちないが、この5年でアデライドは柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。
(か、可愛い……)
脳内でレオニスが悶えていると、辺りが少しざわついた。
「まあ。あそこにいらっしゃるのはフォンタナ公爵家の令息ではなくて?」
「お噂どおり、素敵な方ね」
「隣の美しい方はどなたかしら」
近くの令嬢達の声が聞こえる。この容姿で十数年生きてきたので、騒がれることにレオニスは慣れてしまった。
藍色の髪に、鋭く光る金の瞳。黙っていれば冷たく顔の整った、攻略対象が故の見栄えの良い容姿である。
たしか公式サイトには『風魔法を得意とする、元皇族の冷酷騎士』と書いてあった。ちなみに金の瞳は皇族の証だ。昔は風属性の魔術が得意だったが、この5年で他の属性の魔術も究めたので現在は突出した属性はない。
(概ね僕の容姿もスチル通りになってしまった。筋肉をもっと付けようと鍛錬したけど、公爵家の騎士たちみたいに厚みのある筋肉は結局つかなかったし)
そこに関しては残念と言わざるを得ない。平均よりは筋肉は付いたが、アデライドを護る屈強な身体を作り上げたかったのだ。
アデライドは年々、花開いたかのように美しくなった。ツンとした表情はそのままだが、滑らかな銀髪に透き通る空色の瞳。つり目気味ではあるが、ゲームのスチルのように冷たさは感じない。
周りの令息達の視線から隠したくて堪らないが、腐っても高位貴族である。それも皇族の次に高貴な立場だ。レオニスはエスコートの手を離さないまま、足早にアデライドを連れて入学式の会場に向かった。
既にストーリーは始まっている。会場に着く前に、一度ヒロインである聖女と攻略対象が出会うのだ。
レオニスは何度も記憶を辿り、シミュレーションをした。
(レオニスルートは、難易度が高い。普通に会場に行くなら通らない場所だ)
しかし万が一にも会いたくないので、どの攻略対象よりも早く会場に入る。ヒロインが誰かと接触している間に。
近道を突っ切り、レオニスは会場に入った。ヒロインに会わなかった事に安堵のため息を吐く。
「レオ?どうしたの?」
ここまで無言で付いて来たアデライドだったが、いつもと様子の違う義弟が心配になったようだ。
「あ、ごめん姉上。腕が痛くなかった?」
レオニスは慌てて手を離した。
「私は大丈夫よ。レオニス、具合が悪いなら医務室へ行きましょう?」
アデライドがレオニスの顔を覗き込む。心配そうな瞳に、抱き締めたくなる衝動をレオニスは抑え込んだ。
「ありがとう姉上。具合が悪い訳じゃないから大丈夫」
レオニスはそう言って微笑み、アデライドを見つめた。するとアデライドがサッと視線を逸らした。
「そう、ならいいけれど……」
最近そういうことがある。先ほどの様に明らかに視線を逸らされると、レオニスも少し傷つく。
(僕は何かしてしまったのだろうか?見つめすぎた?)
レオニスはアデライドを保護者席に案内しようと、もう一度アデライドの手をとる。気のせいか、アデライドの顔がいつもより赤い気がする。
(具合が悪いのはアデライドの方じゃないか?)
レオニスが、口を開こうとしたその時、甲高い声が会場に響いた。
「――見つけた!レオニス・フォンタナ」
自分の名を呼ばれ、レオニスは声の方向を注視した。すると見覚えのある桃色の髪の女生徒が、息を切らせて立っていた。
(ヒロイン……聖女じゃないか)
「な、なんのバグよ……とにかく見つけられてよかった」
息を整えながら呟くヒロインの言葉に、レオニスは総毛立った。
『――バグ』
そんな言葉を使うのは異世界人ではあり得ない。
(こいつも転生者か……!)
その可能性は考えていなかった。ヒロインがレオニスを狙ってきても、自分が原作通りに行動しなければ、レオニスルートそのものが成立しないと思っていた。
自分と同じ情報を持ったヒロインが、"レオニス"に――自分に狙いを定めている。
動揺を隠せず、冷や汗が流れる。レオニスの様子がおかしい事に気づいたのか、アデライドが繋いだ手に力を入れた。レオニスに習ってヒロインに警戒の視線を向ける。
(……大丈夫だ、落ち着け)
アデライドの手をしっかりと握り返して、自身を叱咤する。レオニスはヒロインを見据えた。
「あっ、隣にいるのはアデライド?まだ婚約者じゃないよね?お姉さんだよね?」
レオニスとアデライドは呆気にとられた。アデライドの表情は変わらないが、瞳が少し見開いている。
(驚いているな。それはそうだ。内容を知っている僕さえ唖然としてしまう)
ヒロインであるルナマリア・デュクセンは男爵家の令嬢だ。親しみやすく素朴な話し方で、高位貴族の攻略対象達の心を開いていく――のだが、実際に聞くと抵抗がある。
(公爵家の令嬢を呼び捨てとは……しかも聞き間違いでなければ、さっき僕の名前も敬称なしで呼ばれた気がする)
ゲームではここまであからさまではなかったはずだ。
アデライドがレオニスの前に出た。レオニスが止める間もなく、ぴしゃりと言った。
「貴方、いくら学園では身分の上下はないと言え、いきなり呼び捨てとは看過できないわ」
ヒロイン――ルナマリアはぽかんと口を開けた。そして嘲笑するように言った。
「え……やだ。こわぁい。噂を聞かなくて変だなと思ってたけど、やっぱり悪役令嬢ね。アデライド」
突然の侮辱的な発言に、周りの生徒は騒然とした。アデライドはここ数年、公の場に姿を出していないので、知らない生徒もいるが、レオニスの金の眼を見れば、彼が公爵家に養子として出された皇弟であることが分かる。加えて、婚約者のいないレオニスが手を引く女性など一人しかいないのだ。
この発言には、さすがのレオニスも眼が据わり、こめかみが動く。冷ややかな視線を向けると、ルナマリアは意に介さずにこりと微笑った。
「レオニス様、ずっとお会いしたかった。徐々に距離をつめて行くストーリーだけど、あなたの気持ちはわかってるもの。今日から仲良くしてほしいな」
身体をねじりながら言うルナマリアに、レオニスの頭は急激に冷えていく。
「……僕の気持ちとは?」
レオニスの言葉の温度に、気付いていないのはルナマリアだけだ。周りの生徒達はハラハラしながら見守っている。
「え?威圧的で高慢な姉に嫌気がさしているのでしょ?」
「姉上は威圧的でも高慢でもありません」
「冷たくて非道って設定…いえ、聞いてるわ」
「僕の耳には届いたことはありませんね」
「アデライドが姉だなんて虫唾が走るって言ってたじゃない」
アデライドの握った手がびくりと反応した。顔色が少し悪くなっている。
レオニスは大きくため息を吐いた。アデライドの空色の瞳が揺れる。
「姉上、あんな者の言葉に耳を傾けないでください」
そう言うと、レオニスはアデライドを抱きすくめるように引き寄せた。
「言ってない。こんなにも綺麗で可愛らしい姉上に、そんなこと思うはずがない」
よく通り、会場中に響く声でレオニスは言った。
「な……レ、レオ?」
完全に抱きすくめてはいない。だが腕の長さから逃げられないようホールドしているので、アデライドは狼狽え、真っ赤になり身をよじっている。その仕草は、確かに誰が見ても可愛らしく映った。
誰よりも困惑してルナマリアは叫んだ。
「え?どういうこと?だって他の生徒もそう思ってるはずでしょう?アデライドは怖くて逆らえないって……!」
ルナマリアが周りを見て固まった。怪訝そうな目を向ける者、呆れた眼差しでみる者、白けた表情をしている者。ようやく違和感に気付いたのか後ずさる。
「こ、ここにいるのは新入生が多いから知らないかもしれないけど、アデライドは学園でも威張って手が付けられない先輩なのよ……!」
レオニスは腕の中で固まっていたアデライドを解放して、ルナマリアを見据えた。
「君はさっきから何を言ってるんだ」
「だ、だから……!彼女は上級生たちにも怖がられて……え?」
ルナマリアはアデライドを見て、固まった。
「どうして制服を着ていないの?」
レオニスは冷笑を浮かべた。
「そもそも、姉上は学園の生徒じゃない」
「えっ」
「今日は多忙で来れない父の代わりに、式に参列してくれただけだ」
本当は来させたくなかったが、どうしてもレオニスの入学を祝いたいと言うので仕方なかった。
「ど、どうして?」
ルナマリアが狼狽える。「そんな……シナリオと違い過ぎる……」と呟くのが聞こえた。
レオニスは説明してあげることにした。
(誉れ高いことだからな)
誇らしげに口を開く。
「姉上は、ここ数年の帝国への魔術貢献……主に医術・回復系の功績が認められて、魔塔から声がかかったんだ。今は魔塔主の唯一の弟子として魔塔で修行されている」
誇らしそうに言うレオニスを見て、アデライドが顔を赤くしている。生徒達はその様子を微笑ましく見る者もいる。レオニスは更に言った。
「冷酷?高慢?とんでもない。ここにいる生徒達も少しは噂を聞いた事があるだろう?」
近くにいた女生徒が、おずおずと口を開いた。
「ええ。私の弟も、事故で後遺症の残るひどい怪我を負いましたが、アデライド様に治していただきました」
その言葉を皮切りに、他の生徒達も口々に発言する。
「医療ボランティアで働くところを遠くからお見掛けしましたが、優しく微笑んでおられましたよ」
「私の祖母もアデライド様の発明した魔道具で腰痛が和らいだと言ってました」
「まあ。魔道具までお作りに?優秀な方なのね……!」
うんうんと、満足そうにレオニスは何度も頷く。
ルナマリアは青ざめて、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。そして呟くように言った。
「なにそれ……誰の事……?」
まだ納得できないのか、ぱくぱく口を開け閉めしている。
騒ぎを聞きつけた教員が、ルナマリアを会場から連れ出した。
入学式は滞りなく進められた。新入生代表の挨拶をしたレオニスが、壇上からアデライドを見ると、何やら複雑そうな顔で見つめられている。その顔もまた可愛くて、口元がにやけてしまうのを必死でこらえた。
◇
帰りの馬車の中、アデライドは未だ複雑そうな顔をしている。
「姉上?どうされました?今日の令嬢はやはり不快でしたか?」
アデライドが少し睨むようにレオニスを見た。
「違います。いえ、違わないけど、そうではなくて……」
「では何に怒ってるのです?」
レオニスが首を傾げると、アデライドが珍しく声を荒げた。
「あ、あのように公衆の面前で抱き…引き寄せてはいけません!」
真っ赤だ。
(ええ……可愛)
レオニスは頭を振って謝罪した。
「すみません、不快でしたね」
「不快じゃなくて、婚約者もいないのに、変な噂が立てばレオが困るでしょう」
「え?」
きょとんとするレオニスに、アデライドは呆れたように言った。
「えって……。貴方はもう少し自覚しないと。そんなだからまだ婚約者の一人もいないのよ」
「……」
無言のレオニスに、アデライドは俯きながらさらに言う。
「まあ、私にも縁談のひとつも来ないから、レオのことをとやかく言えないのだけど……」
「当然です。僕がいるのですから、姉上に縁談を申し込む輩がいるわけがありません」
口を開きながら瞳に熱がこもる。レオニスは思わず下を向いた。
「え?」
アデライドが怪訝そうにレオニスを見た。
「僕はゆくゆくは公爵家を継ぎます。姉上は僕と結婚して公爵夫人になるのですよ。これは僕が養子になった時から決まっていることです」
「……」
レオニスは恐る恐る顔をあげてアデライドを見た。
「……っ」
アデライドは顔を真っ赤にさせて固まっている。空色の瞳は戸惑いから揺れているが、不快な色は感じない。艶めいた唇がわずかに揺れ、レオニスはごくりと喉を鳴らした。
誘惑に負けじと視線をそらす。
「貴方の事を、姉だなんて思ったことはありません」
「そ、それは……」
狼狽える空色の瞳を、上目遣いで射抜きながらレオニスは言った。
「意味は、分かっていただけるかと……」
二人は互いに下を向き、しばし無言の時間が続いた。
「す、少し言い方がずるいのではないの?」
アデライドの不満そうな声に、レオニスはまた頭を下げた。
「申し訳ありません。成人した暁には、はっきりとお伝えします」
レオニスはアデライドの手を握った。アデライドは振り払うことはせず、そのまま邸宅まで馬車は走った。
読んでいただき、ありがとうございます!
久しぶりの義弟もの。
レオニスの呼び方が、「姉さま」から「姉上」に変わっているのは成長の証です。
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