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第二話 バズの代償

## 一


動画を投稿した翌朝、葵のスマートフォンは通知で埋まっていた。


「桐島さん、見てください」


事務所に飛び込んできた葵に、桐島はモニターから目を離さなかった。動画の編集途中だった。


「チャンネル登録者数、昨日の三倍になってます」


そこで桐島は初めて振り返った。


「三倍」


「はい」


沈黙。桐島はゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。


「悪くない」


葵は「悪くない、じゃないですよ」と言いたいのをぐっとこらえた。


桐島はモニターに向き直り、ぼそりと呟いた。


「……銀の盾、見えてきた」


---


## 二


問題はその夜から始まった。


葵のSNSアカウントに、見知らぬアカウントからのコメントが届くようになった。


アカウント名「切り裂きジャック」——「今日も〇〇駅の近くにいたんですか?」


アカウント名「ボーン・コレクター」——「最近お疲れではないですか。無理しないでください」


アカウント名「深淵の監視者」——「いつも同じ時間に通りますね」


どれも正体不明。どれも、葵の行動を知っているような内容だった。


葵の手が震えた。


「桐島さん……全員、殺人鬼みたいなアカウント名じゃないですか」


「そうだな」


「そうだな、じゃないですよ!」


桐島は画面を見つめたまま、ぼそりと呟いた。


「……でも、これはバズる」


---


## 三


葵には忘れられない記憶がある。


大学二年の冬。毎日のように知らない男から連絡が来て、行く先々で待ち伏せされた。最終的に解決してくれたのが、当時まだ駆け出しだった探偵の桐島だった。それがきっかけで、二人はバディを組むことになった。


だから葵はわかっていた。この感覚を。背後からじっと見られているような、この感覚を。


「桐島さん、これ見てください」


葵がスマートフォンを差し出すと、桐島はコメントをざっと眺めた。


「ふむ」


「怖くないですか」


「投稿者を特定すれば済む話だ」


桐島はすでにキーボードを叩き始めていた。


その時、葵は気づかなかった。コメント欄の片隅に、もう一つのコメントが混じっていたことを。


アカウント名「sunny_days_2014」——「葵ちゃん、久しぶり。元気そうで良かった」


---


## 四


翌日、桐島はモニターに向かい、ノートパソコンをもう一台起動した。


「マチャピー、頼む」


「え、マチャピーって何ですか」葵は覗き込んだ。


「俺が魔改造したChatGPTだからマチャピーだ」


「てっきりマジカル・チャット・ピープルとかの略かと思っちゃった」


「捜査に特化してカスタマイズしてある」桐島はそれだけ言って、キーボードを叩き続けた。


数分後、マチャピーが結果を吐き出した。桐島はそれを読み込み、地図アプリと照合した。


一人目——ヘアサロン「ルミエール」のスタイリスト、中村渉、二十八歳。葵が三年通っている担当美容師だ。


二人目——歯科医院「さくら歯科」の院長、藤田誠、三十五歳。葵が半年ごとに通う歯医者だ。


三人目——近所のスーパー「フレッシュマート」の店員、木下健太、二十四歳。葵が毎週買い物をする店の顔なじみだ。


「全員、葵さんの生活圏内にいる人間です」と桐島は言った。


葵の顔が青ざめた。


「やっぱり……」


「とりあえず、この件を配信しましょう」


「え?」


「バズります」


---


## 五


葵は止めたかった。でも桐島は聞かなかった。


その夜の配信で、桐島は淡々と説明した。「葵さんが見知らぬ複数のアカウントから、行動を監視するようなコメントを受けています」


葵はカメラの前で、震える声で話した。昔のストーカー被害のこと。また同じことが始まったかもしれないという恐怖。コメント欄が一気に燃え上がった。


「許せない」「特定して」「晒せ」


翌朝には、中村渉のヘアサロンのSNSが炎上していた。藤田誠の歯科医院には嫌がらせの電話が入った。木下健太は出勤できなくなった。


チャンネル登録者数は、さらに倍になった。


---


## 六


桐島は三人の男たちのSNSを丁寧に読み込んでいた。


中村渉のアカウント——美容師らしく、お客さんへの気遣いを大切にする投稿が並んでいる。「今日のお客様、最近お疲れそうで心配」「いつも笑顔で来てくれる方が少し元気なさそうだった」。葵への言及は、純粋な心配からきていた。


藤田誠のアカウント——几帳面な性格が滲み出る投稿ばかりだ。「定期検診を忘れずに」「患者さんの健康が一番の喜び」。葵へのコメントも、次の検診を案じてのものだった。


木下健太のアカウント——明るくて人懐っこい投稿が多い。「今日もいつものお客様と話せてよかった」「スーパーって地域の居場所だなって思う」。葵へのコメントは、ただの世間話の延長だった。


桐島は椅子にもたれた。


「……全員、悪意がない」


---


## 七


「どういうことですか」葵は信じられないという顔をした。


「コメントを読み返してみろ」桐島はモニターを指した。「『今日も〇〇駅の近くにいたんですか』——これは、葵が先週の配信で『〇〇駅近くのカフェが好き』と言っていたからだ。『最近お疲れではないですか』——葵が配信中に目の下のクマを気にしていたのを見ていたからだ。全部、葵自身がSNSや配信で発信した情報から来ている」


葵はゆっくりと自分のSNSを遡った。


「……本当だ」


「三人とも、葵のことが好きなんだろう。だから気にしている。それだけだ」


しばらくの沈黙。


「私が……勘違いしてたんですか」


「そうだ」


葵はスマートフォンをテーブルに置いた。


---


## 八


葵は配信で謝罪した。


泣きながら、正直に話した。昔のトラウマで過敏になっていたこと。三人には全く悪意がなかったこと。自分の発信が原因だったこと。


コメント欄の空気が変わった。「葵ちゃん正直に話してくれてありがとう」「三人の人たちにも謝ってほしい」「むしろ葵ちゃんのこと心配してた人たちじゃん」


翌日、葵は中村渉のヘアサロンへ直接謝りに行った。藤田誠の歯科医院にも。木下健太のいるスーパーにも。


三人は口をそろえて言った。


「気にしないでください」


そして三人とも、照れたように笑った。


---


## 九


事務所に戻ると、桐島がモニターを眺めていた。


「チャンネル登録者数、また増えた」


「……そうですか」


「謝罪配信、バズった」


「桐島さんって」葵は言いかけて、やめた。


「なんだ」


「……なんでもないです」


葵はソファに座って、窓の外を見た。夕暮れの街が広がっている。


「あの三人、みんないい人でしたよ」


「そうか」


「桐島さんは、人に興味ないんですか」


桐島は少し間を置いた。


「……事件には興味がある」


葵は小さく笑った。


---


## 十


翌日、桐島はカメラを構えた。


「次はショート動画だ」


「え、また撮影ですか」葵は苦笑いした。「どんな曲使うんですか」


「ナルトダンスで良くない?」


葵は固まった。


「……ちょっと古くないですか」


「古いからこそだ」桐島は真顔で続けた。「懐かしさは新しさを生む。TikTok、YouTubeショート、Instagramリール——あらゆるプラットフォームで『懐かしいのに新しい』というギャップがバズる。トレンドを追うより、トレンドを作る側に回れ。これはSNSマーケティングの基本だ」


「……本当ですか」


「本当だ」


葵はため息をついて、カメラの前に立った。


その時——


事務所のドアがノックされた。


入ってきたのは、見知らぬ女性だった。三十代くらい。目の下に濃いクマ。明らかに憔悴している。


「あの……配信探偵さんですか」女性は震える声で言った。「警察に相談しても、相手にされなくて……折り入って、お願いがあるんですが」


桐島と葵は顔を見合わせた。


**第三話へ続く**


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