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李寧国記

【李寧国記 番外編】とある次官による重量の考察

作者: 冬生 恵
掲載日:2026/05/11

 彼の部下である唯一の女官(にょかん)(りゅう) 翠旺(すいおう)は、長年、愛嬌(あいきょう)のある化粧を施した上で仕事に臨んでいた。


 ところが、とある事件の解決を契機に、彼女は化粧をやめた。親しみやすい外見を取り繕ったまま潜入した先で、邪教徒の恨みを買ってしまったためだ。

 その邪教集団は皇帝陛下の差配により一網打尽(いちもうだじん)にされたものの、どこに隠れ信徒が潜んでいるかも分からない。以来、彼女はその凡庸(ぼんよう)に見える化粧を落とし、素顔を(さら)している。後宮に潜入していたことは、まあ、……色々、有耶無耶(うやむや)に処理された。


 

 ところで、差し当たっての問題は、彼女の素顔が──美人過ぎることだった。

 雪のように白い肌、大きな瞳、通った鼻筋、華奢(きゃしゃ)肢体(したい)。透き通るような清楚(せいそ)さと、どこか神秘的な色香を帯びた危うさ。免疫のない若い男たちの視線を、根こそぎ独占してしまうほどには、彼女は美しく魅力的だった。








「……りゅ、劉女官! もし良ければ、今度、食事会に参加していただけないでしょうか?」


 今日も新たに配属された命知らずな若者が、無謀にも翠旺を呼び止めていた。彼女は不思議そうに首を傾げ、律儀に応じている。


「食事会……ですか?」

「そうなんです! 新人同士、親睦を深めようと……! 劉女官は祓魔(ふつま)の尊敬すべき先輩であられますから、是非、ご指導(たまわ)りたく!」

「はぁ……」


 純朴に見える若者が、「あわよくば」を狙っていることなど、彼女は(つゆ)ほどにも疑ってないのだろう。彼女はその大きな瞳を(またた)かせ、朗らかに笑って頷いてみせた。


(ああ、また、勘違いさせたな──)


 ゲンナリとする彼の視線の先で、麗しい笑顔を向けられた青年たちが鼻の下を伸ばしている。彼らは鼻息も荒く、翠旺に詰め寄っていった。


「いっ、いつがよろしいですか!?」

「お酒は(たしな)まれますか!?」

「次のお休みはいつでしょうか? もしよろしければ、美味しい酒を出す店が──」








「……おい」








 地の底から響くどす黒い声に、若者たちが文字通り飛び上がる。

 彼らは恐る恐る振り返り、……彼らの高嶺(たかね)の花である唯一の女性同僚を背後から抱き締めた、生真面目ながら整った顔立ちの男を認めて縮み上がった。

 彼は見る者を片っ端から凍らせる冷えきった目で、青年たちを()め付けている。


「随分楽しそうだな? 人の妻を相手に」

「ヒッ……ヒィィッ!」


 地獄の閻羅王(えんらおう)も裸足で逃げ出しそうな笑みを浮かべ、祓魔の若き統括官・(こう) 清顕(せいけん)が暗黒の空気を背負って立っていた。配属されたばかりの若者たちは、全身をガクガクと震わせ、手に手を取りあって(おび)えている。


「こっ、高統括官……!」

「ああああの、自分たちは、その!」


 ちなみに彼らは新人道士、すなわち清顕の直属の部下の末端である。

 冷や汗を吹き出す青年たちに、清顕は特大の雷を落とした。


「次に見付けたら、呪言(じゅごん)書き取り百回な。──私情まみれで浮ついている暇があるなら、鍛錬(たんれん)でも何でもして来い!」

「はっ、はいィィィィ!」


 一方、地を(どよ)もす大音声(だいおんじょう)に毛一筋も動じず、翠旺は幼なじみ兼上官、かつ夫の腕の中で、ほけほけと笑っていた。


「清顕、今日は帰り遅いの?」

「職場では『高統括官』だろう。……終業後に陛下と打ち合わせがあるから、多少遅くなりそうだ」

「そっか。無理しないでね」

「腹減ってたら、待ってないで先に夕食済ませろよ」


 物理的な熱量を生み出しそうな二人きりの世界で、彼らは互いに見つめあっている。


(めちゃくちゃ私情挟みまくりなのは、一体どっちだよ……)


 触らぬ神に祟りなし。

 先人の金言は偉大だった。












翠旺(すいおう)ちゃん。……その、大丈夫? 統括官、重くない?」


 遠慮がちに尋ねた彼に、部下である(りゅう) 翠旺はきょとんと首を傾げてみせた。この新年で十八になった彼女は、相変わらず無邪気なものである。


 皇帝陛下の何でも屋、祓魔(ふつま)の呪術部門の実務官第二位にある(よう) 泰成(たいせい)は、(こう) 清顕(せいけん)の忠実な部下だ。

 前統括官の愛弟子という縁故で引き抜かれた年下の上司に、反発心がなかった訳ではない。だが、その実力と根性は折り紙付きで、真面目で危なかっしい彼を、泰成はいつの間にか放っておけなくなってしまった。

 気が付けば彼に引き上げられ、泰成自身も祓魔の上官に就任していたのである。


 さて、そんな上司は長年溺愛していた幼なじみである翠旺と、先頃、夫婦の契りを交わした。泰成からすれば明らさまなほどに相思相愛の二人だったが、理解出来ないことに、ついこの間まで「幼なじみだから」という大義名分を互いに本気で信じていたのである。

 あわや国家転覆の大騒動を経て、ようやく気持ちを自覚した二人だったが、それはそれで非常に暑苦しい。特に清顕は嫉妬心丸出しで、翠旺の見目に惹かれた虫のような男どもに、仕事以外の場ではいたく辛辣(しんらつ)である。

 周囲と共に「さっさとくっつけ」と見守っていた泰成だったが、開き直った清顕は別の意味で恐ろしかった。その愛情が彼女の重荷になっていないか、ふと不安になってしまったのだ。


 だが、その身を案じる泰成をよそに、彼女は能天気に笑って答えた。


「そうですか? 同世代の男性に比べたら、()せ型ですよね。……あ、でも意外と(きた)えてるというか、腕とか筋肉みっしり! って感じかも。重たいとは思わないんですけど……」

「は? ……は?」

「ぎゅーってされたら中々逃げ出せないし、我慢比べになったら勝ち目がないというか……。片手でひょいってされちゃうし……」

「待って。待って待って」


(──俺、もしかして、めちゃくちゃ際どい惚気(のろけ)話、聞かされてない? ひょいってなに!?)


 二十六歳独身には、なんとも刺激が強い話である。

 泰成は引き()った笑みを浮かべ、両手で翠旺を押しとどめた。


「翠旺ちゃん。……何の話?」

「え? 清顕の体重の話ですよね?」


 きょとんと目を見開く年下の美女に、泰成は頭を抱える。

 がっくりと項垂(うなだ)れた彼は、翠旺が「あ」と小声で呟いたことにも気付かなかった。



「──楊次官。何を無駄口叩いている?」

「……ヒィィィッ!」


 地獄の大王に仄暗(ほのぐら)い声で(ささや)かれ、泰成は本気で悲鳴を上げた。ギギギ、と(きし)む首を(だま)し騙し振り返れば、氷のような微笑を浮かべた上官、高 清顕の顔が間近にある。

 血の気の引いた泰成の顔を、清顕は冷ややかに見上げていた。清顕の背が低いのではなく、泰成が長身過ぎるため、大抵の人間は見上げざるを得ない。

  清顕はひっそりと、泰成の耳元で呟いた。


「呪言書き取り二百回。あと、鍛錬場の走り込み三十周。──悪かったなぁ、重くて」

「……なんで俺だけ罰が重いんですか! しかもめちゃくちゃ根に持つし!」


 声を荒らげる泰成を尻目に、清顕はヒラヒラと片手を振って去って行く。あれか、ついつい慣れで、名前で呼んでしまうのがいけなかったのか。


 罪作りな美女・劉 翠旺は、そんな二人のやり取りを不思議そうに見守っていた。


祓魔は科挙のような官僚登用試験のある職種ではありませんが、皇帝の何でも屋という性質上、男性ばかりの組織です。採用・人事は長官に一任されており、採用にあたっては実務試験が課されます。霊視能力を買われた翠旺は、長官の勧めで試験を受け、祓魔初の女官になりました。

市井の管理、皇帝の私的な武力組織、偵察部隊、呪術対応など、少数精鋭の皇帝直下の部署になります。

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