【李寧国記 番外編】とある次官による重量の考察
彼の部下である唯一の女官・劉 翠旺は、長年、愛嬌のある化粧を施した上で仕事に臨んでいた。
ところが、とある事件の解決を契機に、彼女は化粧をやめた。親しみやすい外見を取り繕ったまま潜入した先で、邪教徒の恨みを買ってしまったためだ。
その邪教集団は皇帝陛下の差配により一網打尽にされたものの、どこに隠れ信徒が潜んでいるかも分からない。以来、彼女はその凡庸に見える化粧を落とし、素顔を晒している。後宮に潜入していたことは、まあ、……色々、有耶無耶に処理された。
ところで、差し当たっての問題は、彼女の素顔が──美人過ぎることだった。
雪のように白い肌、大きな瞳、通った鼻筋、華奢な肢体。透き通るような清楚さと、どこか神秘的な色香を帯びた危うさ。免疫のない若い男たちの視線を、根こそぎ独占してしまうほどには、彼女は美しく魅力的だった。
「……りゅ、劉女官! もし良ければ、今度、食事会に参加していただけないでしょうか?」
今日も新たに配属された命知らずな若者が、無謀にも翠旺を呼び止めていた。彼女は不思議そうに首を傾げ、律儀に応じている。
「食事会……ですか?」
「そうなんです! 新人同士、親睦を深めようと……! 劉女官は祓魔の尊敬すべき先輩であられますから、是非、ご指導賜りたく!」
「はぁ……」
純朴に見える若者が、「あわよくば」を狙っていることなど、彼女は露ほどにも疑ってないのだろう。彼女はその大きな瞳を瞬かせ、朗らかに笑って頷いてみせた。
(ああ、また、勘違いさせたな──)
ゲンナリとする彼の視線の先で、麗しい笑顔を向けられた青年たちが鼻の下を伸ばしている。彼らは鼻息も荒く、翠旺に詰め寄っていった。
「いっ、いつがよろしいですか!?」
「お酒は嗜まれますか!?」
「次のお休みはいつでしょうか? もしよろしければ、美味しい酒を出す店が──」
「……おい」
地の底から響くどす黒い声に、若者たちが文字通り飛び上がる。
彼らは恐る恐る振り返り、……彼らの高嶺の花である唯一の女性同僚を背後から抱き締めた、生真面目ながら整った顔立ちの男を認めて縮み上がった。
彼は見る者を片っ端から凍らせる冷えきった目で、青年たちを睨め付けている。
「随分楽しそうだな? 人の妻を相手に」
「ヒッ……ヒィィッ!」
地獄の閻羅王も裸足で逃げ出しそうな笑みを浮かべ、祓魔の若き統括官・高 清顕が暗黒の空気を背負って立っていた。配属されたばかりの若者たちは、全身をガクガクと震わせ、手に手を取りあって怯えている。
「こっ、高統括官……!」
「ああああの、自分たちは、その!」
ちなみに彼らは新人道士、すなわち清顕の直属の部下の末端である。
冷や汗を吹き出す青年たちに、清顕は特大の雷を落とした。
「次に見付けたら、呪言書き取り百回な。──私情まみれで浮ついている暇があるなら、鍛錬でも何でもして来い!」
「はっ、はいィィィィ!」
一方、地を響もす大音声に毛一筋も動じず、翠旺は幼なじみ兼上官、かつ夫の腕の中で、ほけほけと笑っていた。
「清顕、今日は帰り遅いの?」
「職場では『高統括官』だろう。……終業後に陛下と打ち合わせがあるから、多少遅くなりそうだ」
「そっか。無理しないでね」
「腹減ってたら、待ってないで先に夕食済ませろよ」
物理的な熱量を生み出しそうな二人きりの世界で、彼らは互いに見つめあっている。
(めちゃくちゃ私情挟みまくりなのは、一体どっちだよ……)
触らぬ神に祟りなし。
先人の金言は偉大だった。
「翠旺ちゃん。……その、大丈夫? 統括官、重くない?」
遠慮がちに尋ねた彼に、部下である劉 翠旺はきょとんと首を傾げてみせた。この新年で十八になった彼女は、相変わらず無邪気なものである。
皇帝陛下の何でも屋、祓魔の呪術部門の実務官第二位にある楊 泰成は、高 清顕の忠実な部下だ。
前統括官の愛弟子という縁故で引き抜かれた年下の上司に、反発心がなかった訳ではない。だが、その実力と根性は折り紙付きで、真面目で危なかっしい彼を、泰成はいつの間にか放っておけなくなってしまった。
気が付けば彼に引き上げられ、泰成自身も祓魔の上官に就任していたのである。
さて、そんな上司は長年溺愛していた幼なじみである翠旺と、先頃、夫婦の契りを交わした。泰成からすれば明らさまなほどに相思相愛の二人だったが、理解出来ないことに、ついこの間まで「幼なじみだから」という大義名分を互いに本気で信じていたのである。
あわや国家転覆の大騒動を経て、ようやく気持ちを自覚した二人だったが、それはそれで非常に暑苦しい。特に清顕は嫉妬心丸出しで、翠旺の見目に惹かれた虫のような男どもに、仕事以外の場ではいたく辛辣である。
周囲と共に「さっさとくっつけ」と見守っていた泰成だったが、開き直った清顕は別の意味で恐ろしかった。その愛情が彼女の重荷になっていないか、ふと不安になってしまったのだ。
だが、その身を案じる泰成をよそに、彼女は能天気に笑って答えた。
「そうですか? 同世代の男性に比べたら、痩せ型ですよね。……あ、でも意外と鍛えてるというか、腕とか筋肉みっしり! って感じかも。重たいとは思わないんですけど……」
「は? ……は?」
「ぎゅーってされたら中々逃げ出せないし、我慢比べになったら勝ち目がないというか……。片手でひょいってされちゃうし……」
「待って。待って待って」
(──俺、もしかして、めちゃくちゃ際どい惚気話、聞かされてない? ひょいってなに!?)
二十六歳独身には、なんとも刺激が強い話である。
泰成は引き攣った笑みを浮かべ、両手で翠旺を押しとどめた。
「翠旺ちゃん。……何の話?」
「え? 清顕の体重の話ですよね?」
きょとんと目を見開く年下の美女に、泰成は頭を抱える。
がっくりと項垂れた彼は、翠旺が「あ」と小声で呟いたことにも気付かなかった。
「──楊次官。何を無駄口叩いている?」
「……ヒィィィッ!」
地獄の大王に仄暗い声で囁かれ、泰成は本気で悲鳴を上げた。ギギギ、と軋む首を騙し騙し振り返れば、氷のような微笑を浮かべた上官、高 清顕の顔が間近にある。
血の気の引いた泰成の顔を、清顕は冷ややかに見上げていた。清顕の背が低いのではなく、泰成が長身過ぎるため、大抵の人間は見上げざるを得ない。
清顕はひっそりと、泰成の耳元で呟いた。
「呪言書き取り二百回。あと、鍛錬場の走り込み三十周。──悪かったなぁ、重くて」
「……なんで俺だけ罰が重いんですか! しかもめちゃくちゃ根に持つし!」
声を荒らげる泰成を尻目に、清顕はヒラヒラと片手を振って去って行く。あれか、ついつい慣れで、名前で呼んでしまうのがいけなかったのか。
罪作りな美女・劉 翠旺は、そんな二人のやり取りを不思議そうに見守っていた。
祓魔は科挙のような官僚登用試験のある職種ではありませんが、皇帝の何でも屋という性質上、男性ばかりの組織です。採用・人事は長官に一任されており、採用にあたっては実務試験が課されます。霊視能力を買われた翠旺は、長官の勧めで試験を受け、祓魔初の女官になりました。
市井の管理、皇帝の私的な武力組織、偵察部隊、呪術対応など、少数精鋭の皇帝直下の部署になります。




