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鍵を探して

作者: レンコン
掲載日:2026/05/03

 12時30分を過ぎることわずか5秒。


 今教室は期末試験直前かのようなピリッとした張り詰めた空気が漂っている。先程まで談笑していた生徒たちは何時しか全員席に着いていて、その面持ちはまさに真剣そのもの。


 無人の教卓と黒板に書いてある「一旦自習」の文字を見れば、今どき殊勝な子どもたちだと地域の方々にもお褒めいただけるかもしれない。が、実際のところペンを握っているやつは一人もいなかった。


 ある生徒は窓の外を、またある生徒はスマホの天気予報を、そしてある生徒は弁当を、そしてほとんどの生徒は「一旦自習」の少し上方…時計を見ている。


 こっそりスマホを学校に持ち込み天気予報を見ていた鈴木がボソリと口にした一言を俺達はきっと生涯忘れないだろう。


「大雪警報が…関東全域に発令…!」


 他のクラスもこの情報がほぼ同時に回ったのだろう、校舎の様々なところから歓声が上がる。そして一瞬起こったどよめきは直ぐさま波のように引いていく。慢心はだめだ。まだ笑うな。


 昼休みで鳴るはずのチャイムが鳴らないこと、外がやけに暗いこと、教員たちの緊急会議が長引いていること…情報を整理しながら思わず上がりそうになる口角を古文の教科書で隠す。5、6限は古文の予定だったのだ。それが喜びを加速させる要素になっていることは語るまでもない。

 

 12時35分、静まり返った廊下から複数の靴音が聞こえてきた。昼休みを謳歌しようと弁当の箸を割りかけていた加藤を佐々木が制止した。ファインプレーだ。みんなで帰って温かい飯を食おうじゃないか。


 扉が開き、神妙な顔をした担任が入ってくる。毎日昼休みには愛妻弁当をおいしそうに食べる彼の手に………弁当は無かった。そしてかわりに持っていた書類に生徒たちが目を移す間もなく、厳かにHRの開始が告げられた。最初の震源地がどこだったかはもう分からないが、学校(フロア)は大いに揺れた。

 


 ポツポツと雨が振り出したので傘をさす。家までもう五分ちょっとなのだが、走る気にはならなかった。


 信号が点滅している。走れば間に合うがこれも渡る気にならず、点字ブロックよりも数歩手前で立ち止まり、スマホの通知画面に目を通す。両親は定時まで仕事のようだ。社会人は大変だなぁ。


 スキップしたい衝動を抑えて青になった信号を渡る。親がいないのだ。リビングのテレビでアニメを見てもいいし、大声で通話をしながらゲームしてもいいし、ソファで寝転がってお菓子を食べてもいい。こんなに嬉しいことがあるだろうか?いやない(反語だけ予習してた)。


 決めた。ゴロゴロしよう。あえて何もせずに寝転がるんだ…やっぱお菓子はいるか。


 そうして頭のなかで夢を膨らませながら歩いて、マンションの正面玄関に身を躍らせたところで視界に()()が入り、その瞬間、既に両脇に抱えているつもりになっていたポテチとコーラが霧散した。


 我が家は5階建てで20世帯くらいが暮らしている小さなマンションだ。エントランスと呼ぶべきものはほぼ無く、特にオートロックの外側はポストとインターホンがあるのみで非常に狭い。


 そんな四畳くらいしかない空間の隅っこで体育座りをしている少年がいた。ランドセルと鍵盤ハーモニカを抱え込んでおり、頭の黄色い帽子には6年前まで通っていた我が母校の校章が記されている。 


 気が乗らない。乗らないが…ここで声をかけないのはさすがに人間失格だ。


「そこのぼく?大丈夫?」


 少年は頭を上げないまま横に振った。大丈夫じゃないらしい。


「体調悪いの?」


 同じジェスチャーを繰り返す。体調が悪いわけではないようだ。これは一安心。


「じゃあお友達を待ってるのかな?」


 同じジェスチャーを繰り返す。これは薄いだろうなと自分でも半ば予想していた。このマンションで小学生以下の子どもを見たことがないので待ち合わせも何もないだろう。


 その時、ふいに雨脚が強くなり、風が窓に雨粒をたたきつけ始めた。窓の外から見える川がちょっと増水していて怖い。そういえば少年は傘を持っていなかった。

 

「もしかして雨宿り?」


 数刻遅れて少年はコクリと頷いた。やっぱりそうか。このあたり住宅街すぎて屋根ないもんな。


 少年の顔色を伺おうと試みしゃがみ込んでみたが、角度的に口元しか見えない。幸い雨にはぬれていないようで凍えている様子はないが、このままここにいれば体を壊すこと必至だ。何せ雪は夜通し降るとの予想で、当然空調のないこのエントランスは直に0度を割るのだから。


「携帯は…流石に持ってないか」


 今度は直ぐに首を縦に振る。少々食い気味な肯定だ。


「じゃあ親御さんに連絡してあげようか?」

「二人とも仕事」


 おお、喋った。そうか共働きか。今時珍しくはないが少々迂闊な発言だったかもしれない。


「じゃあ…お兄さんが傘貸してあげるよ。何ならビニール傘あげちゃう」


 少年がわずかに首を傾げている。突然の申し出に困っているのだろう。なーに遠慮することはない。親父は傘を持っていかない人なので、出先で降られるたびにビニール傘を買って帰ってくるのだ。お陰で傘は文字通り捨てるほどある。


 熟考の末だろうか、少年の答えはNOのようだ。確かにその気持ちはよく分かるが…


「じゃあ家まで送ってあげようか。そろそろ雪降るから帰んなきゃ」

「え…?えーと」

「良いよ。高校生暇してるからね」

「いや、お母さんがもうすぐ迎えに来るから…」

「ほんと?じゃあそれまで一緒に待っててあげようか?」

「えっ!?」


 踏み込みすぎただろうか。正直話しかけてしまったことを後悔している自分はいるが、ここまできたら放ってはおけない。


 まだ気温は5度くらいだが少年はフリーズしてしまった。哀れだがもう何を言おうと無駄だ。漫画ばかり読んでいる高校生の口先三寸をお見舞いしてやろう。何が何でも家まで送り届けてやる。


 少年の氷が5分くらいかけて溶けて、ゆっくりと腰を上げた。釣られてこちらも立ち上がると、彼の頭は俺の鳩尾辺りまでしかないことが分かった。思っていたよりも小さい。小3ぐらいだろうか


「じゃあ、お願いがあるんですが」

「なに?」


 どんと来い。家に上げてやってもいいぞ。一緒にコーラとポテチするか?


「か…」

「か?」

「鍵をいっしょに探してくれませんか?」






 少年といよいよ寒くなってきた通学路を歩いている。かつて俺も6年間通っていた懐かしの道である。


 少年の話はこうだ。雪がふるというので学校が早帰りになり、大喜びで通学班のみんなと共に走って帰路につき、みんなと別れてエントランスでランドセルを探った所で鍵がないことに気がついたのだという。落とした場所の目処はついていないが、公園でゲーム機を取り出してみんなで遊んだのでそこが怪しいという。何寄り道しとるねん。


「ちゃんとまっすぐ帰んなきゃ…」

「ごめんなさい」

「あ、いや、遊んじゃうのは仕方ないよな!」

「え?…うん!」


 いかん。つい説教臭くなってしまう。俺だってあともう少しでみんなとファミレスで茶をしばこうとしていたのだ。行かなかったのは理性が勝ったというより加藤の弁当事情を考えてのことなので、このコを叱る権利は無いだろう。


「おおー懐かしい」

「来たことあるの?」

「学校帰りは必ず寄ってたよ」


 最近来てなかった公園はあの頃のまま時が止まっていた。切り株は蟻まみれだし、ベンチのペンキは剥げたまんまだし、ランドマークの時計も止まったまんまだ。


「この時計何年止まってんねん」

「この間ちょっと動いたよ」

「うそだー」

「うそじゃないよ!」


 時計の針は相変わらず7時21分をさしている。あの頃はこの数字でニヤニヤできるほどの知識はなかったので少し感慨深い。すっかり汚れてしまったものだ。


「この時間になるころには鍵は雪の下かも」

「なにワクワクしてんだ。早く探すぞ」


 だいぶ打ち解けてきてわかったがこの子家に帰りたがっていない節がある。家族とうまくいっていないのだろうか。ちょっと不安だがまずは鍵を見つけるのが先決だろう。


「この公園に来たのは11時くらいだっけ?3時間前の行動を思い出せ」

「うーんと、まずはこっちでサッカー」

「よし来た」


 ぬかるんだ砂地に足を踏み入れる。既にいくつか水溜りができているので絶対に踏みたくないところだ。慎重に迂回しながら探していく。ぱっと見た感じでは見当たらないので奥の草むらゾーンに進む必要がありそうだ。


「ない!ジャングル探そ!」

「まだあそこジャングルって呼ばれてんのか」


 この公園は外周が草むらで覆われているゾーンがある。仲間内ではジャングルと呼ばれていたが継承されているとは。なおジャングルは幅1メートル長さ100メートルくらいの濃く生い茂った茂みで、鍵一つをちゃんと探すとなると下手すれば30分くらいかかる。ヤバすぎる。


そして1時間が経過した。15時だ。雨は小降りになったが底冷えする寒さである。2人がかりで過剰なほどじっくり丁寧に探したジャングルでは何の成果も得られなかった。


「寒いッ。寒くないの?」

「寒くない!」


 少年は気落ちした様子もなく元気いっぱいだ。これが若さか。


「次はタイヤ公園!」

「…ばかな。公園をはしごだと?」

「タイヤに座ってプレステした!」

「プレステ?」


 プレステを公園で遊ぶ?どうやって?






「ないね!」

「うん…」


 まちかどに響き渡るチャイムは午後4時の到来を知らせるものだ。雨は先程から止んでいるが、空を覆う雲は依然厚いようで辺りは結構暗い。そして何よりめっちゃ寒い。まだ雪が降っていないのは雨粒が落ちてきていないからにすぎないだろう。次降り始めるのは間違いなく雪だ。それまでには絶対に帰らせたいところだが、2時間経ってもう確信した。彼に帰る気は一切無い。


 疑念は初めの方からあった。ランドセルの側面についている安全フック、そこに給食セットとおぼしき袋のほかにチェーンのカラビナが掛かっていた。チェーンの先はランドセルの前段ポケットの中へ消えているが、その先についているのは十中八九家の鍵だろう。そして彼は俺にランドセルを一切触らせようとしない。どんな時だろうと視界の端にランドセルと俺の姿が必ず入るように陣取っているのだ。


「次はね〜、どこがいいかな?」


 怒りよりも心配が勝つ。家族が迎えに来るというのも嘘だったようだが、では何故そんな嘘をつくのか。何故あんなところ(エントランス)で雨宿りを?彼がそこに腰を下ろしたとき、もしかすると雨はまだ降っていなかったのでは?


 聞きたいことは山程あるが、どうアプローチすればいいのか分からない。何が聞いていいことで何が相手を傷つけることになるか見当もつかない。


 だから高校生らしく汚い手を使うことにする。悪く思うな。


「決めた!次は…」

「へっくしゅん!」

「次はね…」

「げっほごっほごっほ」

「…大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも」


 捜索打ち切りのため一芝居打つ。芝居には芝居をぶつけるのだ。


「…帰る?」

「うーん。でも君を置いては帰れないかな」

「あ…」


 滅茶苦茶困っている。とても良心が痛むが少年の服もびしょびしょなのだ。このままでは本当に体を壊してしまう。


 さて、俺は今ランドセルと少年に背を向けている。今まさに鍵を見つけたことにすることも当然可能だ。全く持ってそれで構わないが、その場合少し話を探ってみようと思う。ここまでくればもう他人じゃない。


「寒いね」

「ごめん」

「いや、謝ることじゃ」

「違うの」


 少年は俯きながら告白する。そういえば、少年…彼の名前をまだ聞いていない。


「ごめんなさい。鍵落としたのが何処か知ってました。最初から」

「え?」

「?」

「ごめん。落としたのは本当だったんだなって」

「ごめんなさい」

「いや。もう謝んなくていいよ。それよりも聞きたいことが…あ」

 

 ポツリ、と音がして空をみると、ふわふわと白い綿のようなものが舞っているのが見えた。この地域では雪はめったに降らないが、この光景には既視感があった。


 そしてまたポツリと鳴って気づいたのは、粉雪がどう接地しても雨音は鳴らないということだ。


「ごめんなさい。今もう1コうそつきました」


 声が震えている。振動がこちらまで伝わってくるんじゃないかってくらい肩も震えていることだろう。少年と僕の間にだけ雨が降っている。

 

「鍵は、落としたんじゃなくて、()()()んです」


 ごくごく局地的な雨はその後もしばらく降り続け、小降りになったところでポツポツと言葉が紡がれ始めた。今は手を繋いで通学路を引き返している。向かう先は川である。彼はチェーンから鍵を外し、川に投げたのだという…他人行儀な言い方はよそう。投げちゃったのだ。


「パパもママも働いてて」

「うん」

「ママは6時くらいに帰ってくるの」

「うん」

「いつも急いで帰ってきてくれて、お菓子も買ってきてくれるんだよ」

「うん」

「でもそれまで家で一人なの」

「…そうだね」


 夫婦共働きの家庭は多く、そういう家庭の子は鍵を持たされていたり学童保育に通っていたりと様々だが、少年は前者だ。誰もいない家に入るための鍵…静かな暗がりへいざなう切符をいつも改札の前で握りしめていた


「リビングにいると、冷蔵庫の音がするの」

「うん」

「パパの仕事部屋はパソコンの音がする」

「うん」

「ベッドの部屋は時計の音がよく聞こえるし、トイレにいると…吸い込まれちゃいそうになるの」


 少年は怖がりだった。特に電子音や暗所に弱く、狭くて明るくて人の声が聞こえるところが好きだった。今思い出した。


「テレビをつけてもパソコンをつけても人の声がしないの」

「わかるよ」

「一人の時だけ時計の音が聞こえるの」

「知ってる」

「家中の電気をつけてもテーブルの下は暗くって…」 

「ベットの下も、クローゼットの中も、布団の中もね」

「そう。そう。そうなんだよ」


 少年がその怖さが寂しさだと気づくのはだいぶ後になる。6年も必要だった。


「危ないし窓から川見ようか」

「うん」


 オートロックを僕の鍵で開けて、二人で窓に歩み寄る。窓の外は穏やかな雪景色だが、川はかなり荒れていて、時たま水しぶきが護岸を越えている。到底探しに行ける状態ではない。


「流されちゃうかな?」

「流されちゃうだろうね」

「どうしよう?」

「ほんとだよね。どうしたんだっけ?」


 なんせ6年も前なのだ。よく覚えていない。でも多分謝って、謝って謝って謝って、最後には抱きしめてもらったと思う。だが、結局なぜ鍵がなくなったのかは話さなかった。今まで誰にも言えなかった。多分これからも誰にも言うことはないだろう。


「バカだなぁほんとに」


 どうとでもやりようはあった。5時を過ぎると皆帰ってしまうが、だからといって自分も帰ることはなかったのだ。スーパーでもデパートでも、多少目立つだろうが時間をつぶせる場所はある。家を賑やかにする方法だっていくらでも思いつく。ロックでも聴きながらプレステすればよかったのだ。…どこやったかなPSP。最近はスイッチかPS5だからなあ。


 川を眺めてしばらくして、スマホで時計を確認する。だいたい17時30分くらいだろう。そういうことにしよう。


「あと30分だよ」

「うん」

「一緒に言い訳考えようか」

「…うん」

「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだから。ここにいる僕が保証する」

「ほんと?」

「ほんと?じゃないよ。2人はお前のこと()大事に思ってくれてるよ」

「そうかな」

「絶対に」


 視界が揺らぎ出した。どうやら30分後のアレコレは本当によく覚えていなかったらしい。まあ多分大丈夫だ。母が保育園で拾ってきた当時まだ5歳の弟を連れて、あの正面玄関に入ってくる。そこで号泣している僕にビックリしたあと目線を合わせてゆっくり話を聞いてくれるのだ。多少怒られるがそれぐらい受け入れろ。


 弟…。ああそういえば。小4からは弟と一緒に登校し始めたんだった。帰るときも一緒で…そこからは家で一人じゃなくなったんだ。


 この長かった夢が覚めたら、アイツにお菓子でも買ってやるとしよう。さて、絶賛反抗期真っ只中のアイツは一体どんな顔をするかな?


 お前のおかげで寂しくなくなったなんて言ったら驚いた顔が見れそうだけど…もちろん絶対言わない。





 


 


 



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