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オデッサの階段

「馬車を停めてちょうだい。あの子が持っているのと同じお菓子が食べたいの」

「マリヤお嬢様、それはいけませんよ。街角で売っている食べ物なんて、何で作られているのか分かったものではありません」


ふくれっ面をして見せる少女を、家庭教師(ナニー)がたしなめた。

家庭用の馬車は速度を落とさず心地よいリズムで蹄鉄の音を響かせる。

優美な内装に比べ、枠やドアや窓はしっかりと堅固にしつらえてある。

この街でも他の都市でもたびたび起こる、革命党のテロに備えるため、パパが特別に作らせたのだ。

貿易で財を蓄えた貴族のパパは娘二人の教育に熱心だ。

イギリス人女性を住み込みの家庭教師として雇い、英語と時にフランス語、ドイツ語で会話させている。


「わかっているわジェーン・ハミルトン夫人。でもちょっと欲しかったの」


白いドレスと花飾りのついた帽子で着飾った少女は、隣に座る6歳の妹の手を握る。

そう。たとえ家勢は大きくなくとも貴族の娘は凛としていなければならない。

今だって、オペラ座ホールでのピアノの演奏会からの帰り道なのだ。

ソリストはフランスから来た黒髪の美しいユダヤ人女性、弦楽のアンサンブルも一流の楽団だ。

マリヤと呼ばれた小さなお嬢様だって、家でピアノのレッスンを受け、7歳とは思えない才能だと褒められもしている。

ホームコンサートで披露するたび『オデッサのクララ・シューマン』とお世辞を言うお客たちもいた。

でも今はただ、音楽や語学の才への賛辞より、街を歩く平民の女の子が食べている『山査子の飴がけ』がほしい。

きらきら光る薄茶色の飴をまとった、木の枝に刺された何個もの赤い山査子の実。

一口かじれば酸っぱく甘い味が頬いっぱいに広がるはずだ。


「お姉ちゃま、そんなものより家に帰ってパパやママといただくお茶の方がずっといいわ」


そうですよ。ロンドンから大おばさまもいらしていますし。

家庭教師が満足げにうなずいた。

妹のシタージ(アナスタシア)は、こういう褒められる言葉の選択がうまい。

チビのくせに読書好きで、ドイツやフランスの古典を読みまくっているせいだ。

古くからの貴族の子弟は『職業』に就くことはない。

その代わり芸術や文学、詩作や語学の素養を幼いころから叩き込まれる。

オルロフスキ家の二人の娘も例外ではない。

ロシア貴族の親戚には、プロイセンやギリシャ、イギリスの王家につらなる親戚を持つ家も多いので、数か国語に堪能なのは常識なのだ。


今日はサンクトペテルブルクに出かけていたパパとママが、イギリスから来た親戚と一緒に帰宅しているはずの日だ。

馬車は陽の光あふれるオデッサの街を急いだ。


1910年、ニコライ二世の治世のもとのお話。

廷臣ストルイピンの皇帝寄りの改革政治でざわめくロシア、港湾都市オデッサに女の子が生まれた。

マリヤと名付けられたその赤ちゃんのママは、家系の旧さに反しあまり裕福ではない貴族の末裔。

立派な軍人の青年は皇帝の遠い親戚、オルロフスキ家の次男。

パーティーでダンスを踊った二人はたちまち恋に落ち、結婚した。

マリヤが生まれた一年後には、一つ年下の妹シュタージことアレクサンドラも誕生。

光まぶしい国際港湾都市オデッサの、海に続く大階段の近くの小さな屋敷と郊外の別荘。

美しく優しいママ、たくましく勇敢で公平なパパ、厳しい家庭教師と何十人もの使用人。

二人の姉妹は広い黒海に面した温かくにぎやかな街、オデッサで日々幸せに過ごし、成長していった。


マリヤが7歳になる年の冬、遠い北の首都ペトログラードで大きな暴動が起きた。

実際その暴力沙汰が起こるから、ロシアのいくつもの都市では徒党を組んだ男たちによる強盗や、女も交じった集団による殺人、金持ちの馬車や邸宅への襲撃などが多発していた。

オデッサの街でも、役人が馬車に乗る直前爆弾を投げつけられて殺されたり、富豪の夫人が襲われたり、治安がいいはずの貴族の住む地域でも事件がしばしば起こっていた。

外国との交易が盛んな港湾地域や軍港では特に、不穏な事件は発生していた。

戦争でよその国へ行ったパパは戻らず、ママは幼いマリヤとシュタージを抱え、不安の中屋敷を護っていた。

気遣った親戚が遠い町から訪ねて来て、そのたびにロシア全土に広がりつつあるごろつきたちの怪しい動きを話し合い、できたら早めに出国するようにと勧められた。


オデッサの街に、あからさまな『ボリシェヴィキのテロル』が蔓延し、使用人たちも身の危険から勤めを休むようになったころ、遠い戦場でパパが死んだと知らせが届いた。

軍と政府から通達があるからと、悲しみをこらえるママが呼び出され、ママはきちんとした身なりに宝石を身に着け、馬車で出かけた。

それっきり何日も帰ってこなかった。


ママとパパがいない屋敷で、マリヤとシュタージは息をひそめて暮らしていた。

『革命』という騒ぎが起こり、ならず者集団が街を占領しかかっているということ、お屋敷の使用人たちも貴族が打倒される未来を予想しているが、今はどっちつかずで立場を決めかねていること、いざとなったら小娘たちを放って屋敷に略奪者たちを引き込みかねないこと。

イギリス人の家庭教師は必死に姉妹を護ろうと、イギリスの領事館に連絡し、屋敷はイギリス人が借り上げているという態にした。

その他にも、屋敷内をわざとイギリス兵が出入りしたり、イギリス国旗を掲げたり様々な措置をとってくれた。

まもなくロシアのいろんな地域から、パパの親であるおばあちゃん、親戚やパパの部下だったという軍人たちが迎えに来てくれて、マリヤは妹と家庭教師、少しの召使や親戚たちと、知り合いの日本の領事館に向かった。

屋敷に残った使用人たちの、その後の運命は分からない。

パーヴェルというイギリスに留学していたおじが、イギリス領事館から偽のパスポートを手に入れてくれた。

11月の秋の日、オデッサの軍港に停泊していたイギリス海軍艦艇HMSネレイドとHMSスカーミッシャーに、彼らは分かれて乗り込んだ。

二隻の軍艦は停泊している数日間に、彼ら貴族の他、押し寄せてきた多数の避難民を受け入れ、食料や寝場所、寝具も提供して避難所となった。

北の軍からの知らせは深刻で、ボリシェヴィキは白軍や民衆の抵抗を打ち破り、急速に南へ進軍しているという。

難民たちは身の安全を求めて南部の沿岸都市に次々と流入し、分刻みで増加し続ける。

やがて、恐怖と動揺に満ちた人々の間に混乱が広がった。

子どもたちは親と、夫は妻と離れ離れになった。これら不運な人々が再び無事に出会えたかどうかは甚だ疑わしい。

多くの人は着ている服以外に所持品は何も持たず、港の桟橋に詰めかけていた。

とある家族はあまりにもパニック状態で到着したため、港に着くとすぐに車から飛び降りて桟橋を駆け下りたが、車のエンジンをまだかけたままだった。

しかし、緊急に非難する人々にとって、この乗船の機会を逃すことはできない。

夕方、警察から地元ボリシェヴィキの蜂起がいつ起こるかわからないと警告され、警察の要請で一晩中街に向けてサーチライトを灯し続けた。


出航の直前、イギリス海軍のスループ船が、約400人のロシア帝国近衛将校を乗せ、クリミア半島のセヴァストポリへ向かった。

スループは船団の周囲をゆっくりと回った。

その甲板では、帝国軍人たちが皇族たちに敬礼し、最後の拝謁を賜っていた。

デッキには、多くの高位の乗客が集まっていた。

帝国近衛兵団の歌うロシア帝国国歌が、水面の波とさざめきを越えて、皇族たちへ最後の敬礼を捧げていた。

その美しい古い旋律こそが、その瞬間の悲しみを痛々しく反映していた。

無伴奏な、完璧なハーモニーを誇る深いロシア兵たちの声の記憶は、その場のすべての人々の心から決して消え去ることはない。

スループが通り過ぎた後、しばらく沈黙が訪れた。

彼らの行く先、クリミアに続くポリシェビキ赤軍との戦闘を生き延びた者は、ほとんどいない。


HMSネレイデに乗艦したオルロフスキー家の娘たちは、1918年11月26日港を発った。

向かう先はコンスタンチノープル、そしてフランス、イギリスだ。


この時以来、二人の姉妹はパパやママと二度と会えていない。

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