婚約破棄された瞬間に『化け物』と呼ばれる魔導公爵様に拾われました。~実は彼こそが初恋の相手で、冷徹な仮面の下は独占欲の塊だったようです~
「リアナ・バーンズ! 貴様のような無能で陰気な女との婚約は、今この時をもって破棄とする!」
王立学園の卒業記念パーティー。
華やかな音楽がかき消され、第二王子カイル様の甲高い声が広間に響き渡った。
私はシャンパングラスを持ったまま、凍りついたように立ち尽くす。
カイル様の隣には、私の友人を自称していた男爵令嬢、ミナがぴったりと寄り添っていた。
「カイル様、これは……どういうことでしょうか」
「聞こえなかったのか? お前はクビだと言っているんだ。この国にとって重要な『魔力』を持たず、いつも書類仕事ばかりして可愛げのない女など、王族の妻にふさわしくない!」
周囲からクスクスと嘲笑が漏れる。
無能。その言葉が胸に突き刺さる。
確かに私には、火を出したり風を起こしたりするような、華々しい属性魔法は使えない。
けれど、カイル様の暴走しがちな魔力を裏で制御し、膨大な公務を代行し、王子の名声を支えてきたのは誰だと思っているの?
「リアナ様、ごめんなさいぃ。でも、真実の愛には勝てないんです」
ミナが甘ったるい声でカイル様の腕に胸を押し付ける。
「そうだ。ミナの持つ『光魔法』こそが、次期王妃にふさわしい。お前のような石ころとは違うのだよ」
――ああ、もういいか。
私の中で、何かがプツリと切れた。
怒りよりも先に、虚無感が押し寄せる。これまで必死に積み上げてきた数年間が、この一瞬で砂の城のように崩れ去ったのだ。
「……承知いたしました」
私は震える足を必死に押さえつけ、完璧なカーテシーをした。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。今までお世話になりました」
私が潔く身を引こうとすると、カイル様は気に入らないのか、顔を歪めた。
「待て! まだ話は終わっていない。お前にはミナに対する嫌がらせの容疑もある。衛兵、この女を地下牢へ連行しろ! 頭を冷やさせてやる!」
ざわめきが大きくなる。
嘘だ。嫌がらせなんてしたこともない。
けれど、誰も私を庇おうとはしない。カイル様の権力と、ミナの愛らしさに誰もが味方している。
衛兵が私の腕を掴もうと迫ってきた、その時だった。
「――騒がしいな」
広間の温度が、一瞬で氷点下まで下がった気がした。
空気がビリビリと震えるほどの、圧倒的な威圧感。
衛兵たちが怯えて動きを止める中、会場の入り口から一人の男が現れる。
漆黒の髪に、凍てつくような蒼い瞳。
全身黒の礼服を纏ったその姿は、夜そのものだった。
アレクシス・ヴァイデル公爵。
若くして筆頭魔導師を務める天才でありながら、近づく者すべてをその魔力で威圧することから『化け物』と恐れられる男。
カイル様ですら、その姿を見て一歩後ずさった。
「ア、アレクシス公爵……。何用だ。今は罪人の処断を……」
「罪人? 誰がだ?」
アレクシス様はカイル様を無視し、真っ直ぐに私のもとへ歩み寄ってきた。
私の前で立ち止まると、その冷たい瞳が私を射抜く。
怖い。殺される。
そう思って身を縮こまらせた私に、彼は信じられない言葉をかけた。
「……探していた」
え?
アレクシス様は私の手を取り、衛兵たちを一睨みで退散させる。
そして、呆気にとられるカイル様に向かって、低い声で告げた。
「その令嬢が不要なら、私が貰っていこう」
「は……? 何を言って……そいつは魔力無しの無能だぞ!?」
「無能? ……ふん、お前の目は節穴か」
アレクシス様は鼻で笑うと、私の肩を抱き寄せた。
触れられた場所から、じんわりと温かいものが流れ込んでくる。それは恐怖を感じさせるような魔力ではなく、どこか懐かしく、心地よい奔流だった。
「彼女こそが、私の求めていた『至宝』だ。文句があるなら、我が公爵家が相手になろう」
その宣言に、会場中が静まり返る。
アレクシス様は私を軽々と抱き上げると――いわゆるお姫様抱っこをして――スタスタと出口へ向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください! アレクシス様!?」
「……黙っていろ。舌を噛むぞ」
こうして私は、婚約破棄された数分後に、国一番の『化け物』公爵様に拉致されることになったのだ。
◇
公爵家の馬車に揺られながら、私は小さくなっていた。
向かいの席に座るアレクシス様は、先ほどの威圧感が嘘のように、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。
「あ、あの……助けていただき、ありがとうございます」
「……礼には及ばない。私がしたくてしたことだ」
ぶっきらぼうな口調。でも、怒っているわけではなさそうだ。
私は意を決して尋ねた。
「どうして、私を? カイル様の言う通り、私には大した魔力もありませんし……」
「大した魔力がない、か」
アレクシス様は溜息をつき、長い指でこめかみを押さえた。
「君は自分の力が分かっていないようだな。君の魔力は『無』ではない。『透明』なんだ」
「透明……?」
「そうだ。あらゆる魔力に干渉し、乱れを整え、最適化する『調律』の魔力。……先ほど、君に触れた時、私の魔力の暴走が収まったのが分かったか?」
言われてみれば、彼に触れられた時、心地よい感覚があった。
アレクシス様は、わずかに顔を赤らめて続ける。
「私の魔力は強大すぎて、常に暴走寸前だ。だから普段は人を遠ざけ、冷徹に振る舞うしかない。……だが、君のそばにいると、凪のように静まるんだ」
彼は真っ直ぐに私を見た。その蒼い瞳には、先ほどの冷たさはなく、熱っぽい光が宿っている。
「君が必要だ、リアナ。能力としてだけでなく……私は、ずっと前から君を見ていた」
え……?
心臓が大きく跳ねた。
「学園の図書室で、一人で黙々と勉強する姿も。王子に理不尽な仕事を押し付けられても、懸命にこなす姿も。……君のその強さと優しさに、私はずっと惹かれていたんだ」
不器用な告白に、涙が溢れそうになる。
無能だと罵られ、価値がないと切り捨てられた私を、この人はずっと見ていてくれた。
「私で……いいんですか?」
「君『が』いいんだ。……断るなら、今すぐこの馬車から降ろすが」
彼の耳が赤い。
私は涙を拭い、精一杯の笑顔を向けた。
「……降ろさないでください。私、アレクシス様のお役に立ちたいです」
彼は安堵したように息を吐き、不器用に私の手を握りしめた。
その手は、とても温かかった。
◇
それから一週間後。
公爵邸での生活は、驚きの連続だった。
恐ろしい噂とは裏腹に、使用人たちは皆親切で、何よりアレクシス様がとにかく甘い。
「リアナ、今日のドレスも似合っている。……あまり他の男に見せたくないな」
「リアナ、仕事など使用人に任せればいい。君は私のそばで茶を飲んでいてくれれば、それだけで私の魔力が安定するんだ」
私の『調律』魔法のおかげで、アレクシス様は魔力制御の負担から解放され、本来の穏やかな性格を取り戻していた。
私もまた、自分の能力が認められる喜びを知り、自信を取り戻しつつあった。
そんなある日、公爵邸の門前に、見覚えのある豪奢な馬車が止まった。
カイル様だ。
応接間に通された彼は、以前よりもやつれ、目の下に酷い隈を作っていた。
「リアナ! 探したぞ! さあ、城へ戻るんだ!」
開口一番、勝手なことを言い出すカイル様。
隣に座るアレクシス様から、ピリリと殺気が漏れるのを、私がそっと手を重ねて宥める。
「……何のご用でしょうか、カイル様。私はもう、貴方とは無関係のはずですが」
「無関係なものか! お前がいなくなってから、何もかも上手くいかないんだ!」
カイル様は叫んだ。
聞けば、私が抜けた後の王城は惨憺たる有様らしい。
カイル様の魔力は制御を失って暴発し、執務室を半壊させた。
溜まっていた書類仕事は山となり、ミナの「光魔法」はただ眩しいだけで実務の役には立たず、あろうことか重要な魔法具を誤作動させてボヤ騒ぎを起こしたという。
「ミナのやつ、可愛いだけで何もしないんだ! やっぱりお前じゃないとダメだ。婚約破棄は取り消してやる。側妃……いや、正妃にしてやってもいいぞ!」
あまりの身勝手さに、呆れを通り越して笑いが込み上げてくる。
この人は、私を何だと思っているのだろう。便利な道具?
「お断りします」
私はきっぱりと言い放った。
「私は今、アレクシス様の婚約者として、これ以上ないほど幸せですので」
「なっ……! おいアレクシス! その女は俺のものだ! 返せ!」
カイル様が掴みかかろうとした瞬間。
ドッ、と重い音がして、カイル様が床に這いつくばった。
アレクシス様が指一本動かさず、重力魔法で制圧したのだ。
「……私の愛しい婚約者に、気安く触れるな」
アレクシス様の瞳は、絶対零度の冷たさを放っていた。
「カイル殿下。貴方の失態は、すべて国王陛下に報告済みだ。魔力制御もできず、有能な人材を私情で切り捨て、国益を損ねた罪……廃嫡は免れないだろうな」
「は、廃嫡……!? ま、待て、そんな……!」
「衛兵、つまみ出せ。二度と私の視界に入れるな」
カイル様は無様に引きずられていった。
静寂が戻った部屋で、アレクシス様が心配そうに私を覗き込む。
「怖くなかったか? リアナ」
「いいえ。……アレクシス様が守ってくださると知っていましたから」
私が微笑むと、彼は嬉しそうに目を細め、そっと私を抱き寄せた。
「愛している、リアナ。もう二度と離さない」
「はい……私も、愛しています」
冷徹な『化け物』公爵様は、今や私だけの甘い旦那様だ。
重ねた唇の熱さが、これからの幸せな日々を約束していた。
お読みいただきありがとうございます!
元婚約者ざまぁと、不器用な公爵様の溺愛を楽しんでいただけたなら幸いです。
「スカッとした!」「公爵様かっこいい!」と思ったら、
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