第3話 女神の涙
ギデオンは壇上からゆったりと一礼すると、黒い外套を翻しながら宙を滑るように降りてくる。
さながら演舞のような靭やかさだ。
「まずは自己紹介から。僕はギデオン。──世間では大怪盗なんて言われている要注意人物さ」
その動きは人ならざる程に蠱惑的。追いつける者など最初から存在しないとでも言いたげだった。
ギデオンは少年と青年の間のような声。
ともすれば女性にも聞こえる。
髪は濡羽色で、ややショート。
黄金の瞳がゆっくり揺れる。
「王様ぁ、駄目だよ。あんな貧相な防御壁では。僕にかかったら寝ながらでも突破できてしまう」
ギデオンは口元に手を当てて笑う。
不思議と上品な所作だった。
「お、おまえ……ッ! 王家の宝を狙いに来たのか!」
ハラルドの怒声は虚しく空気に散る。
ギデオンは片手を胸に当て、遺憾そうに首を振る。なにかと演技じみた動きを好むらしい。
「違うとも。──報告しにきたのさ」
言葉一つで会場中の喉がひゅっとすぼまった。
恐怖と畏怖と、そして──否応なく惹きつけられる魅了。ギデオンは言った。確かに報告、と。
「ターゲットは女神の涙。価値は時と場合によっては国家予算にも匹敵するとされている至宝」
ギデオンはかつかつと歩く。
誰一人触れていないのに、彼の進んだあとに空気の波が生まれ、景色がぐにゃりと曲がって見えた。
衛兵が武器を突きつけんと構え直す。
「至宝の発生時期は不明。だが、ハートバル家が代々引き継いできたことだけは歴史が証明している。……とまぁ、謎が多い宝石なわけだね」
女神の涙について私でさえもよく知らない。ハラルドは何か懐にしまっているようではあったが。
手袋に包まれた人指をギデオンを立てる。
そして、そのまま宙空でくるりと回す。
なにを、と誰かが言った。
「──では、まずはご覧あれ」
王家が誇る宝石──女神の涙。
厳重に守られていたはずのその宝石は、気付けばギデオンの白い手袋の上で転がっていた。
割れるような叫びが轟いた。
ハラルドだ。
「なっ……! なぜだ! いつ盗った!」
ギデオンは肩をすくめる。
「いつでしょうか」
茶化すようにギデオンは笑う。
「言ったじゃないか、お粗末な防壁だって。国の至宝を守護するには、ちょっと改善が必要かな?」
ぱちん、とギデオンは片目を閉じる。
照明の途絶えた大広間に、どこからかスポットライトがギデオンにのみ伸びる。サーカスの如く。
淡く、だが絢爛と耀く女神の涙。
純白で、そして透明だった。
何度か実物は見たことがある。遠目では、まるで本物だ。あれを偽物と糾弾するのは難しい。
「さて、それでは退散させてもらいましょう」
ギデオンはそっと至宝を仕舞う。
淡い蒼光がポケットの中で確かに揺れる。
しかしギデオンと、不意に弓なりに微笑む。どこか邪悪なソレはまるで悪魔の誘いのようだった。
彼は宝石ではなく、私を見ていた。
「──なるほど、これはどうやら僕の盗むべき対象のようだ。なるほどね、面白い掘り出し物だ」
胸の奥が、ぞくりと震える。
「ギデオン。その場を動くな! 王である私の名にかけて、貴様の首をここで叩き切ってやる」
「なら急いで逃げないと──ねっ!」
ギデオンは何かを袖から取り出す。
次の瞬間、弾ける爆発音と大量の煙。粉っぽさに私は思わずむせてしまった。意外と安直だ。
「怯むな! 出口を塞げ!!」
ハラルドの指令が広間の壁を伝う。その隙間を縫うようにして、私の耳元で中性的な声が響いた
「僕、出口から出るなんて言ったっけ?」
「あ、あなた。……ギデオン」
「やぁ、素晴らしい夜だね」
煙の中でもギデオンの瞳が曇ることはなく、まっすぐな黄金色が私の顔をしっかりと映していた。
「手荒でごめんね。ちょっと、君のことも盗ませてもらうよ」
「はい? 急に何をって──ひゃ!」
「ご飯食べてる? 軽いよ君!」
若干失礼なことを言いながら、ギデオンは軽々と私を肩に担いだまま颯爽と煙の中を駆け出した。




