第1話 婚約破棄
「──やぁ、素晴らしい夜だね」
怪盗──ギデオンはそう言った。
仮面越しに覗く黄金の瞳。
その瞳は私という私、そのすべてを根こそぎ余すことなく、完璧に盗んだのである。
─────
「──ギデオンだとぉ……?! ふざけおって、私を誰だと思っている……ッ!!」
憤慨するのは父ハラルドだった。
先代国王が病に倒れ、その穴を埋めるようにして王の座に居座った屈強の男である。
武勲は凄まじく疑いようはない。
が、残念ながら学はなかった。
血の繋がった父でありながら、どうにも私はハラルドのことを好きになれずにいた。
「明日は他国の王も交えた夜会だ。けして失敗する訳にいかぬ。えぇい警護を強めよ!」
指示を受けた宰相は部屋から急いで飛び出した。宰相は代々王家に仕える傑物一族。
事の発端は一通の手紙だった。
便箋の色は純然たる黒であり、揺らぐことはない。封は溶かした蝋で固められていた。
届いたのは謁見の間だった。
城内を清掃しているメイドが発見し、一瞬で騒ぎとなった。それもそのはずである。
差出人はギデオン。稀代の大怪盗。
正体不明。動機不明。かろうじて性別は男であろうという事以外、全てが謎のベール。
国々を渡り歩き、豪奢な宝石や美術品を華麗に盗んでいく。それがギデオンだった。
そんなギデオンからの手紙。
手紙が偽物だろうが本物だろうが警鐘を鳴らすのは、極々自然な流れと言えるだろう。
「──シェリル。貴様なにか知っておるか」
「まさかお父様。私はなにも……」
指示を出したハラルドは一段落した後、青筋を浮かべながら威圧的な声を放った。
シェリルとは、私の名前である。
シェリル・ハートバル。
王家の与する私ではあったが、その人生は楽ではなく、交換できるなら喜んで、だ。
長女ではあったが愛されなかった。
ハラルドは男児を望んだからだ。
私の母は私を産んですぐ女を産んだというだけで咎められ国外追放を受けたらしい。
「本当だろうな? 嘘を言えば、わかるな」
「嘘などつくはずがございません……!」
妾を抱けど、子供に恵まれず。
結果、現在のハートバル家には男子がいないことが認知されている。他国から招くか自国から集うか。噂が尽きることはない。
そして、その筆頭が私の現婚約者である──ミゲル・ロットという話に繋がる。
ロット家は他国ではあるが公爵家。
この国とも交流の深い一族だ。ハラルドとしては納得もいくまいが妥協のラインだ。
自国から集うより他国との結びつきを強固にしようとするのは賢王か、あるいは。
どう転ぼうと私は従うのみだ。
それが私の人生なのだから。
「しかしギデオンめ。よりにもよって「女神の涙」を狙うだと? ──殺してやる」
女神の涙。ハートバル家の至宝。
この世を創り出した女神が、人の進化に感動し流した涙が結晶になったとされる宝石。
穢れも淀みも知らぬ、透明の石。
万物を見通すともされていた。
その価値は戦争を引き起こすとも、大勢の民を救うとも、逸話は枚挙に暇がない。
盗まれれば国家問題にも発展する。
故にハラルドは気が気でない。
ハートバル家が抱える護衛部隊は、他国と比較しても群を抜いて優れているだろう。
王であるハラルドが武闘派なのだ。
下の人間も自然とそうなる。
「とにかく女神の涙のセキュリティを高め、誰にも入らせぬようにしなければ……」
ぶつぶつとハラルドは言葉を漏らす。
「夜通し見張りをつけ、ギデオンの首を跳ねて国の晒し者にしてやる。この逆賊めが」
─────
絢爛なシャンデリアが、広間を美しく照らし出していた。色鮮やかな食事が並ぶ。
音楽隊の奏が鼓膜を揺らしていた。
が、若干の緊張感は否めない。
「ギデオンが来るんですって??」
「まぁ怖い。恐ろしい人なんでしょ?」
「噂では人を殺したこともあるって……!」
令嬢・子息問わず、口々に好き放題怪盗ギデオンへの評価を下している始末だった。
その全てがマイナス方向に、だが。
ただ私的にはどうでもよかった。
女神の涙が盗まれようが国家が転覆しようが、私は生きている意味を見いだせない。
どうなろうとも──よかったのだ。
でもせめて、ハートバル家に生まれた娘として跡継ぎを産み愛そうとは思っていた。
私は愛されることを知らないから。
せめて子供くらいは、と。
でも、でも。それさえも赦されないのだから人生とは面白い残酷なのだなと笑う。
「──シェリル・ハートバル王女。貴女との婚約をこの場をもって破棄させてもらう!」




