第六話:浄化と毒
家の中の空気が、急に重く淀んだ。
苗は胸を押さえ膝を落とす。喉の奥から熱いものが込み上げるのを感じた。
次の瞬間、鮮血が唇を汚した。
「……っ!」
苗が吐き出した赤に、イレーネが蒼ざめた顔で駆け寄る。
「苗…?まさか……!」
窓の外を振り返ったイレーネは、息を呑んだ。
通りに広がるのは、地獄の光景だった。
濃い毒の霧が渦を巻き、その中で魔人たちが次々と変貌を遂げている。
ある者は膨れ上がった腕で家屋を打ち壊し、獣のように吠える。ある者は口の端から黒い牙を覗かせ、弱そうな魔人を押し倒して喉笛に食らいついた。鮮血が飛び散り、霧に溶けていく。またある者は苦痛にのたうち回り、肉体がねじれ、骨と肉が崩れて異形と化していく。
「……そんな……こんなことになるなんて…。」
イレーネの声は震えていた。
苗は苦しげに呼吸を整え、血のついた唇を拭った。
「原因は……あの肉塊…さっき見たの…霧がその肉塊を目指して進んでいるのを…。」
イレーネは振り返り、赤子と肉塊のある部屋を見やった。その瞳には恐怖と後悔、そして決意が入り混じっていた。
「やっぱりね…いつかこうなることは想定してたよ…必要なら肉塊を殺してくれていい…。」
しかし、苗は弱々しくも首を振った。
「それじゃ……駄目……。」
苗は赤子の小さな寝息を見つめ、次に蠢く肉塊を見た。
そして少し間を置き、言葉を続けた。
「…どうして今まで、街が崩壊しなかったか分かった。あの赤子が…肉塊の毒を浄化していたからよね。」
イレーネは目を見開いた。そして、もう隠せないと悟って話を始めた。
「そう。生きていた方の子は、生まれつき毒を払いのける力を持っていた…だから、魔人にする薬も効かなかったし、側に肉塊を置いておけば自然と街の均衡は保たれていた。でも今…その子は弱ってる。」
部屋の片隅で眠る赤子の胸は、か細く上下していた。そのたびに毒の霧がわずかに吸い寄せられ、光の粒となって霧散する。だが、その力は今にも途切れそうに弱々しい。
イレーネは震える声でつぶやいた。
「だから、ね?必要なら肉塊なんて殺してくれても構わないの…。」
苗は首を振る。
「それじゃ駄目って、言ったでしょう?」
「どうして!害でしかないでしょ!?もうこれ以上、罪を重ねたくないの!!」
イレーネは叫ぶ。
しかし苗は、よろめきながらも、聖母のような顔つきで立ち上がった。
「…それじゃ誰も救われない…それに、肉塊がどんな抵抗をするか、分からない…リスクが高すぎるわ…。だから助けるの…貴方も、子供たちも…街の住民も…!」
吐血で震える身体を押さえながらも、苗の瞳は揺るがなかった。




