第三話:錬金術師
怪しい煉瓦の家から出てきた女性は、若く、容姿は端麗だった。
黒縁の眼鏡を身につけ、長い黒髪を揺らし、苗の前に現れた。まだ人間の姿を保っていたが、その両手だけは煤のように黒く染まり、まるで何かの罪を刻むかのようだった。苗はその手が、自分と同じ毒の霧の影響で染まっていることを察した。
「貴方が…錬金術師さん?」
苗が尋ねると、彼女は微笑んだ。
「堅苦しい呼び名はやめてよ、私はイレーネ。見た感じ、街の外から来たよね?どうやって生き延びたの?」
イレーネはそう言うと、苗の腕を乱暴に掴んで眺めた。
「あ、あの…ちょっと、痛い…。」
苗は顔をしかめる。
「おっと、またやっちゃったな…つい強くなりすぎるんだ。人間だった頃の感覚を忘れちゃって。」
イレーネはパッと手を離し、目を逸らした。
「とりあえず、入りなよ。立ち話も君にとっては辛いだろう。」
そう言って手招くイレーネに、苗は警戒する。苗は長い旅路の中で、誰かと関わったことはなかったのだ。ましてや、誰かの家に招かれるといったことは、苗の記憶の中では初めての経験だった。
警戒する苗を見て、イレーネは少し困った顔をした。
「…さっきのことは謝る、ほら、家に温かいスープもあるから。君を歓迎するよ。」
躊躇っていた苗だったが、体は休息を求めていた。
促されるまま、足はイレーネの家へと向かう。
家の中は、美味しそうなスープの香りが漂っていた。イレーネは自室に苗を招き、素朴な椅子へ案内した。イレーネはスープを二つ用意し、一つは苗の前に置いた。もう一つは、イレーネが持ったままだ。
「貴方の椅子はないの?」
苗が疑問を口にすると、イレーネは答えた。
「ああ、長らく一人だからね。捨ててしまったよ。」
そう言って、イレーネはスープを一口啜った。
二人は軽く雑談をした。その雑談の中で、イレーネには昔、夫がいたが、夫は既に死去していると言った。身ごもったことがあると語ったが、子供については何も語らなかった。苗も語った。少し前に愛する人を自分の手で殺してしまったこと、その罪滅ぼしも兼ねて、自分の能力で世界を浄化する旅をしていることを。
苗はスープを飲みながら思考をしていた。イレーネの喋り方や、時々目を逸らすような行動から、話の中に嘘や隠し事が含まれていると悟ったからだ。
「…それで、私は生き残っている人たちを集め、毒を調合した薬を住民に投与したんだ。これが上手くいってね、街のリーダーなんかになってしまった。もっと早くできていれば、夫も死なずに済んだんだろうなと思っているよ。」
イレーネの話はどこか悲しげで、自分の功績がそれほど良いものではないといった風だった。
「どうしてそんなに自信がないの?少なくとも街の人達は…貴方を尊敬しているわ。」
苗はそう言いつつも、心の何処かに違和感があった。行き交う人達は確かに楽しそうで、充実していた。ただ、幸せそうだったかと問われればそうでもないように見えた。“生きるために仕方なく”といった印象だった。最初に出会った住民のイスカも、そうだったのかもしれない。
「…そうだね、尊敬はされている。それが駄目なんだよ…。」
彼女は残りのスープを飲み干すと、自室の扉を開け苗に告げた。
「さあ、まだ浄化の旅は始まったばかりだろう。この街は私のお陰で安定している。旅立ちたまえ。」
苗も残りのスープを飲み干した。
「…スープ、美味しかったわ。ありがとう。」
そうして苗は、イレーネの家から出た。




