第九話:真実
境界を編み終えたとき、そこにはガラスのように透き通った門が建っていた。人界と魔界を別つ、人智を超えた力で作られた門の前で、苗の身体はすでに限界を超えていた。
毒を吸い込み続けた血肉は変質し、白い肌には黒い斑が広がっている。尾骨からは黒い手のような靄が形を成しており、もはや人でも魔人でもない。
彼女は赤子__クエラを胸に抱きしめ、足を引きずりながらイレーネの家へと戻った。
家の前では、イスカが住民たちを必死に落ち着かせていた。
「聞け!イレーネを責めても何も変わらない!まずは何が起きているのかを__」
しかし声を荒げる住民は止まらない。
「イレーネは裏切り者だ!」
「化け物を隠していた!」
「自分の子供だけ無事だった!」
「俺たちはもう戻れないんだぞ!」
その混乱の渦中に、苗の姿が現れると、全ての声が凍りついた。
毒に濡れ、異形と化した女。腕には人間の赤子。
その姿はあまりに異様で、誰もが言葉を失った。
一人、イスカだけが視線を逸らさずに問いかけた。
「……苗。真実を教えろよ。」
その声音には怒りも絶望も混じっていた。
「どうして俺たちがこんな目に遭ったのか。イレーネの子供は何なのか。俺たちは……騙されていたのか?」
苗は小さく息を吐き、クエラを抱え直す。
「……イレーネは双子を宿していたの。けれど、一人は命を持たずに生まれ落ちた。」
ざわめきが広がる。
「その亡き子は肉塊となり、毒を引き寄せる器になった……。けれどもう一人、この子…クエラには浄化の力があった。赤子は霧を浄め、均衡を保っていたのよ。」
住民たちは呆然と苗の言葉を聞いていた。
その声は嘘ではなく、血を吐きながら真実を告げる者の響きがあった。
「…イレーネは元凶である肉塊と、異形化した魔人を連れて魔界に行った。私も境界を完成させたわ。これから先、貴方たちは毒に蝕まれることなく暮らせる…もう安全なの。」
そう言い切った苗の姿は、人でも魔人でもない。
光を纏い、けれど影を背負う。
「…神様…なのか?」
その一言が引き金のように広がり、やがて熱を帯びた声が重なっていく。
「……救いの神だ。」
「女神だ……!」
いつのまにか罵声は消え、熱に浮かされたような賞賛の声に変わっていった。
「ただ、境界を維持するための門は、貴方たちで維持してほしいの…。私はまた、旅に出なくてはならないから。」
苗は赤子を包む布の端を握る。
「でも、私たちそんな力持ってないわよ…?」
「そうだぞ、俺らは好んで魔人になったわけでもねぇし…。」
「人間に戻れるなら、戻りたいよ。」
魔人たちはざわめく。苗は一瞬驚いたが、すぐに案を思いつき、声を発した。
「そうだわ、私の力があれば、貴方たちを人間に戻せる。そうすれば貴方たちは、生き残った原初の人間になる…境界を守る村を作りましょう。ここからまた、新しい人間の歴史を作るのよ。」
苗はにこやかに話すと、軽い所作で魔人たちの体に花の種を植え付けた。瞬きをする間に種は花になり、魔人の毒素だけを抜いて枯れていく。抜かれた毒は苗の体に蓄積し、更に異形へと近づいていく。毒素を抜かれた魔人は、人間へと戻った。
__ただ一人を除いて。
「……。」
イスカは拳を握りしめたまま、その光景をただ見つめていた。




