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第六話 マニフェスト②

休憩所の扉を開けると、ミナがベンチに座って片膝を抱えていた。

俺の気配に気づいて、ゆっくりと顔を上げる。


「…………遅かったじゃない?」


ぽつりと、刺さるような声だった。


「…ご婦人の話が長くてな」


肩を竦めて返す。ミナの口元が、僅かに緩んだ気がした。

「だいぶ把握できた」とおまけのように言い足す。

つもりはなかったが、思い詰めた顔でもしちまってたのかと苦笑いが漏れる。


場の空気を誤魔化すように右手を差し出す。

だがミナは、それを取らずに窓の外へ目を向けた。


「……壁、見えてた」


つられて視線を窓に向ける。

遠く、あの壁が見える。蔦に覆われたその向こうで、新しい廃棄タルが保管所に運ばれていく。


きっと、ミナにはあのタルも光って見えてるのだろう。

差し出した手は宙ぶらりんのまま。

戻すに戻せずいたら、ミナがため息まじりに、ほんの指先だけで俺の手を摘んで立ち上がった。


「……で?」


こいつが求めてるのは詳細じゃない。何が入ってたとか、どうやって集めたかとか――そういう類いの話じゃない。

最初から、裏に何か潜んでいると勘付いてた。

だが、俺の指先を摘んだ手からは、微かな微かな震え。

その震えを、自分で押さえつけながら立っている。

だから俺も、なるべく静かに落とす。


「…タールだった。中身は」


ミナの視線がまっすぐ俺を捉える。

沈黙が降りた。

このままじゃあ場が持たない。そう思って、またわざとらしく肩を竦めた。


「タール。樽の中身は、樽だけにタールだった。……なんか言ってみろ?」


ひと呼吸置いてから、続ける。


「壁は、腐らせるように計画的に攻められてる。基礎に時間かけてな。どうせ、最後は“火”だな」


ミナは頬骨をトントンと指で叩きながら、目を伏せた。


「……そっか。じゃあ…どうしても、ゴルダニルさんを口封じしてでも黙らせる必要があった、って……なるわけね?」


それ以上、ミナは言葉を続けなかった。

聞いていたのは事実じゃない。

結論が知りたいわけでもない。


いや、結論だな。

俺が、どっちに転ぶのかを早く言えと。

ーー見捨てるなら早くしろ、と。




ーーーーーーー


廃棄業者を出ると、昼の陽射しが鬱陶しく貼りつく。

ミナは何も言わず隣を歩き出す。


雑踏の中を抜けて、親子連れの笑い声の横を通りすぎる。

運河沿いに差しかかったあたりで、ミナがふと立ち止まった。


黒髪が風に踊る。

そして、低く、静かに呟いた。


「…アーサー?…今日は助かった」

「…ああ」


正直、今すぐ公表して、公権力に丸投げするのが筋だ。

命の重さは平等なんだろ?なら、犠牲は少ない方がいい。

場合によっては、ひとりで済めば御の字だ。

公表しても、実は楽しく、なんてことだって……


「手伝ってくれて、有難う」

「…………ああ」


だが――

さっき触れた指先の、微かな震えがまだ指に残ってた。

思い出すように手を見る。


軽く、握りこむ。

拳にほんの少し力を入れてみる。

気づけば、口元が緩んでいた。


いくつか、頭に浮かんでる方法がある。

悪くない。やれなくもない。

その先も、それなりに手がある気がする。

……でもまあ、これは、まともな思考じゃねぇな。

我ながら笑えてきた。


貸し借りって話でもねぇ。

誰かのためにでも、期待に応えるでも、そんなのは今更だ。


という感じではあるんだが……

まぁ――

——もともと俺はたいして真っ当な人間でもねぇしな



こっちの道のが後悔は少なそうだ、と少し自嘲する。

俺は人の気配が途切れた道で、深く大きく息を吸う。



「おいミナ。……通報が順当だろうな。これは、大規模火災の準備そのものだ」


ミナが立ち止まる。

足元を見たまま、また歩き出した。


「……今、あるのは兆候だけ。証拠がない。動かすには弱すぎる。公表しても、間に合う保証はどこにもねぇしーー」


背中ごしに、俺は言った。


「お前は、教会に連れてかれる」


ミナの肩が、微かに揺れる。


「そうね。でも、まずは公表しないで、廃棄場が襲われない手を考える。仮に最悪でも、自分から行くから連れ——」


「茶化すな。さっきは悪かった。相談の名を借りた拒絶をするところだった。……正直迷ってたからな。わかんだろ?迷うことくらいは」


彼女の眉がほんの僅かに動いた


「偉そうにいうところなのかしら?同情とか感傷じゃない前提なら、なんとかできるかもと思ってたのよね?選択肢がないなら迷えないから。迷えるだけの自信があるのに、何もしないんでしょう?話にならないわ!」


「お?プルプル震えてたくせに、ずいぶんしっかりした口きくなぁ?」

「演技よ!」


「わかったわかった。話も聞けないなら、俺の秘密を一つくれてやる。俺は知らない他人の夢を見る」


「ちょ…何いって……貴方も教会に連れてかれるじゃない?!」


「さて、本題に戻そうか。今度こそ相談の時間だ。これでお前を教会に行かせる訳にはいかなくなった所だ」


口元だけで笑ってみせる。

それから、できるだけ自然な声で続ける。


「ところで、朝のは何のテストだったんだ? 合格か? 遊んでただけか?俺の色気に興奮でもしてたのか?」


——理由は知らない。

でも、あの時のお前は、確かに必死だった。


「…ごめんなさい。試すような真似して。もう大丈夫…」

「で?」

「…私は自惚れてなんかない。協力して欲しいと思ってた。でも——」


ミナが、鋭い目つきを向けてくる。

だが、そんな目をしたところで俺の何が変わるわけでもない。


「……勘違いするなよ。これはお前が引き込んできた仕事だ。貸しにしてやる」

「要らないわ」

「俺が何も知らないままなら、いざって時に、俺は自分の身を守るだけ終わってたろ?」

「そうね、引き込んだのは私よ、でもーー」

「知っちまった。だからもう何もしない訳はいかない。余計なことをする羽目になった。だから貸しだ。合格なんだろ?文句はねぇ筈だ。それにもう遅い」


無理矢理すぎて、恥ずかしくなってはくるが、今更だ。


「……何故?」

「言ったろ?お前にチクられたら迷惑だからだ。チクられたからといって、捕まる気もさらさらないが、少なくても街に居るのは面倒になる」

「……何がいいたいの?」

「公表はナシだ。俺が死んだ後の世界のことなんか知ったこっちゃないーーそれと同じような理屈でだ」

「…なかなか最低ね、………でも少し同意するわ」

「……ほう、気が合うじゃねぇか」


ミナの目尻が、ほんのわずかに緩んだ。

俺もそれにつられて、肩から力を抜く。


「……結局、一番の理由は、“間に合わないかもしれない”ってところでしょ?」

「そこだな。敵が、いつタールを奪いに来るか。来週か、今夜か……。奪った後、一旦どっかに仕舞ってくれる保証もない」


「わざわざ1カ所に集めるんだもん、私は保管せずにそのまま使うと思ってる。だいたい盗難後は警備も厳しくなるでしょ?でも、そうすると集団はそれなりの規模ね?」


「……そんなもん決まりで大人数だ。殺しまでやってんだ。ゴルダニルが処理した分だけでも、都合で馬車10台は固い。さすがに俺がどんだけーー」


「そうね、アーサーがどれだけ剣の達人でも…それはやめた方がよくない?」


空気がすっと緩む。

ようやく一息つけた気がした。


「時間さえありゃぁ、やりようは山ほどあるが…一旦全部ナシだ。…考えがある。方向性を変える。……被害の最小化を狙う」


ミナが何度か瞬きをして、前髪を指で払った。


「……どうするつもり?」


と目を細めて小さく笑う。

誘うような目ぇしやがって。

いいじゃねぇか、嫌いじゃない。


俺は、静かに切り裂いた。


「任せろ。俺が全部、うまく処理してやる」


ーー俺のマニフェストだ。

誰のものでもない、俺自身の意思だ。




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