第五話 マニフェスト①
タールと聞けば、大抵の奴は黒くてベトベト、火をつけりゃよく燃える厄介なモノを想像するだろうが、本来の用途は防水だ。
屋根や基礎の防水材、防腐剤としては優秀で、使うなら新しい方がそりゃ効果は高い。
だから使用期限があるんだが、それも、経済が回るってんなら、悪い話ばかりじゃない。
つまり、生活必需品でありつつ、処分に困る微妙な立ち位置。放っておけば危険。管理は必須。
危険物だから、管理が必要。管理には書類。
【廃棄物管理表】ってわけだ。
ざっくり言うなら、追跡用帳簿付きのゴミとして処理される。
この街では、その帳簿を即日で行政に提出する。
しかも誰でも閲覧できる。
なにせ、神の目の下では隠し事は罪だから、ってやつだ。
宗教ってのは、いちいち情報管理に向いている。
ゴミだって馬鹿にできたもんじゃない。
個人情報、取引先、営業戦略。場合によっちゃ武器屋の売上だって“灰の量”から割り出せる。
つまりこの街は、結構——見通しがいい。
ケッコーコケコッコー。
朝はもう終わりだってのに、寝坊助のニワトリの声がして、思考の迷子が一瞬でバラける。
花壇の縁にぐったりと尻を下ろして、ため息混じりに空を仰いだ。
相談が筋、とは思ってる。
ただ、考えを纏めとかねぇと、碌な話もできやしない。
「……どうすっかなぁ」
タールが集められてた。しかも半年も前から。
だからって、大規模火災狙いとは限らない。
他の可能性も考えるべきだ。
……たとえば、経済的な利得?
いや、ないな。ワイン樽やビール樽じゃねぇんだ、タールの樽にそこまでの金銭的価値はない。しかも、口封じまでしてまで回収する手間を考えれば、割に合わない。
……他国が戦争目的で利用?
仮にあっても、この都市を拠点にする意味はない。なんなら標的になるのはこの街だ。タールぐらい自前で揃えた方が早えぇ。
……街への脅迫?
タールを撒くだけで火をつけない、見せしめや脅しの類って線も無いことはねぇが……。
——いやいや、逃げすぎだ。
ベンチから腰を上げ、目の前の井戸へ向かう。
柄杓に水を汲み、顔にぶっかけると、ひやりとした感触が目の奥まで突き刺さった。
水滴が首筋を伝い、少しだけ視界が澄む。
可能性を挙げ始めりゃキリがない。
問題は、タールで火事が起これば、多くの人間が死ぬってことだ。
タールが狙いって決まったんだ、あとは辿ればいい。
行政に開示させるのもいい、ここの廃棄業者に直接聞くのもありだ。
商会を訪ねるのもいい。
ピンクもヒントもそこら中に転がってる。
見知った顔でも出てくれば、そいつは真っ黒だ。
下手すりゃ三連巨乳に出くわすかもな。
他にもある。
商会に戻ってゴルダニルの身辺を洗うってのも手だ。
奴が苛つきながらやってた書類、決算用ってことだったが別モンの可能性はある。
あるいは領収書。最近増えてたが、あれ、同業団体との付き合いだ……もしかすると、気付いたんだろう。自分が知らぬうちに何かに加担しちまったことに。情報を掴もうとしてた可能性もある。
取っ掛かりは、手に余る程だ。
時間さえあればどうにだってなる。
「……チッ…」
井戸の脇に置かれた桶を両手で掴む。
苛立ちがこみ上げ、考えを叩き割るように首を前に出し、ざばっと頭に水をかけた。
滴が額から鼻先を伝い落ちるより早く、桶をがらんっがらんと乱暴に地面へ放り投げた。
「どうにでもなるがよ。だがその前に……いや確実にだ」
この廃棄業者は襲われる。
集めるって事は、廃棄処理が終わる迄には来るって事だ。
ゴルダニルを殺った連中が、タールを回収しに来る。
その前に止めなきゃ使われて仕舞いだ。
だが、全く何も証拠がない状況だ。
何しろピンクの他には何も無い。
グレイ商会からの廃棄だけでも、ざっと二百樽。
彼は、廃棄の誘導が通じなかったから殺されたんだろう。ため込まなきゃ、無理をしなけりゃ、殺されずに済んだのかもな。
「……皮肉だな」
思わず声が漏れる。
立ち上がって、ミナの休憩所へ向かう。
あいつは、自分から来やしない。
今も「具合が悪い」ふりでもしてんだろう。
俺の捜査時間を稼ぐつもりなんだろうが……
俺が頭を抱えてるだろうと見越して、したり顔で笑ってたりしてな。
悩むまでもない。
今すぐミナの"祝福"を公開して、行政に任せるのが筋だ。
だがそうなれば……あいつには、キツい人生が待ってる。
教会に群がってる奴らに連れてかれちまうのがオチ。
そして帰ってこない。
生きてるかどうかもわからない。
案外どこかで楽しくやってるのかもしれないがな。
教会の鐘が鳴って、1日が始まり……鐘が鳴って、1日が終わる。
別に悪い街じゃない。
逆に、この街よりいい街ってのは、なかなか無いぐらいだ。
飯は美味いし、酒場は朝まで大盛り上がりだ。
金廻りはいいし、貧民街もない。職も溢れてる。
嫌な貴族が幅利かせてたりもしない。
文字が読める人間で溢れてる街なんかあるか?
なにしろ、"普通"の人間は、美味いところだけ食える街だ。
俺もその一人。美味いところだけ人一倍食ってる側の人間だ。
だから正直、あまり考えた事も無かったが、いざとなると、な。
「……ほんと、皮肉だよな」
太陽が昇りきってないのに、こんなに人と話した日は、何年ぶりだったか。
……思い返して、自分で苦笑した。
午後を知らせる鐘の音が、近くで響いた。