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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第六章
58/66

第58話 そして二人はいつまでも

 水の音が聴こえる。大量の水が岩にくだけ、飛沫しぶきをあげる音だ。


 流れ、押しよせ、引いてはまた打ちよせる。心地よいその響きに導かれ、アレンの意識はゆっくり浮上した。まぶたに温かな光を感じ、薄く目をあける。


「……まぶし」


 目の上に手をかざしながら身を起こしたところで、


「……は?」


 ひどく間の抜けた声がこぼれた。目の前に、途方もない青がひろがっていた。はるけき蒼穹よりなお深い、紺碧の水面が日の光をはじいてきらきらと輝いている。


「でけえ湖……」

「阿呆」


 背後の声にぎくりとしてふりむけば、岩壁にもたれて両足を投げだす中年男の姿があった。


「湖じゃねえ。海だ」

「海……」


 アレンはぼんやりとその言葉をなぞる。話に聞いたことはあるが、実際に海というものを目にするのはこれが初めてだった。


 きらめく海原に波がたつ。いくつもいくつも、消えては生まれる白い波。ああこの光景はずっと眺めていたい──


「──のわっ!!」


 頰すれすれを火花がかすめ、アレンは飛び上がった。


「まだだめか」


 パイプをくわえたまま魔術師がちっと舌打ちをする。


「っぶねえな、おっさん! いきなり何しやがんだ!」

「やかましい。気が散るから黙ってろ」


 今度は靴先にぼっと紅い火がともり、アレンはあわててそれを踏み消した。


「くそ、勘がもどらねえ……」


 ぶつくさこぼす魔術師の口から、アレンはパイプを奪いとった。


「だからやめろって! 火ならあとでつけてやるから!」

「いますぐやれ」

「それが人にものを頼む態度か。あれ、火打ち石どこやった……」


 そこでアレンははたと気づいた。悠長に火おこしなどしている場合ではないことに。


「じゃなくて、おっさん! あんたのあれ! あれとか他のあれとかどうなった!?」

「ボケ老人か、てめえは」


 さして独創的でもない悪言にアレンは激しくうろたえた。自分はいつの間にか父王に似てきてしまっているのだろうかと。それだけは嫌、絶対。


「……もろもろご無事でしょうか」

「てめえの頭以外はな」


 動揺のあまり言葉遣いがおかしくなってしまったアレンに、シグルトは薄気味悪そうな目を向けた。それでも手短かに説明してくれたのは、きっと早く話を終わらせて火をつけてほしかったからだろう。


「おれの中にいたやつらは消えてんな。引き抜かれてあっちに帰ったんだろ」

「入り口ってやつは?」

「閉じた。おまえが落とした剣がふたになったんだろ。はずみでわけのわからんところへはじき飛ばされたみてえだが」


 その言葉に、アレンはあらためて周囲を見わたした。目の前には大海原、背後は切り立った崖、足元はごつごつした狭い岩場だ。森の木々など影も形も見あたらない。


「元凶が消えたんだ。黒屍くろかばねも、いまごろ元にもどっているだろうよ。元の人間のむくろにな」

「そっか……」


 アレンの身体からどっと力が抜けた。岩場に手をついたところで、左袖からのぞく黒が目に入り、苦いため息をつく。


「こっちは変わらないか」

「それも戻る」

「本当か!?」

「かもしれん。おまえ次第だな。動かねえからってほっとくと一生そのままだ」

「あ、それわかるぜ。前に世話になったきこりの親方が熊に腕噛まれたことがあってさ、大事な筋? みたいなとこが切れて、医者にもさじ投げられてたんだけど、さすが親方、すげえがんばって……」


 途中から完全に聞く姿勢を放棄していたシグルトにかわり、アレンの胸元で「ピイ」と応じるものがいた。


「ピーちゃん!?」


 深緑の外套から頭を出したのは、がんばり屋の使い魔ピエトロだった。


「ごめん! そこにいたの忘れてた。苦しくなかった?」


 へいき、と言うように小鳥は鳴き、アレンのまわりを一周すると、すいと空へ飛び去っていった。


「ギル爺呼んできてくれるってさ」

「……わかんのか?」

「いや? なんとなくそんな気がしただけ」

「さすが、人間より動物に近い生き物なだけあるな」

「まあ、あんたより話が通じることはたしかだな」


 憎まれ口のたたき合いが一段落したところで、アレンは火をおこした。魔術師のためというより、煙をあげて救助を求めるためだ。ピーちゃんのがんばりには期待しているが、どれだけ遠くに飛ばされたのかもわからない以上、すぐに迎えがくると思わないほうがいいだろう。まずは自分から助かる努力をしなければ。


 そんなことを考えながらせっせと流木を集めているアレンをよそに、シグルトは気だるげに煙をくゆらせていた。


「あんたもすこしは働けよ」

「おれは疲れてんだよ。おまえが余計なことをしたせいでな」

「余計なことってなんだよ! おれはあんたを助けてやったんだぞ!」

「頼んでねえ」

「頼んだ! おれたしかに聞いたし!」

「はん、ついに耳までいかれたか」

「言ったって……ああもう、どうでもいいや」


 水かけ論に疲れてアレンは頭をふった。


「そんなことより、あんた、あとで金払えよな。おれの剣二本もだめにしやがって。とくに二本目なんて高く売れるはずだったんだぞ」

「知るか。おまえが勝手にやったことだろ」

「だからそれはあんたのためにだな……」


 そこでアレンは口をつぐんだ。やめよう。こんなひねくれ者とまともにやり合うだけ時間の無駄だ。それより賠償請求額の試算でもしていたほうがよっぽど気がきいている。


 集めた流木を火にくべながら、ジークの借り賃は諸経費に含めてよいか、それとも人件費に計上すべきかを考えていると、今度はシグルトが声をかけてきた。


「おいクソガキ」

「んだよ穀潰ごくつぶし」


 背中を蹴られた。つくづく足癖の悪い男である。


「おまえ、アングレーシアで……あの塔でおれに何しやがった?」

「なんだよ、いまさら」


 あの一件は、互いの暗黙の了解により封印したはずである。


「知りたくないんじゃなかったのか」

「知りたくねえが、このままってのも我慢ならん。いいからさっさと白状しろ。さもなきゃてめえの頭に重石つけて海に沈めるぞ」

「やれるもんならやってみろよ」


 言い返しながらも、この男にも知る権利はあるかとアレンは思いなおし、しぶしぶ口をひらいた。


「……よく、わからないんだよ、おれにも」

「おい、あれからひと月もたってねえぞ。てめえの頭は鳥並みか」

「うるさい。忘れたわけじゃなくてだな……なあ、あんた、呪いでカエルに変えられた王子の話知ってるか?」

「ああ? あの父親がやたら厳しいやつか?」

「あんたもそう思った?」


 同じ感想をもった仲間がいたことがうれしくて、アレンは思わずひざを打つ。


 お姫様が落とした金のまりを拾ってくるかわりに、お姫様との食事および共寝を要求する醜いカエルの話だ。お姫様は約束をやぶってカエルを追い返そうとするのだが、厳しい父王は「約束は約束」とカエルの望み通りにするよう娘に命じる。


「いくら約束ったって、相手はカエルだぜ? そこは娘の味方するよな、普通」

「父親は父親でカエルに弱味でも握られてたんだろ。泉のそばで人妻をくどいている現場を見られていたとか」


 いやに具体的な推測を示され、これ絶対実体験だなとアレンは確信した。


「それがなんだってんだよ」

「ああ、そんでさ、お姫様は怒ってカエルを壁にたたきつけるだろ?」


 すると、あら不思議、カエルは王子の姿にもどり、お姫様と結婚して幸せに暮らしましたとさ……という結末に、自分を壁にたたきつけたお姫様に求婚する王子って変わってるな、とか、カエルを素手でつかめるお姫様なら鞠くらい自分で拾ってこられるんじゃないかな、とか、子ども心にもさまざまな疑問をいだいたアレンだったが、それはさておき、


「呪いを解く方法にも、いろいろあるってことでさ」


 そう、なにもわざわざキスしなくても、まずはこの中年男を壁にたたきつけてみればいいのではないか。塔で眠る不審者を前にしたアレンの頭に、その考えは天啓のごとくひらめいた。


 しかし、問題はどうやって壁にぶん投げるか、である。さすがにカエルのように片手でつかんで、というわけにはいかないので、アレンはひとまず中年男を床に落としてみることにした。ぶつける先が壁でも床でもさしたる違いはなかろうと考えてのことだったが、せーの、と男の腕をつかんで引きずり落としたところで足がもつれて──


「……で?」


 シグルトは地の底から湧き起こるような声をあげた。


「どうなったんだよ」

「……だからわかんねえって」

「なに寝ぼけたこと言ってんだ、てめえは! そっから先がいちばん大事だろうが!」

「仕方ないだろ、わかんねえもんは! 一緒に転んじまって、気がついたらあんた起きてたし!」

「つまりやってないんだな!?」

「……たぶん」


 転んだときに顔をどこかにぶつけたような気もするが、そのあたりは本当におぼえていない。というか、思い出したくもない。


「たぶんじゃねえ! もっとしっかり思い出せ!」

「うん、思い出した! あんたは頭ぶつけて起きたんだよ! もうそういうことにしとこうぜ!」

「ふざけんな、このクソガキが! やっぱりてめえはここで沈める!」

「上等だ、クソジジイ!」


 同時に立ち上がった二人に、近くで水たまりをつついていた海鳥が迷惑そうに飛び去った。


 本来、魔術の調子がいまひとつのシグルトなどアレンの敵ではなかったのだが、アレンはアレンで片腕がきかず、勝負はなかなかつかなかった。しまいに疲れはてて岩場に転がったところで、二人は運よく通りかかった漁船に回収してもらうことができた。


 あんたら何やってたんだ? と素朴な疑問を投げかける漁師の前で、二人はふてくされたように、ただきらめく海を眺めていた。


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