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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第六章
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第51話 運の良さには自信あり

 カリス砦の一の門が破られたのは、襲撃を受けた日の夕刻のことだった。二の門の内にしりぞいて一夜の後、ナヴァール守備隊長ヴァレー伯と第七師団長アイーダは協議の末に撤退を決めた。


 疲労と寝不足で、ともすればよろめきそうになる足を踏みしめ、オルランドは城壁へ続く階段をのぼっていた。砂がつまったような頭に浮かぶのは、とりとめのない考えばかりだ。たとえば、いま悩まなくてもいい師団の構成についてなど。


 ここ二年ほどは諜報活動に重きを置き、炎の威力より飛行能力に優れたドラゴンの配備を進めてきたオルランドである。「やる気は火力に比例する」などと意味不明な主張をふりかざす一部団員(オルランドの上官含む)を理詰めで黙らせつつ。


 その方針が間違っていたとは思わない。だが、やはり有事の際に頼りになるのは純粋な力だということを、今回の件で思い知らされた。来期の計画を練りなおす必要があるかもしれない。もっとも、


 ──次というものがあれば、だが。


 胸のうちで自嘲気味につぶやき、オルランドは城壁の上に出た。冷えた夜気とともに、耳障りな音が身をつつむ。城壁に群がる亡者が門に拳を打ちつける音だ。騒音に顔をしかめつつ、オルランドは城壁の縁に立つ上官のもとへ歩みよった。


「団長」


 ふりむいたアイーダの顔にも、さすがに疲労が色濃く浮いていた。だが、その両眼がまだ光を失っておらず、口元には変わらぬ笑みがたたえられていることに、オルランドは深く安堵した。いつものことながら、このひとの不屈さには救われる。


「ナヴァール守備隊の撤退が完了しました。砦に残っているのは団長とわたしのほか、団員が五名のみです」


 砦の放棄が決定されてから、第七師団の団員たちはドラゴンの背にナヴァール守備隊の兵を乗せ、カリス砦から山ひとつ越えたべつの拠点へ運んでいた。一日がかりでドラゴンを何度も往復させ、先ほどようやく最後の一団を見送ったところである。


「ご苦労」


 ねぎらいの言葉をかける上官の隣に立ち、オルランドは城壁の外側を見下ろした。暗闇にうごめく亡者の群れは、巨大な黒百足(むかで)を連想させた。


「ヴァレー伯も無事に発ったようだな」

「ええ。あのご老人をドラゴンにお乗せするのはひと苦労でしたよ。最後の最後で、やはり残ると言いだされまして」

「指揮官として立派な心がけではないか」

「心がけで戦に勝てますか。ろくに動けもしない怪我人に居座られても邪魔なだけです」

「……おい、それそのまま伝えていないだろうな」

「まさか。わたしもそこまで余裕を失ってはおりません」


 そんなことより、とオルランドは言葉を続ける。


「団長もお急ぎを。ドラゴンを一頭残してあります」

「何を言う。わたしがこの砦を出るのは、おまえたちを見送ったあとだ」


 予想どおりの返答だったので、オルランドは驚かなかった。かわりに、これ以上ないほど嫌味ったらしくため息をついてやる。


「団長までわたしを困らせないでいただけませんか」

「……なんだろうな。おまえにそういう態度をとられるたびに、姉上からの手紙を思い出すんだ。底意地が悪いというしゅうとめへの恨み辛みが切々と訴えられていてな、結びの言葉はいつも同じだ。いつかあの女に復讐してやる、と」

「ほう、あの聖女のようなソフィア殿下にそのような一面がおありとは」

「おまえは知らないだろうが、姉上はあれでけっこう執念深い」


 隣国に嫁いだ第一皇女のささやかな秘密を打ち明けた後で、アイーダは強情そうに腕を組んだ。


「わたしは残る。このとおり、体もまだ動くからな。足手まといとは言わせないぞ」

「団長が残ろうと残るまいと戦況は変わりません。ですが、団長にもしものことがあれば一大事……」

「オルランド」


 真摯な声で名を呼ばれて、オルランドは口をつぐんだ。初めて会ったときからそうだ。このひとの声には、他者を無条件で従わせる何かがある。


「おまえの言うことはわかる。立場もわかる。仮にも皇女の身を危険にさらすわけにはいくまいな。だが、わたしもこれだけは譲れない。師団長に就任したときに誓ったのだ。どんなことがあっても部下を見捨てるような真似だけはすまいと……わかっている」


 アイーダはかるく頭をふり、口を開きかけたオルランドを制した。


「甘い理想論だ。だが、これくらいは大目に見てくれないか。わたしにも意地というものがあってな」


 そこでアイーダは小さく笑った。この上官にしてはめずらしく、かげりのある笑みだった。


「わたしが陰で何と噂されているかは知っている。女ごときに師団長が務まるものか、はねっかえりの狂女めが、おとなしく皇城の奥で刺繍でもしていればよかろうに……とかな。ここでわたしがおまえたちを置いて逃げれば、やつらは手を打って喜ぶだろう。それ見たことか、やはりあの女には過ぎた地位……」

「くだらない」


 オルランドの語気の強さに驚いたように、アイーダはまばたきをした。


「そんな蛆虫うじむし以下のやからに、何の面目をたてる必要があるのです。つまらない矜持などお捨てなさい。誰が何と言おうと、あなたはわれらのおさです。あなたさえいれば第七師団は安泰だ。逆に、あなたがいなければわれらに戦う意味も……なに笑ってるんですか。本気で怒りますよ?」


 オルランドがじろりとにらみつけてやると、アイーダは「すまん」と詫びたが、にやけ顔はそのままだった。


「おまえの口からそんな台詞が聞けるとは思ってもみなかった。正直、嬉しい」

「それはようございました。で、このわたしにここまで言わせたからには、おとなしく先に行ってくださるのでしょうね。この──」


 オルランドは城壁の外をあごで示す。


「お客はわれらが適当にお相手しますので」


 城門が殴打される音に混ざって、みしみしと嫌な音が聞こえてくる。もって明け方かと、オルランドはどこか他人事のように考えた。


「おまえの気持ちはありがたく思う」


 アイーダは笑いをおさめ、オルランドの顔を見つめた。


「だが、やはりだめだ。団長として、部下を見捨てることはできない」


 舌打ちをこらえられたのは上出来だと、オルランドは自分で自分をほめてやった。


「アイーダ様」


 勘弁してくれ、と口の中で悪態をつく。このひとにここまで意地の悪い一面があったとは思いもよらなかった。諸手もろてをあげての全面降伏以外は受け入れないということか。


「団長としてだの、皇女殿下としてだの、そんなことはどうでもいいのですよ」


 たじろいだように揺れる黒い瞳を、オルランドは真っ直ぐに見つめ返す。一度しか言ってやらないから、よく聞くといい。


「わたしは、あなたに生きていてほしいのです。世界中の誰がどうなっても、あなたさえ無事ならそれでいい」


 アイーダの目と、ついでに口がぽかんと開いた。その隙を逃さずオルランドは短く命じた。


「──やれ」


 だっと物陰から飛びだした二つの影が、アイーダに襲いかかった。


「うわっ……ととと……」


 するどい一撃を食らって前のめりに倒れたアイーダの身体を、背後から抱きとめたのはテオだった。その横でひきつった顔のウィルが頭をかかえている。


「……やっちまった……おれやっちまった……あああどうすれば……」

「どうもしなくてよろしい。むしろなぜもっと早くやらなかったんです」

「無理ですよお、副団長! 団長てば全然隙ないんですもん!」

「そうっすよ! 気づかれないように近づくだけで、おれらもう冷や汗もんで……」


 半泣きで訴えるウィルとテオのもとへ、さらに三人の団員が駆けよってくる。


「すげえ、ほんとにやりやがった」

「まさか団長の気絶顔をおがめる日がこようとは……」

「なあ、これふりじゃねえよな。つついたら起きるとか、ないよな」


 珍獣を捕らえたときはこんな感じかと思いながら、オルランドは手を打って場の注目を集めた。


「では、手はずどおりに」

「はーい」


 よい子のお返事をよこす団員たちの中からひときわ若い一名が進み出ると、気絶したアイーダを背負い、死地に赴くがごとき悲壮な笑みを残して立ち去った。


「あーあ、あいつも気の毒に。団長が起きたら真っ先に殺されんのはあいつだな」

「あいつ昔っからクジ運悪かったもんなあ」

「さて、いちばん運が悪いのは誰でしょうね」


 オルランドの皮肉げな眼差しを、団員たちは胸をはって受けとめた。


「いや、むしろべらぼうに運がいいですわ」

「そうそう、怒り狂った団長は野生ドラゴンより危険ですから。こっちのほうがよっぽど安全てもんです」

「おれなんて今日のドラゴン占い一位でしたし」

「副団長の素直なとこも見られて最高にツイてるっす!」


 最後の一言に、発言者をのぞく団員たちの顔が凍りつく。


「おまえたち──」


 部下たちの顔を順番に見つめ、オルランドは口の端を持ち上げた。来期の計画はやはり修正せねばなるまい。ことに予算編成を。


「全員昇給だ」


 ここで終わる気など毛頭なかった。彼らにも、そして自分にも。


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