第47話 この師にしてこの弟子あり
さんざん泣いたらすっきりして、そして猛烈に恥ずかしくなった。先ほどとは少しちがう種類の恥ずかしさだったが。
「あのおっさんには言わないどいてくんねえ?」
アレンがそう頼むと、老賢者は重々しく、そしてどこか悪戯っぽく「よかろう」とうなずいた。
「そのかわり、またパンを焼いてくれんか」
「あれ気にいってくれた?」
「うむ。おぬしの腕なら店がひらけようぞ。なんならわしが出資しようかの」
「金あんなら先に金貨一千枚よこせよ」
「さて、この状況を説明して進ぜよう」
逃げやがったなジジイ、とアレンはいまいましく思ったが、たしかにいま何がどうなっているのかは知りたかったので、おとなしく黙っていることにした。
「おぬしと師匠が旅立ってから、わしは意を決して髪と髭を剃りはじめた」
「そのくだりいる?」
決意むなしく三秒で口をはさんでしまったが。
「長年のばしつづけ、日々の手入れもおこたらんかった髪と髭に別れを告げるのは身を切るよりつらいことじゃった。しかし、剃ってみるとこれがなかなか良い具合に決まっておってな。これなら娘っ子にもモテるのではないかと、わしはバルザック爺さんにまたがってアングレーシアの街にくりだしたのじゃ」
「動機が最低だな」
毛といっしょに慎みまで剃りおとしてしまったのか、老賢者ギルロイの性格は不肖の師にだいぶ似てきてしまっているようだ。師弟であるから似ても不思議はないのだが、なんというかこう、しみじみとがっかりである。
「で、モテた?」
「それを確かめている暇などなかったわい。わしが街についたときには、ひどい騒動がもちあがっておっての」
その騒動とは、アレンがトラヴィスで出くわしたこととほぼ同じだった。その身を黒く染めた亡者がアングレーシアの街で暴れまわったのだという。
その亡者は、数日前にナヴァールからやってきた旅人だった。連れもいないひとり客で、深くかぶった頭巾の下の顔は煤けたような黒におかされていたと、のちに宿屋の主人が証言している。
逗留中ほとんど部屋にこもっていた旅人が、物言わぬ骸となって寝台に横たわっているのを最初に見つけたのは宿の女中だった。西の空にひらめいた雷のごとき光に、なにか悪いことが起きなければよいがと住人たちが噂をしていた矢先の出来事だったという。
黒い亡骸を見た宿の主人は、奇妙な客を泊めてしまったことをひとしきり悔やんだのち、遺骸を教会へ運んで埋葬を手はずを整えた。
教会の遺体安置所から黒屍と化した旅人がさまよい出たのは、翌日の明け方のことだった。不運にもその場に居合わせた教会の下男を手にかけたのち、亡者は街に出て手当たりしだいに住民を襲った。
街の男たちが棍棒で殴っても斧で斬りつけても、その亡者は倒れなかった。機転のきくパン屋の若者が火のついた薪を投げつけるまでの間に、黒屍は五人の命を奪い、それに倍する住民に傷を負わせた。
陽がおちてからアングレーシアの街にやってきたギルロイを迎えたのは、いつもの笑みのかわりに恐怖を顔にはりつかせた住民と、清めてもぬぐいきれない血臭だった。
事の次第を聞いたギルロイは、すみやかに犠牲者の遺体を焼くよう訴えたが、遺族と司祭はとんでもないと猛反対した。遺族の制止をふりきり、司祭を杖で殴りたおしたギルロイが松明を手に聖堂へ駆けこんだとき、堂内には新たな亡者を前にした弔問客の絶叫が響きわたっていた。
「いま思えば、わしも相当頭に血がのぼっておったのじゃろうな。家族を失って悲しみ、動転している者たちに、いきなり遺体を焼けなどと言ったところで受け入れてもらえるはずもなかろうに。せめてもの救いは、あらたな犠牲者を出す前に、その五人を葬ってやれたことか……」
その翌朝、ギルロイはアングレーシアの領主の館におもむき、騒動の顛末と、百年前大陸に跋扈した黒い亡者について語った。その上で、黒屍の牙にかかった住民たちの保護を願い出たのだが、恐怖にかられた領主が下した命令は、ギルロイの要請とは真逆のものだった。
身体に黒斑があらわれた者を捕らえ、すみやかに焼けと。
「……ちょっと待てよ」
アレンは身じろぎをした。
「焼けって? すぐに? それって、まさか……」
──生きたまま?
あまりのおぞましさに声にならなかった問いを、ギルロイはうなずいて肯定した。
「……ふざけんな!」
アレンは拳で地面を殴りつけた。
「なに考えてんだ、そいつ! 頭おかしいだろ。まだ生きてるのに、焼けって……殺せってか!」
「恐怖は、ときに人を愚行に走らせるものじゃ」
もちろんギルロイは止めたが、領主はその言を聞き入れるどころか、老賢者を捕らえて牢獄につないだ。亡くなった五人のうちの一人が領主の妻の縁者であったこと、さらにギルロイが殴りたおした司祭が領主の弟だったことも、事態を悪い方向へ導くのに一役買ってしまったらしい。
牢獄で、ギルロイは捕らえられた住人たちを迎えた。その身のどこかしらを黒く染めた者たちを。
「おぬしを捕らえた者たちは、領主の私兵じゃよ。傭兵くずれの者たちで、荒事やら汚れ仕事やらを任されておるようだ。街の住人を狩りだし、そして今夜、われらを焼く仕事もな」
「今夜って、うそだろ……」
アレンは息をのんだ。
「こんなことで嘘はつかん。わしらもつい先ごろ、牢獄からこの小屋へ移されたところじゃ。このあたりはかつての石切り場での、小屋ごとわれらを燃やすにはうってつけの場所じゃよ。それにしても……」
ギルロイはつるりとした頭をなでた。
「おぬしが放りこまれたときは驚いたわい。いや、人の縁というものはつくづく奇なるものよ」
「感心してる場合か!」
アレンはギルロイの両肩をつかんだ。
「まずいだろ、それ! 早く逃げないと、おれたちまとめて灰になるってことか!?」
「灰にはならん。あの芸当は師匠にしかできんよ。せいぜい黒こげといったところかの……わしの髪のように」
ギルロイは悲しげに目を伏せた。
「のんきなこと言ってんじゃねえよ! とにかく逃げるぞ!」
「やかましいわ」
ギルロイの声は静かだったが、その底にどこか圧倒されるものを感じとって、アレンは押し黙った。
「ぴいぴい騒ぐでない。おぬし、わしが誰だか忘れておるようじゃの。わしは──」
にい、と唇の端をつり上げたギルロイの顔を見て、アレンは胸のうちでつぶやいた。おいジイさん、その面はとても賢者なんて呼べたもんじゃないぜ、と。
「──あのクソッタレ師匠の弟子であるぞ」




