第46話 髪型が変わると印象も変わる
意識がもどって最初に感じたのは後頭部の痛みだった。
「……おお、兄ちゃん!」
暗い視界に、どこかで見たことのある男の顔が映る。
「よかった、目えさめて。どうだい、気分は。吐き気は? ああ、だめだよ急に動いちゃ……」
はじかれたように身を起こしたアレンだったが、すぐにぐわんと頭がゆれ、たまらず地に両手をついた。手の平に返ってきた冷たい土の感触で、どうやら自分が納屋のような場所に放りこまれているらしいとわかった。どこからか射しこむ弱々しい月光が、いまが夜だと教えてくれる。
「ほら言わんこっちゃない。しばらくじっとしてな」
肩におかれた手を、アレンは乱暴にふりはらった。
「……なせよ、おれ行かないと……」
「そんなふらふらでどこに行くってんだい。どうせどこにも行けやしないよ。いいからほら、横になんな」
「はなせっ!」
相手をつきとばそうとしたところで、アレンはその男が誰であるか思い出した。
「おっちゃん……?」
「おお、そうだよ。久しぶりだな、兄ちゃん」
いかにも人がよさそうな、丸っこい顔に垂れた目尻。半月ほど前にアングレーシアの酒場で蜂蜜酒をおごってくれた常連の親爺だった。
「こんなとこで会うとはなあ。あんたも若いのに気の毒に」
「ちょっと待てよ、おっちゃん、なんでここに……てか、ここどこだよ。いや、とにかくおれ行かないと……」
「落ち着かれよ、アレン王子」
静かでありながら力強い声がかけられた。ふりむいた先に端座していたのは、ゆったりとした長衣をまとった老人だった。あたりをはらう威厳にあふれたその姿は――
「……どちらさまですか」
「待てええええいっ!!」
老人はがばりと立ち上がった。蜂蜜酒の親爺がかばってくれなかったら、その手にした長い杖でぶん殴られていたかもしれない。
「物覚えの悪い王子じゃな! それともなにか、そんなに印象薄いのか、わしは!」
その叫びに、アレンの頭の隅でかちりと記憶がかみあう。
「はああああああっ!?」
アレンは老人に負けず劣らず声をはりあげた。
「ギル爺!?」
「爺とはなんじゃ!」
おいおい、いま夜中だから、と親爺がたしなめる声も耳に入らず、アレンは呆然と老人を見つめた。
荒野の賢人ギルロイ。その外見はといえば、初対面のときは腰までとどく白い髪と白い髭、そして不良中年魔術師の炎の犠牲になった後は爆笑必至のちりちり姿であったはず。
しかしいま、アレンの前に立つ老賢者の姿は、そのいずれとも異なっていた。
「……なんか、ハゲたな」
「剃ったんじゃ!」
つるつるの頭と顔を真っ赤にしてギルロイが叫んだところで、アレンははっとした。髪型を云々語っている場合ではない。とっさに腰に手をやったが、いつも下げているはずの剣はそこにはなかった。
「安心せい」
ギルロイがしぶい顔で言った。
「わしはおぬしの敵ではない。おぬしにその黒を植えつけたのも、この災いをまきちらしているのも、わしではなく……」
そこで老賢者は深いため息をつき、つるりとした頭をなでた。その仕草に、アレンの脳裏に故郷の父王の姿がよぎる。
「……あんたじゃないならいい」
アレンは頭をふって立ち上がった。
「待たれよ、アレン王子」
「悪い、おれ急いでるから……」
「待てと言うておる」
歩き出しかけたところを杖で足払いをかけられ、アレンはずしゃっと地べたに転がった。
「邪魔すんなジジイ!」
「落ち着かんかい。おぬしの国なら大丈夫じゃ」
「え……」
「父御どのも母御どのも、兄君たちも皆無事じゃ。何を聞かされたかは知らぬが、どれも無責任な噂に過ぎぬよ。たしかに、おぬしの国でその病がひろがりかけているのは事実じゃが、まだナヴァールほど深刻ではない。まずは落ち着いて身体を休めよ」
「そう……なんだ」
アレンは身体を起こし、ひざの間に頭をうずめた。背中をさすってくれているのは、きっと蜂蜜酒の親爺の手だろう。
「……ギル爺」
「爺はやめい」
「ハゲ……」
「ギル爺でよい」
お許しがでたので、アレンは震える声でその名を呼んだ。
「あのさ、ギル爺……」
言いたいこと、尋ねたいことは山ほどあった。
あのおっさんがいなくなったんだ。デイジーも。そういやバルザック爺さんは? あの男たち何者だよ。そもそもここはどこで、おれたちこれからどうなるんだ……
確かめなければいけないことはたくさんあったのに、唇からこぼれた言葉はそのどれでもなかった。
「……おれ、化け物なんだって」
背をなでる手がとまった。
「マルタに言われた……あの変なやつらにも、ローザも、ほかのみんなも……」
ぎゅっと閉じたまぶたの裏に、嫌悪にゆがんだ顔がいくつも浮かぶ。
「馬鹿だ、おれ。ちょっと……いい気になってた」
アイーダが、オルランドが、テオとウィルが、第七師団の面々が、皆が当然のように自分を受け入れてくれるものだから。あの魔術師ですら、まるで態度を変えなかったものだから、すっかり勘違いをしていたのだ。
「……おれは、おれだけは違うって」
ひざに顔をうずめたまま、アレンは右手で左腕を強くつかんだ。冷たく固く、あらゆる感覚が失われた左腕。
「おれは、なんにも変わってない。やつらとは違うって……はっ」
ひきつった笑いは嗚咽に近かった。
「なにやってんだろ、おれ……同じなのに……サイアムとか、ナヴァールのやつらと、おんなじ……」
「化け物かい?」
はっと顔をあげると、ほんの少し寂しそうな親爺の顔が間近にあった。その瞬間、アレンは我が身を苛んでいるものの正体を理解した。
「……ちげえよ」
人の感情でいちばん厄介なのは恥かな、とは、いつだったか次兄が口にしていた言葉だ。
──あればっかりは他人にぶつけられないからねえ。自分の内側が喰われるばっかりで。
賭け札を弄びながらそんなことを語っていたフランシスに、この兄にも恥ずかしいと思うことがあるのかと首をひねったことをよく覚えている。
「化け物なんかじゃない。人間だよ」
自分も、他の皆も。
「ちゃんと、同じ人間だよ」
そんな当たり前のことがわかっていなかった。自分と同じ病に苦しんで、自分と同じように助けを求めて、そして力尽きた人たちだったのに。なのに、勝手に線を引いて区別していた。根拠のない優越感にひたっていた。
自分は違う。他の化け物とは違う、と。
化け物。その言葉はたしかに自分を傷つけた。けれど、真実アレンを打ちのめしたのは、化け物と呼ばれた瞬間に自覚した、己の傲慢さだった。
「……ごめん」
途方もない羞恥と自己嫌悪に押しつぶされ、アレンはふたたびうなだれた。ここで謝ったところで何の意味もないとわかっていて、それでも詫びの言葉を口にすることしかできなかった。
「いいってことよ」
ごつごつした手がアレンの頭をなでてくれた。驚いて顔をあげると、蜂蜜酒の親爺が照れくさそうに笑っていた。
「って、おれが言うことじゃねえけどな。でも兄ちゃん、もういいじゃねえか。あんたも辛かったんだろ? その気持ちはよおくわかるからよ」
親爺はおもむろに右足の裾をまくりあげた。そこにあらわれたものにアレンは息を呑む。
「おっちゃん……」
暗闇に慣れたアレンの目に、その足を覆う黒が飛びこんでくる。
「左も同じだ。もうろくに歩けねえ」
「なんで……」
親爺は手ぶりで小屋の隅のほうを示した。はじめは気がつかなかったが、その暗がりには数人の男女が身を寄せ合っていた。
「あいつらもそうさ。みんなどっかしらやられちまって、そんでここに連れてこられたんだ。家族にも見放されて、散々ひでえこと言われて。唾までひっかけられてさ。でもなあ」
くしゃりと丸っこい顔が笑う。
「兄ちゃんが同じだって、人間だって言ってくれて、嬉しかったぜ。だからもういいじゃねえか。男がそう泣くもんじゃねえぜ」
言われて初めてアレンは気づいた。自分の目からぼたぼたと涙が落ちていることに。
「ありがとな、兄ちゃん」
ぽんぽんと頭をたたかれて、アレンはうなずいた。声にならない思いを伝えるために、何度も、何度も。




