第27話 死に至る病
皇城に到着したアレンとシグルトは、オルランドに伴われ、とある部屋の前に案内された。
「ここから先はおふたりで」
オルランドが開けてくれた扉の先に広がっていた光景に、アレンは一瞬ひるんだ。重厚なしつらえのその部屋で、長い卓を囲んだユリウス帝はじめ十名ばかりの廷臣が、一斉にアレンたちを見たからである。
「そちらへ。アレン王子、魔術師どの」
不審と好奇の視線が突き刺さるのを感じながらユリウス帝が示した席についたアレンは、居並ぶ廷臣たちの間にアイーダの顔を見つけてほっとする。
「まずは両名に感謝を。昨夜はよくぞわが国の民を救ってくれた」
礼を述べつつもユリウス帝の眼はけわしく、これは根にもたれてんなあ、とアレンは内心で首をすくめた。
「そのかわり、人ひとり焼き殺したことについてはお咎めなしでいいのか?」
アレンの隣でシグルトが横柄に訊ねる。
「その件については、すでに調べがついておる。サイアムと申したか、昨夜の暴漢はトラヴィスの楽士であったそうだ。ひと月前に旅先で病を得、そのまま回復することなく……」
いったん言葉を切った後、ユリウス帝はその事実を告げた。
「昨日の朝に息をひきとったと」
アレンはわずかに身じろぎをした。
ユリウス帝が語った内容については、すでに馬車の中でオルランドから聞かされていたアレンだったが、それでも事態の奇怪さにはたじろがずにいられなかった。
サイアムという名の楽士が亡くなったのは昨日の朝。しかし、同じ日の晩にその楽士は祭りの広場にあらわれた。ということは、つまり、
「つまり、昨夜かの者はすでに死していたということになる。死者をふたたび害したとて、それを裁く法をわが国はもっておらぬ……アレン王子」
ユリウス帝はアレンに目を向けた。
「そなたは昨夜かの者と対峙したとか。そのときの様子を話してくれぬか」
「はい……」
アレンは唇を湿らせ、なるべく落ち着いた声で語りはじめた。
サイアムという男の身体が壊死したような黒に侵されていたこと。その怪力がおよそ人間ばなれしたものであったこと。剣で斬りつけても、その身からは一滴の血も流れなかったこと。
そして、間近で見た男の両眼には、感情と呼べるものが一切浮かんでいなかったこと。
「あれは、とても生きた人間の目ではありませんでした」
アレンがそう話を結ぶと、ユリウス帝は深い息を吐いた。
「言い伝えのとおりであるな。百年前、世を覆いし黒き奇病。その病にたおれし者は、亡者となって甦る。かの亡者の名は……」
「──黒屍」
低い声が無造作に放られた。場の視線が一点に集中する。背中を丸め、椅子に沈みこむ灰色の魔術師に。
「死人返り、黒鬼……ほかにもいろいろあったが、おれたちはやつらをそう呼んでいた。〈まだらの手〉に命を吸われた人間の成れの果てだ」
「魔術師どの」
ユリウス帝がシグルトに問いかける。
「この言い伝えには続きがある。黒き亡者と戦う軍団のうちには、炎をあやつる魔術師の姿があったという。もしや、そなたが伝説の……」
「お待ちください、陛下」
廷臣のひとりが席を立った。強い髭をたくわえた、生粋の武人といった風情の壮年の男だった。
「そうお判じになるのはいささか尚早かと。おふたりの話が真実とも限りませぬし」
「アレン王子と魔術師どのが偽りを述べていると?」
「そういうわけではございませんが……」
じゃあどういうわけだよ、とアレンはむっとしたが、口には出さなかった。髭をなでながらアレンを見下ろす廷臣の目には、不信と軽侮の色がありありと浮かんでいた。
「口をつつしめ。我が国の恩人にたいし無礼であろう」
臣下を叱責し、ユリウス帝はシグルトにふたたび問いかける。
「して魔術師どの、その〈まだらの手〉とは何者なのだ。なにゆえに人を襲う」
「べつに、何者でもない。ただの人間……ただの魔術師だった。身の丈に合わん力を欲しがって禁呪に手を染めた、ただの阿呆さ。〈涯の海〉……いまでもそう呼ぶのか」
涯の海。その名はアレンも聞いたことがある。太古の昔は海であったという、アングレーシア地方の北に広がる深い森のことだ。異形の者が棲む地と伝えられており、近隣の猟師もその森にはけっして足を踏み入れないという。
「あの森でやつは……おまえらにわかりやすいように言ってやれば、魔物を一匹釣り上げたのさ。おおかた魔物の力を喰ってやるつもりだったんだろうが、ざまあねえ、逆に喰われちまったってわけだ」
魔物にとりつかれた魔術師は、身のうちの異形が望むまま、人の命を貪り喰らう悪鬼と成り果てた。
「やつの《《食事》》の仕方は変わっていてな。目をつけた人間の、どこでもいい、手で触れる。やつに触れられれば、そこが黒く染まる。痣みたいにな。痣は日に日に広がって、いずれは全身が黒に染まる」
抑揚に乏しいシグルトの語りは、聞く者の耳に寒風を送りこむようで、アレンは無意識に己の左腕をさすった。
「つま先まで真っ黒になれば、そこで終いだ。厄介なのはその後さ。いっぺん死んだ人間が、夜になればまた起き上がる。こいつが犬みたいにやたらと人に噛みつきたがってな。噛まれて死んだ人間も、また次の晩にはやつらの仲間入り。命が助かったとしても噛まれたところが黒くなって、そこから先は……」
わかるだろうと言いたげに、シグルトは口の端を持ち上げた。
人の命をすすってまわる魔術師の腕には、どす黒い斑紋が浮いていたという。ゆえに、人々はかの者をこう呼んだ。まだらの手、と。
「なるほど、よくわかった」
ユリウス帝はひとつうなずくと、鋭い視線をシグルトの顔に送りこんだ。
「では、いまひとつ。黒き魔は白き炎によって焼き払われたと伝えられておる。しかし、いまふたたびかの者が現れたということは、つまり百年前にそなたが仕損じたということか」
「……やつの身は、おれが焼いた」
シグルトは目を細め、ユリウス帝の眼差しを受けとめる。
「それだけは間違いない。もっとも、証も何もないがな。大昔のことだ。何が本当で何が嘘か、覚えているやつ残っちゃいねえ……」
そこでシグルトは唇をゆがめて一同を見わたした。
「だから、おまえらはせいぜい自分の信じたいことだけを信じていればいいさ」
嘲弄まじりの放言に、先ほどの武人風の廷臣が怒気もあらわに腰を浮かしかけたが、それを制するかのように立ち上がった者がいた。
「ならばシグルト」
トラヴェニア帝国第二皇女にして第七師団の長アイーダが、ユリウス帝の許可を得てシグルトに問いかけた。
「過去ではなく、現在について伺いたい。昨夜の……あなたの言葉を借りれば黒屍となったわが帝国の民を、炎をもって葬ったのがあなたであると聞いているが、これはまことか?」
「もちろんさ、お姫様」
アレンは片手で顔を覆った。なんなのこの中年! 片目つぶらないと死ぬ病か何かなの!? というアレンの心の叫びに共鳴してくれる者は、残念ながらこの場にはいないようだった。
「ではそのお力、ぜひともわれらにお貸しいただきたい。ナヴァールの危機については、すでにお聞きおよびのことと思うが」
黒い瞳に強い光をたたえ、アイーダはシグルトを見すえた。




