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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第三章
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第25話 お礼の相場は半年分

「──逃げろ!」


 エリノアール姫にそう言いのこし、アレンは走った。背中で少女が叫んでいるのが聞こえたが、何と言っているのかはわからなかった。


 アレンが駆けつけるより先に人垣から二人の若者が飛びだし、楽人に馬乗りになっている黒い男につかみかかった。これは出番なしかとアレンが思った矢先、ぎゃっという悲鳴とともに空から人が降ってきた。


 黒い男が、己の肩に手をかけた若者たちを両手で一人ずつ抱えて投げ飛ばしたのだ。まるで猫の仔を放るように軽々と。


 若者たちが石畳にたたきつけられると同時に、それまで恐怖より好奇心が勝ったように広場にとどまっていた人々が雪崩をうって逃げはじめる。

 その逆流する人波から、アレンは躍りでた。


「──っのやろ!」


 助走をつけてからの飛び蹴りは、しかしまるで効き目がなかった。黒い男はうっとうしげに身をゆすり、逆にアレンの腕をつかんで地面に組み敷いた。そのまま狂犬のごとく喉笛に食いつこうとした男の腹を、アレンはとっさに蹴りあげる。

 自由になったところを一転して跳ね起き、アレンは腰の剣を抜いた。猛牛のように突進してくる男から身をかわしざま、その右腕に斬りつける。


 ざんっ、と嫌な衝撃が剣から手に伝わった。やった、と思った瞬間、すさまじい力で剣がもぎとられた。


「……は」


 アレンの口からかすれた吐息がもれた。


 黒い男の右腕に、アレンの剣が深々と食いこんでいる。自らの肉をもってアレンの剣を奪いとった男の、なかば切断されたその腕には、あるべきはずのものがなかった。

 生きている人間なら傷口からほとばしるはずの、赤い血潮が。


 ──こいつ、

 

 アレンの全身から冷たい汗が噴きだした。


 ──人間ひとじゃない。


 真っ白になった頭の中で、その言葉だけがぐるぐると駆けめぐる。


 男は腕に刺さった剣を無造作につかんで放り捨てた。カン、と固い音を立てて転がる剣の上に、ちぎれた右腕がぐしゃりと落下した。


 逃げなければ。そう思いながらも、アレンの両足は石畳に縫いつけられたように動かなかった。


 黒い男がアレンに迫る。ひじから下が失われた腕をぶらつかせ、もう一方の腕を前へ突きだして。

 爪の先まで黒に染まった指が、アレンの喉をとらえかけた、そのときだった。


「──邪魔だ、クソガキ」


 爆風が、アレンを吹き飛ばした。


 背中から石畳にたたきつけられて息が止まる。とびかけた意識をかろうじてつなぎとめ、地に両手をついて身を起こしたアレンの顔を熱風がなぶった。


「……あんた」


 広場に出現した青白い炎。その炎の壁を前に長身の男がたたずんでいた。男のくすんだ銀髪に、灼熱の白炎が照り映える。


 荒れ狂う炎は、現れたときと同じように唐突に消えた。あとにのこされたのは夜の闇と静寂。それと、ひと山の灰。ちょうど人ひとり分ほどの。


「おっさん……」


 アレンはよろめく足を踏みしめて立ち上がり、男の肩に手をかけた。


「んだよ、気安くさわんじゃねえ……っ!」


 不快げにふりむいた男の顔面に、アレンは勢いよく拳をたたきこんだ。


「──っにしやがる、このクソガキ!」

「それはこっちの台詞だクソジジイ!」


 一日ぶりに姿を見せたシグルトを怒鳴りつけ、アレンは地面の一点を指さした。


「あれ! あれどうしてくれんだよ、おれの剣!」


 灰の山のかたわらに、溶けた鉄の塊が石畳にへばりついている。炎の巻き添えを食った、アレンの愛剣の変わりはてた姿であった。


「弁償しろ、弁償!」

「てめえ、それが命の恩人に向かって言うことか!」

「ああ、助けてくれてありがとな!」


 感謝の言葉を──助けられたというより焼き殺されかけた記憶しかないが、そこはいちおう礼儀として──叫んで、アレンはシグルトの胸倉をつかんだ。


「あれはな、おれの持ち物の中でいちばん高いやつだったんだよ!」

「ふん、てめえの命よりか。やっすい命だなあ、おい」

「その命けずって稼いだ金だっての! いいから返せ、おれの稼ぎの半年分……」


 不意に、アレンのひざから力が抜けた。


「……れ?」

「おい」

「……や、大丈夫」


 アレンは石畳にへたりこみ、立てたひざに顔をうずめた。震える身体を抱きしめ、荒い呼吸をくりかえす。


「腰が抜けたか」

「……そうだよ」


 虚勢をはる余裕もなかった。たまりにたまった恐怖が、気を抜いたとたんに襲いかかってきたのだ。


「まいった……ほんと、こんなに怖かったのいつぶりだろ」


 情けないことに声すら震えている。だが、何かをしゃべらずにはいられなかった。とにかく口を動かしていないと、もっとひどいものがあふれてしまいそうだったので。たとえば悲鳴とか、嗚咽とか。


「笑いたきゃ笑えよ」

「笑ってんのはおまえだろ」

「あれ、ほんとだ。人間とことんまで恐怖を感じると笑うって本当だったんだな。エド兄の言ったとおり……」


 へらへら笑いながら顔をあげると、アレンの予想に反して真顔の魔術師がそこにいた。


「まあ、おまえはまだマシなほうだ。あれとはじめてやりあったやつは、たいてい吐くか気絶するかだからな」


 あいつらみたいに、とシグルトがあごをしゃくった先では、最初に襲われた楽人と、投げ飛ばされた二人の若者が、そろって白眼をむいて倒れていた。


「そのひとたち大丈夫か?」

「さあな。死んじゃいねえだろ」

「もっとちゃんと確認しろよ。まず脈みて……」

「野郎なんぞにさわれるか」


 アレンは腹の底からため息を吐きだした。


「おれさ、この先あんたより最低な人間に出会える気がしねえわ」

「ああ、てめえの狭い世界じゃそうだろうよ」


 程度の低い舌戦が勃発しかけたところで、高い声が広場に響いた。


「──アレン!」


 金髪の少女が走りよってくるなり、体当たりするようにアレンの肩をつかんだ。


「怪我したの!?」

「……エリー?」


 アレンはぽかんと少女の名を呼んだ。


「逃げなかったのか?」

「逃げたわよ! 逃げて、もどってきたの! そんなことより、あなた馬鹿じゃないの!?」

「……はい?」

「全然だめじゃない! 弱いくせに何やってるのよ! そういうのは勇気があるって言わないの! ただの馬鹿なの! わかってるの!? この馬鹿!」


 ひたすら馬鹿だと叫ぶ少女の青い瞳に、じわりと涙がにじむ。


「え……ちょっと」


 うろたえるアレンの前で、エリノアール姫はわっと泣きだしてしまった。うわ待って、とアレンが姫君の肩においた手は、もう震えていなかった。


「頼むからさあ……」


 なかなか泣きやまない少女の背中をなでながら夜空を仰ぐと、唇を嘲笑の形にゆがめた魔術師と目が合った。


「女を泣かすとは情けねえやつ」

「うるさい」


 むっとしてにらみつけた魔術師の肩ごしに、こちらへ駆けてくる警備隊の姿が見えた。


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