第22話 末っ子の主張
帰れ。嫌、帰らない。
裏路地でこのやりとりをくりかえすこと十数回。エリノアール姫の青い瞳にじわりと涙がにじんだところで、アレンはうっとひるんだ。
たいていの男の例にもれず、アレンは女性の涙にたいそう弱かった。過去の恋人たちとの別れ話がほぼ秒単位で終わったのも、この性質によるところが大きい。
というのも、「やっぱりわたし、フランシス王子のことが……」とか「じつはエドガー王子のことが頭から離れなくて……」などと切りだす少女たちのうるんだ瞳を前にすると、アレンはほとんど条件反射的に「うん、わかった! いままでありがとう!」と別れを承諾してしまうので。
たまに「わたしへの気持ちはその程度だったのね」と泣かれたりなんかして、もうどうすりゃいいんだよと天を仰ぐこともあるが、おおむね穏便に事を終えてきたアレンである。
だが、今回ばかりは簡単に引き下がるわけにはいかないと、アレンはせいぜい穏やかな声で「あのさ」と姫君に語りかけた。
「あんたがいなくなって、皆すげえ心配してると思うぜ? とくに親父さんとかさ。誘拐されたんじゃないかって騒ぎになってるかも」
「その心配はないわ」
目尻をぬぐいながら姫君は答える。
「書き置きを残してきたから。あなたと一緒にお祭りに行くって」
「おれを巻きこみやがったのか!?」
アレンの大声に、少女の肩がびくりと震える。その拍子に、青い瞳から大粒の雫がぽろりとこぼれた。
「あっ、ちょっとまっ……」
アレンがおろおろしている間に、エリノアール姫は両手で顔を覆い、しゃっくりをあげはじめてしまった。
「悪かった! おれが悪かったからそれやめて! お願い!」
通行人の「あーあ泣かせた」という非難の視線をびしばし感じながら、アレンは必死で姫君をなだめにかかる。
「そうだ、舞踏会! 今夜はあんたのための舞踏会があるんじゃないか。主役がこんなとこにいちゃだめだろう? おれが送ってってやるから早く帰ろう、な?」
「いや」
エリノアール姫はかたくなに首を横にふる。
「あんなの、ちっとも楽しくない。皆が集まるのも、わたしのためなんかじゃなくて、お父様のためよ。皆わたしのことなんてどうでもいいの」
「そんなことないだろ」
「そうなんだってば!」
エリノアール姫は涙に濡れた瞳でアレンをにらみつけた。
「わかってるわよ! 皆がわたしにうんざりしてるってことくらい! どうせ手のつけられないわがまま娘だって思ってるんでしょ! 姉様たちとは違うって! ええ、そのとおりよ! わたしはうんとわがままで思いやりがなくて、癇癪もちの嫌われ者で、それからそれから……」
せきを切ったように言いつのる少女の姿は幼稚で滑稽で、そしてどこか痛々しかった。
「まあ、気持ちはわからなくもないけどさ……」
「何がわかるっていうのよ! 適当なこと言わないでよ!」
「適当じゃねえよ」
ほんの少し苦いものを含んだアレンの声に、エリノアール姫はふと激情から醒めたようにまばたきをする。その姫君に、アレンは小さく笑いかけた。
「兄姉が優秀すぎるってのも考えもんだよな」
しょっちゅうまわりから比べられて、追い抜こうとむきになっては、追いつけもしなくて落ちこんで。いっそいなくなってしまえと願ったりもするのに、どうしたって嫌いにはなれなくて。
「……とにかく、舞踏会なんて出たくないの。今日はわたしのためのお祝いなんでしょ。だったら、わたしの好きなように過ごすの!」
その言葉が決め手だった。アレンは暮れなずむ空を見上げ、大きく息を吐いた。
「──わかった」
「え……」
「あんたの言うことももっともだな。今日はあんたが主役なんだし、おれに付き合えっていうなら付き合ってやるよ」
ただし、とアレンはつけくわえた。
「あんまり遅くなるのはだめだからな」
エリノアール姫はぽかんとアレンの顔を見つめていたが、やがてこくりとうなずいた。
「花火があがったら帰るわ」
「交渉成立。じゃ、まずは」
アレンはエリノアール姫がまとう外套のフードを深くおろした。
「何するのよ!」
「頼むから顔は隠してくれ。あんたがその顔さらしてると、お日様みたいに目立つんだよ。このへんの住人が皇女様の顔を知っているとは思えないけど、だからってじろじろ見られんのはあんただって嫌だろう?」
アレンの説明に、エリノアール姫はしぶしぶといった様子でフードの角度を直した。
「あと、あんた金もってる?」
「あたりまえでしょ」
馬鹿にしたような顔でエリノアール姫がさしだしたのは見事な細工の紅玉のブローチで、アレンはやっぱりなとため息をついた。
「そりゃだめだ」
「足りないっていうの!?」
「逆だって。そんなもん出されて釣銭返せる店なんてないから。質屋に持っていっても物が良すぎて疑われる。いいからそれも隠しとけ」
アレンは先ほど酒場で稼いだ金を手の平で数えた。かなりあわてて店を出たのだが、賭け金だけはしっかり回収した自分をほめてやりたい。大勝ちしたといっても、所詮は庶民の博打銭、たいした額ではない。それでも、二人で祭りを楽しむには充分だろう。
「では、行きますか。お……」
姫様、という言葉をアレンは呑みこんだ。往来でそんな呼び方をするわけにもいくまい。だったら、とアレンはべつの呼び名を口にする。
「エリー」
不意をつかれたように目を丸くしたエリノアール姫だったが、すぐにふいと横を向いた。
「……今日だけ許すわ」
「ありがたき幸せ」
胸に手をあてて一礼し、アレンはエリノアール姫をうながして歩きだした。陽気な笑い声がはじける、祝祭のただなかへ。




