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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第三章
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第22話 末っ子の主張

 帰れ。嫌、帰らない。


 裏路地でこのやりとりをくりかえすこと十数回。エリノアール姫の青い瞳にじわりと涙がにじんだところで、アレンはうっとひるんだ。


 たいていの男の例にもれず、アレンは女性の涙にたいそう弱かった。過去の恋人たちとの別れ話がほぼ秒単位で終わったのも、この性質によるところが大きい。


 というのも、「やっぱりわたし、フランシス王子のことが……」とか「じつはエドガー王子のことが頭から離れなくて……」などと切りだす少女たちのうるんだ瞳を前にすると、アレンはほとんど条件反射的に「うん、わかった! いままでありがとう!」と別れを承諾してしまうので。


 たまに「わたしへの気持ちはその程度だったのね」と泣かれたりなんかして、もうどうすりゃいいんだよと天を仰ぐこともあるが、おおむね穏便に事を終えてきたアレンである。


 だが、今回ばかりは簡単に引き下がるわけにはいかないと、アレンはせいぜい穏やかな声で「あのさ」と姫君に語りかけた。


「あんたがいなくなって、皆すげえ心配してると思うぜ? とくに親父さんとかさ。誘拐されたんじゃないかって騒ぎになってるかも」

「その心配はないわ」


 目尻をぬぐいながら姫君は答える。


「書き置きを残してきたから。あなたと一緒にお祭りに行くって」

「おれを巻きこみやがったのか!?」


 アレンの大声に、少女の肩がびくりと震える。その拍子に、青い瞳から大粒の雫がぽろりとこぼれた。


「あっ、ちょっとまっ……」


 アレンがおろおろしている間に、エリノアール姫は両手で顔を覆い、しゃっくりをあげはじめてしまった。


「悪かった! おれが悪かったからそれやめて! お願い!」


 通行人の「あーあ泣かせた」という非難の視線をびしばし感じながら、アレンは必死で姫君をなだめにかかる。


「そうだ、舞踏会! 今夜はあんたのための舞踏会があるんじゃないか。主役がこんなとこにいちゃだめだろう? おれが送ってってやるから早く帰ろう、な?」

「いや」


 エリノアール姫はかたくなに首を横にふる。


「あんなの、ちっとも楽しくない。皆が集まるのも、わたしのためなんかじゃなくて、お父様のためよ。皆わたしのことなんてどうでもいいの」

「そんなことないだろ」

「そうなんだってば!」


 エリノアール姫は涙に濡れた瞳でアレンをにらみつけた。


「わかってるわよ! 皆がわたしにうんざりしてるってことくらい! どうせ手のつけられないわがまま娘だって思ってるんでしょ! 姉様たちとは違うって! ええ、そのとおりよ! わたしはうんとわがままで思いやりがなくて、癇癪かんしゃくもちの嫌われ者で、それからそれから……」


 せきを切ったように言いつのる少女の姿は幼稚で滑稽で、そしてどこか痛々しかった。


「まあ、気持ちはわからなくもないけどさ……」

「何がわかるっていうのよ! 適当なこと言わないでよ!」

「適当じゃねえよ」


 ほんの少し苦いものを含んだアレンの声に、エリノアール姫はふと激情から醒めたようにまばたきをする。その姫君に、アレンは小さく笑いかけた。


兄姉うえが優秀すぎるってのも考えもんだよな」


 しょっちゅうまわりから比べられて、追い抜こうとむきになっては、追いつけもしなくて落ちこんで。いっそいなくなってしまえと願ったりもするのに、どうしたって嫌いにはなれなくて。


「……とにかく、舞踏会なんて出たくないの。今日はわたしのためのお祝いなんでしょ。だったら、わたしの好きなように過ごすの!」


 その言葉が決め手だった。アレンは暮れなずむ空を見上げ、大きく息を吐いた。


「──わかった」

「え……」

「あんたの言うことももっともだな。今日はあんたが主役なんだし、おれに付き合えっていうなら付き合ってやるよ」


 ただし、とアレンはつけくわえた。


「あんまり遅くなるのはだめだからな」


 エリノアール姫はぽかんとアレンの顔を見つめていたが、やがてこくりとうなずいた。


「花火があがったら帰るわ」

「交渉成立。じゃ、まずは」


 アレンはエリノアール姫がまとう外套のフードを深くおろした。


「何するのよ!」

「頼むから顔は隠してくれ。あんたがその顔さらしてると、お日様みたいに目立つんだよ。このへんの住人が皇女様の顔を知っているとは思えないけど、だからってじろじろ見られんのはあんただって嫌だろう?」


 アレンの説明に、エリノアール姫はしぶしぶといった様子でフードの角度を直した。


「あと、あんた金もってる?」

「あたりまえでしょ」


 馬鹿にしたような顔でエリノアール姫がさしだしたのは見事な細工の紅玉のブローチで、アレンはやっぱりなとため息をついた。


「そりゃだめだ」

「足りないっていうの!?」

「逆だって。そんなもん出されて釣銭返せる店なんてないから。質屋に持っていっても物が良すぎて疑われる。いいからそれも隠しとけ」


 アレンは先ほど酒場で稼いだ金を手の平で数えた。かなりあわてて店を出たのだが、賭け金だけはしっかり回収した自分をほめてやりたい。大勝ちしたといっても、所詮は庶民の博打銭、たいした額ではない。それでも、二人で祭りを楽しむには充分だろう。


「では、行きますか。お……」


 姫様、という言葉をアレンは呑みこんだ。往来でそんな呼び方をするわけにもいくまい。だったら、とアレンはべつの呼び名を口にする。


「エリー」


 不意をつかれたように目を丸くしたエリノアール姫だったが、すぐにふいと横を向いた。


「……今日だけ許すわ」

「ありがたき幸せ」


 胸に手をあてて一礼し、アレンはエリノアール姫をうながして歩きだした。陽気な笑い声がはじける、祝祭のただなかへ。


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