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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第三章
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第21話 賭け事はほどほどに

 祭りでにぎわう帝都トラヴィスの大通り。その路地裏に一軒の酒場がある。安くて美味くて小汚い、どの街にもあるような大衆酒場だ。日暮れどきを迎えて活気づく店内には、酒の香と料理の湯気、それにパイプの煙が混ざりあってもやのようにたちこめている。


 その靄のなか、ひとつの卓のまわりに何やら人だかりができていた。


「……二倍だ」


 卓の中央におかれたふだの山から一枚ひきぬいた大男は、にやりと笑って賭け金代わりの骰子ダイスを積み上げた。


「くっそ、おれはおりる!」

「おれも」


 卓を囲んでいた男たちは次々と持ち札を放る。彼らが興じているのはふだ()わせ賭博。数字札と絵札で「やく」と呼ばれるさまざまな組み合わせをつくり、その強さを競う遊戯だ。勝負からおりた男たちの札は、いずれも役が完成するにはほど遠かった。


「おい、兄ちゃん」


 大男はただ一人のこった小柄な青年に声をかけた。


「兄ちゃんはどうする」


 黒髪の、このあたりでは見ない顔の青年だった。陽が西にかたむいた頃にふらりと酒場にあらわれ、慣れた様子で賭け卓についたこの青年、多少くたびれてはいるが小ざっぱりした身なりで、腰に剣をさげていることから、おおかた下級騎士の子弟だろうと他の客は考えていた。


「そうだなあ……」


 青年は手持ちの札を眺めて首をひねった。端整というわけではないが、感じのいい顔立ちだ。よく光る緑の瞳と、いかにも俊敏そうな身体つきは、どことなくすばしっこい黒猫のような印象を見る人に与える。


「おれは三倍」


 おおっと見物人の間からどよめきがあがる。大男は目を細め、自分の息子とさして変わらない年頃の青年を見やった。


「兄ちゃん、悪いことは言わねえ、やめときな。どんないい役ができてるかは知らんが、おれの札にはかなわねえよ。その向こう見ずな度胸に免じて、いまなら見逃してやるから」

「お気遣いどうも。けど、男に二言なしだ」


 青年は不敵に笑う。


「おっちゃんこそ、まさかこのに及んでびびっちまったとかいうんじゃないだろうな」

「けっ、口だけは威勢のいい小僧だぜ。せっかくの祭りの夜だってのに、よっぽど身ぐるみはがされたいらしい。まあ、せめてもの情けだ、あとでいい質屋を紹介してやるよ」


 生意気な若造の口を封じてやるべく、大男は卓の上に手札を投げた。五枚中四枚の札は黒の数字札。のこる一枚は杖を持つ老人の絵札だった。


「〈黒衣の魔術師〉だ! どうだ小僧、まいったか!」


 すげえ、と周囲がざわめくなか、黒髪の青年はさっと顔をうつむかせた。


「……くっ」


 押し殺した声が、青年の口からもれる。


「どうした兄ちゃん、泣き落としか」


 優越感にひたる大男の前で、青年は勢いよく顔を上げた。


「あーっはははははっ! やっぱり思ったとおりだぜ! 悪いな、おっちゃん! おれも普段はここまでやらねえんだけど、その役だけはぶっ潰してやらないと気がすまないんでな! ほらよ、ざまあみやがれクソッタレ魔術師!!」


 明らかに個人的恨みを爆発させたと思しき宣言とともに、青年は卓の上に札をひろげた。赤一色、しかも連番の数字札に混ざって、王冠を戴いた男の絵札が一枚、さらに、笑いの仮面をつけた男の絵札が一枚。


 ──血染めの道化師!


 最高難易度の役に歓声がはじける。興奮した客に肩やら背中やらをたたかれながら、黒髪の青年──アレンは悠然と足を組み、まだ自分の目が信じられないといった顔をしている大男に勝者の笑みを向けた。


「質屋行くか?」




 ……アルスダイン王国第二王子フランシスの趣味は札合わせ賭博である。よわい十にしてこの遊戯に目覚めたフランシスは、ほどなく王都で負けなしの強者となり、十五の頃には技の研鑽と小遣い稼ぎのため、さらにはまだ見ぬ強敵との出会いをもとめて、しばしば国境の街の酒場に出没するようになる。


 わざわざフランシスが国境まで出向く理由は、旅人の多い街であれば他国の猛者もさと遭遇する確率が高いからであり、また、のちに弟にもらしたとおり「うちの国民から金を巻きあげるのも気がひける」からでもあった。


 そのフランシスにアレンが弟子入りしたのは、いまから五年前のことだ。


 たびたび王宮を抜けだしては少なからぬ金を稼いでくる次兄の行動を不審に思ったアレンは、ある夜こっそりその後をつけ、場末の酒場で札をきる兄の華麗な手さばきにすっかり魅了されてしまったのである。


 その晩、フランシスはうっかり勝ちが過ぎてしまい、怒り狂った勝負相手につかみかかられたのだが、すんでのところでアレンが飛びだし、兄を暴漢の手から救ってやった。助かったと礼を述べつつ両親には内緒にしてくれと持ちかけたフランシスに、アレンは「黙っててやるから、おれにもそれ教えて!」と、きらきらした目で訴えたのであった。


 以来、アルスダインの国境の街では「美貌の凄腕勝負師とちっこい弟子兼用心棒」の二人連れがしばしば目撃されることになる……。




「……もうひと勝負だ」


 話はもどってトラヴィスの酒場。アレンに敗れた大男は、屈辱に震えながら再び札をきりはじめた。


「やめときなって、おっちゃん。いい憂さ晴らしをさせてもらった礼に、三倍ってのは取り消してやっから。おとなしく倍額払って帰んな」

「うるせえ! 小僧にコケにされてこのまま引き下がれるかよ。ほら、取りやがれ」

「しょうがねえなあ」


 卓におかれた札の山から、アレンは無造作に五枚引き抜いた。


「これで最後だからな」


 アレンとしては今宵の祭りを楽しむための小金が稼げればそれでよかったのだが、思わぬ長丁場となってしまった。


 ただ勝つだけなら二流、跡を濁さず勝ち逃げできてこそ一流、という次兄の教えをかみしめながら、アレンは手の中の札にざっと目を走らせた。そう悪くない組み合わせだ。絵札は騎士の一枚だけだが、あとの数字札をうまく使えば──


「ねえ、王女の札はないの?」

「ないねえ」


 背中にかけられた声に、アレンはのんびりと応じる。


「どうしてよ」

「そりゃ、お姫様はこんな野蛮な遊びなんてやらない……」


 アレンはそこで言葉を切った。


 いつの間にか、酒場はしんと静まりかえっていた。目の前の大男も、他の見物客たちも、みな魂を抜かれたような面持ちでアレンを見つめている。いや、正しくはアレンの後ろに立っている人物を。


 アレンの背中を冷たい汗が伝った。できることなら、いますぐこの場から逃げだしたかった。札も賭け金も放り捨てて、何も見なかったことにして酒場から駆け去るのだ。そう、ふりむくな、ふりむいたら負け──


「どうでもいいけど早く終わらせてよね。待たされるのは嫌いなのよ」


 苛立ちのにじんだ声とともに、その少女はご丁寧にもアレンの顔をのぞきこんでくれた。


 最高級の陶器を思わせる白い頬。人形のように整った、しかしけっして造りものではない証拠にきらめく青玉の瞳。いかにも貴人のおしのびといった格好の第三皇女のそばには、一人の侍女の姿も、一兵の護衛の影も見あたらなかった。


「…………」


 アレンは無言で卓に突っ伏した。楽しい祭りの宵が台無しになる予感は、すでに確たる現実となってアレンの頭に重くのしかかっていた。


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