第20話 野心より重いもの
「なによ、たいしたことないじゃない」
愛らしい唇から発せられた第一声がそれで、どうやらこの姫君の性格はオルランドが評していたとおりらしいと、アレンは内心で首をすくめた。
「アイーダ姉様がほめるから期待していたのに、がっかりだわ」
いや、あんたの外見と中身のつり合わなさ具合のほうがよっぽどがっかりだよ、とは口に出さず、アレンはせいぜい不本意そうな顔をつくって立っていた。
エリノアール姫の客間は、昨日の寝室よりさらに広く、贅沢なしつらえだった。だが、どんなに豪華な調度の数々も、部屋の主の絢爛たる美貌にはかなうまい。数人の侍女にかしずかれ、長椅子でクッションにもたれている姫君の姿は、それ自体がひとつの芸術品のように美しかった。
だけど、とアレンは思う。きらびやかなドレスをまとい、髪を結い上げた今の姿より、昨日のほうが可愛かったな、と。あの、髪をくしゃくしゃにして、深い色の瞳をまん丸にしていたときのほうが。
ほんのりした思い出にひたっていたアレンだったが、そこへひゅっと風をきって何かが飛んできた。
「──っにすんだよ!」
顔面めがけて投げつけられたクッションを、アレンはすんでのところで受けとめた。
「これ当たったら結構痛いぞ!」
おもてにびっしりと刺繍がほどこされ、房飾りまでついたクッションは、見た目よりずっと重かった。これを狙いあやまたずぶん投げた姫君、なかなかいい腕をしていらっしゃる。
「あなたがぼうっとしているから、起こしてあげようと思って」
エリノアール姫はつんとした顔で言い放った。
「昨日のお礼よ」
「……そりゃどうも」
クッションを投げ返してやりたい気持ちをおさえ、アレンは主人にかわって全身で申し訳なさを表現している侍女にクッションを手渡した。
「で、話って?」
「わたしに向かって、なんて口のきき方よ!」
「うちの教育方針でね。礼儀作法は相手によって使いわけろって」
すかさず二個目のクッションが宙を舞う。それを受けとめながら、アレンは長椅子の上に目を走らせた。敵の残弾は一。あれが投じられれば攻撃はやむだろう。まさか長椅子が飛んでくるなんてことはあるまい。
「本当に嫌なひとね! あなたに助けられるくらいなら、あのまま眠っていたほうがずっとましだったわ!」
「ああ、べつに恩なんて感じてくれなくていいぜ」
皮肉ではなく、本心からアレンは言った。
「お礼なら、あんたの親父さんからもらうことになっているから」
「それよ!」
──よし、三個目。
これでしばらく安心だと、駆けよってきた侍女にクッションを渡したアレンだったが、何を思ったかその侍女、受けとったクッションを長椅子にもどそうとする。お願いやめて、とアレンが声をあげる前に、年かさの侍女が後輩を目で止めてくれた。さすが先輩、よくわかっていらっしゃる。
「それがおかしいって言ってるのよ!」
エリノアール姫はアレンに指を突きつけた。
「あなた、わたしを助けた見返りに金貨を要求したんですって!? いったいどういうつもりなのよ!」
「どういうつもりも何も、だっておれ、もともとそれが目的だったし」
「信じられない!」
叫びながら左右を見たエリノアール姫だったが、悲しいかな、弾は既に尽きていた。
「わたしとのダンスよりお金が大事だっていうの!?」
「ダンス?」
訊き返したアレンだったが、すぐに「ああ」とうなずいた。
「今夜の、あれか」
今夜の舞踏会のことである。そこで娘と最初に踊ってくれないかと、アレンがユリウス帝にもちかけられたのは昨夜のことだ。話を聞いたアレンは、まず笑った。とんでもないことだと。
「たしかに断ったな」
「だから、なんでよ! このわたしと踊れるのがどれだけ名誉なことか、あなた、わかってるの? それを断るなんてどうして……」
「他国ともめたくないから」
アレンは簡潔に答えた。
舞踏会の一曲目は、夫婦や婚約者同士で踊るものと相場が決まっている。今宵エリノアール姫の最初の相手をアレンがつとめれば、まわりは当然こう思うだろう。アルスダイン王国に分不相応な野心あり、と。
「あんたのこと狙ってるやつは大勢いるんだろ? おれはその競争に参加する気はないんでね」
「なによ、意気地なし」
「なんとでも」
アレンの声も表情も穏やかだったが、その底にある断固としたものを感じとったように、エリノアール姫は口をつぐんだ。
「周辺諸国がその気になったら、アルスダインなんて半日でつぶされる。つまらない野心なんかで国を危険にさらすわけにはいかないんでね」
だから、皇帝からその申し出を受けたとき、アレンはとっさに笑った。笑って、冗談にまぎらわせて、丁重に、しかしきっぱり断った。
「あんたの親父さんも納得してくれたよ」
多少、いや、ものすごく親馬鹿な気はあるが、さすがは大国の統治者であるユリウス帝は、すぐさまアレンの真意を察し、申し出をとりさげてくれた。
かわりにアレンが提示した金貨一千枚についても快諾してくれた皇帝だったが、支払いは少し待ってほしいとすまなそうにつけくわえた。
「いちおう財務大臣に話を通しておかんと、あとがうるさいのでな」
「よくわかります」
どこの国でも金をにぎってるやつが強いのは同じだなと、アレンは深くうなずいたものである。うちの宰相も父王に呼びつけられるたびに「予算なら無いって言ってるでしょうが!」と額に青筋たてて怒鳴りこんできたっけ……などとアレンが故郷を懐かしんでいるところに、まさかの四発目、ではなく四個目のクッションが飛んできた。
「なんで!?」
愕然としながらもとっさに受けとめたクッションの向こうで、エリノアール姫が勝ち誇った顔つきで侍女から補充のクッションを受けとっていた。お許しくださいと目顔で訴える侍女に、気にすんなとアレンも目で応える。
「もういいわ。出てってちょうだい。あなたみたいに不甲斐ないひとの顔、これ以上見ていたくないから」
自分で呼んでおいてそれはなかろうと思ったが、いいかげん姫君の身勝手さにうんざりしていたアレンは素直にしたがった。だが、辞去の挨拶もそこそこに退出しかけたところで、アレンはふとふりむいた。
「なによ」
「いや、言い忘れてた」
アレンは優雅に一礼した。
「お誕生日おめでとう」
青い瞳が丸くなる。ぽかんとしたその顔がおかしくて、アレンは小さく笑った。
「どうぞ楽しい一夜を、姫君」
「……あなたなんか」
エリノアール姫の唇から、負け惜しみのようなつぶやきがもれる。
「部屋でひとりさみしく過ごしていればいいんだわ」
「おあいにく。おれは街にくりだして愉快にやるさ。祭りがあるんだろ? おれには舞踏会よりそっちのほうが性に合ってるんでね」
五個目のクッションが飛んでくる前にと、アレンは今度こそ退室した。
扉が閉まる直前に見えた姫君の顔が、どこか心あらずといったふうであったのが気になったが、アレンはすぐにそれを頭から追い払い、祭りがはじまる夕刻までのひとときを、デイジーや第七師団の面々と楽しく過ごしたのだった。




