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眠れる塔の魔法使い  作者: いろは
第一章
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第2話 知りたいけど知りたくないこと

「──で?」


 目の前の男はえらそうに足を組んだ。


「やったのか? やってないのか?」


 なぜおれは、とアレンは先ほどから麻痺したような頭の隅で考えていた。なぜに自分はこの中年男に尋問されていなければならないのか、と。


 二人が向き合っているのは、塔のたつ丘のふもとに広がる街の、とある酒場である。目覚めの第一声が「なんか腹へった」であった男の求めに応じて適当な店に腰をおちつけたところで、理不尽にも取り調べがはじまったというわけだった。


「正直に吐けよ。お兄さん怒んないから」


 その手の台詞を信じてはいけないということを、アレンは嫌というほど知っている。だてに十七年間二人の兄にもまれて過ごしてきたわけではない。


 だいたい、お兄さんて(がら)かよ、とアレンは上目遣いで男の顔をうかがった。


 シグルトと名乗ったその男、年は四十前後といったところか。むさくるしい無精ひげと中途半端にのびた髪は灰がかった銀色で、剣呑に細められた眼も灰まじりの青である。

 全体的にくすんだ色調の中年男だが、どちらかといえばきつめに整った顔立ちと均整のとれた長身は人目を引くに十分で、その証拠に先ほどから店の女給たちがちらちらと熱のこもった視線を投げかけてきている。


 いまこのときも、他の客にたいするより愛想が三割ほど上乗せされた笑みを浮かべた女給が、アレンたちの卓に料理を並べていた。ゆたかな腰つきの、いかにも健康そうな村娘で、ああ眠っていたのがこんな()だったらと、せつない気持ちで自分の杯をとりあげたアレンだったが、次のシグルトの台詞で口にふくんだ酒を盛大に吐きだした。


「おれにキスしたかどうかって訊いてんだよ!」


 ──ガチャン! 


 卓の上で豆の煮こみの鉢がはねた。


「……あ、あらあ、ごめんなさいねえー……」


 おほほほほ、とわざとらしい笑い声をたてて女給が卓にはねた汁をふく。一瞬しんと静まりかえった店内も、すぐに喧騒をとりもどす。だが、そこには先ほどまではなかった奇妙なよそよそしさが含まれていることを、アレンはしっかり感じとっていた。


「どうぞごゆっくりー」


 そそくさと立ち去った女給は、奥にひっこむなり仲間ときゃあきゃあ騒ぎはじめた。その話題は――聞き耳をたてるまでもない。


「……てめえ」


 アレンは口をぬぐってシグルトをにらみつけた。


「気色悪いことぬかしてんじゃねえ!」

「よし! じゃあやってないんだな!」


 だん、と卓に拳をたたきつけられて、アレンはうっとひるんだ。


「そ……んなことどうだっていいだろ!」

「よくない! いいかクソガキ、おれがこの世で最も嫌いなものは野郎とガキだ。その二つを兼ね備えたてめえに何かされたとあっちゃあ、この先顔あげて生きていけねえんだよ!」

「へえ、だったら墓の中にでも隠居したらどうだ。なんならおれが手ごろな穴掘って埋めてやるぜ」

「口のへらねえガキだな。その軽そうな頭、いますぐかち割ってやろうか?」

「やれるもんならやってみやがれ! てか、さっきからガキってなんだよ。おれはもう十七だぞ!」


 この大陸では、たいていどこの国でも十七歳になれば成人と見なされる。だが、シグルトはアレンの杯を指さしてせせら笑った。


「そんな甘ったるいもん飲んでるようじゃ、まだまだ子どもさ」


 杯の中身は、ここアングレーシア地方一帯の特産品、蜂蜜酒である。その名のとおり蜂蜜を発酵させてつくる甘い酒だ。そのままでもいけるが、さらに数種の香草をつけこんで供するのが一般的で、家庭や店によってさまざまな味や香りのちがいを楽しめる。


「はん」


 馬鹿にされたアレンは、逆に鼻で笑ってやった。


アングレーシア(ここ)に来て蜂蜜酒を頼まないなんて、あんたこそ気はたしかか? それともなにか、年のせいで甘いもんを医者から止められてるとか? そりゃあ可哀想になあ、ジイさん!」

「このガキ……」


 額に青筋を浮かべて立ち上がったシグルトに、やるかとアレンも腕まくりして椅子を蹴る。そこへ、まあまあと周囲の客がなだめにかかった。


「兄ちゃんたち、そのへんにしときなよ」


 店の常連とおぼしき親爺が、シグルトの前に新しい蜂蜜酒の杯をおいた。


「そっちの若い兄ちゃんの言うとおりだぜ、旦那。うちの蜂蜜酒は大陸一の味だ。一杯やってみておくんな。ほれ、兄ちゃんも」


 にこにこしながら親爺はアレンの杯にも金色の液体をそそぐ。


「えっ、いいのかい、親爺さん」

「いいってことよ。あんた、今日はずいぶんと骨を折ってくれたじゃないか」


 んだんだ、とまわりの客もうなずく。


「あんたがあの塔の雑草刈ってくれたんだろ」

「あそこは毎年ヤブ蚊がわいてなあ。おれたちもそろそろ手えつけないとと思ってはいたんだが」


 いやいやとアレンも笑って手をふる。


「おっちゃんたちが刈ったそばから集めてってくれたから、おれも助かったよ」

「なに、あの草も畑の肥やしになるからな」

「よかったら来年もおいでよ、兄ちゃん」


 わきあいあいと語らう常連たちとアレンの横で、シグルトは不機嫌そうな顔で蜂蜜酒をすすった。


「……美味い」


 思わずといったふうにつぶやいたシグルトに、そうだろうと親爺たちは陽気に笑う。一気になごんだ空気のなか、アレンとシグルトはしばらく黙々と酒を飲み、豆の煮こみをつついた。


「……で、やったのかやってないのか、結局どっちなんだよ」

「……あんたさ、魔法で野獣に変えられた王子の話知ってるか。美女がキスしてもとの姿にもどるってやつ」

「ああ? あの、男は顔より金だって話か?」

「どこをどう解釈したらそうなる!?」


 醜い野獣の姿に惑わされることなく、その心を愛した美女。美女の真実の愛により、野獣はめでたく王子の姿にもどる。つまり人間は見た目より中身が大事という話ではなかったか。


「だってよ、その王子、野獣時代も金持ちのままだったんだろ。住まいは豪華な城で、美女にはドレスやら宝石やらを貢ぎまくりときたもんだ。そりゃ永遠の愛も誓うわ」


 真実の愛どこいった。あと、野獣時代て言い方、なんか嫌だ。


「けどまあ、最後は王子の姿にもどるわけだから、結局は金持ちで顔も身分もいい男をつかまえたいってことだな。女の欲望がむきだしになった、いい話じゃないか」

「……あんた、じつは女も嫌いだろ」

「馬鹿いえ。大好きだ」


 シグルトは胸をはった。


「そういう欲張りなところもひっくるめて愛してるんだよ。ま、お子さまにはわからんだろうがな」


 いちいち腹の立つ男である。だが知っているなら話は早いと、アレンは解説を続けることにした。


「つまりだな、おれが言いたいのは、もとは王子なのに魔法で醜い姿に変えられているだけ、という事例があるなら、お姫様が魔法でむさくるしい中年男に変えられているだけ、という可能性も……」

「おいこら、誰がむさくるしい中年だ」


 抗議の声をあげたところで、シグルトははっとしたように口をつぐんだ。


「つまり……?」


 とんでもなく余計な可能性に思いあたってしまった王子は──


「……なあ」


 アレンはこれ以上ないほど暗い目をした。


「あんた、本当に知りたいか?」

「……話題変えるか」

「おう」


 景気の悪い顔をつきあわせる二人のまわりで、酒場の夜はにぎやかに更けていくのだった。



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