第17話 黄金色の追憶
たわわに実った麦穂を風がゆらす。この丘からの景色を、魔術師は気に入っていた。夕陽をあびて輝く一面の麦畑をながめていると、黄金の海を漂っているような心持ちになれる。
「ここにいたのか」
背後でやわらかい声がした。返事のかわりに、魔術師はパイプを口からはずして白い煙の輪を吐いた。
誰が来たのか、ふりむくまでもない。気配であの男だとわかっていた。
「参謀どのが怒っていたぞ。おまえがいないと軍議にならないと」
「知るかよ」
魔術師の隣に腰をおろした男の黒髪を、秋の風がやさしくゆらす。
「なにを拗ねているんだか」
「ふざけたことぬかしてんじゃねえよ。あきれてんだよ、おれは。毎日毎日くっだらねえ軍議なんぞ開きやがって。よくもまあ飽きないもんだ。いくら話したところで結論は同じだろうが」
魔術師は手の中でパイプをくるくると回した。
「おまえらが連中を引きつける。集まったところをおれが焼く。それ以外にやりようがあっか? 要は、おれは言われた場所で連中が来るのを待っていればいいんだろ」
だから軍議になど出る必要はないと主張する魔術師に、黒髪の男は「なんだ」と笑う。
「やっぱり拗ねているんじゃないか」
「あ?」
魔術師がにらみつけた先で、黒い瞳が悪戯っぽい光をたたえていた。
「つまりおまえは、おれたちにあっちへ行けこっちへ行けと指図されるのが気に食わないのだろう。ならばなおのこと、軍議に出て作戦を主導すればいい……と言いたいところだが」
反論しかけた魔術師を、男は片手をあげて制す。
「一度でも出れば、二度と出たくないと思う気持ちはよくわかる。おれとて毎回忍耐の限界を試されている気分だ。とくに今日は危なかったな。もう少しであの欲の塊のような枢機卿に殴りかかるところだった」
「やりゃあいいじゃねえか」
魔術師は喉の奥で低く笑った。
「いっぺんそうやって全員の本音をぶちまけさせりゃいいんだよ。どいつもこいつも上っ面だけはお綺麗にとりつくろいやがって。腹ん中では、どうやったら他人に損を押しつけられるかってことしか考えてねえくせに」
「まったくもってそのとおり」
憂鬱そうに男は同意する。
「いっそおまえの言うように、いいかげんにしろと叫んで円卓をひっくり返してみようかな」
「いいねえ。そんな楽しい軍議なら、ぜひおれも参加させてもらうぜ」
「やっぱりだめだな。おまえがいたら乱闘になる」
「それが目的だろ」
「乱闘で終わらなそうで怖い。さすがに各軍の将が全員焼死体になるのはまずいだろう」
そんなことはしない、とは保証できない魔術師は黙ってパイプをくわえた。にわかに疲れを覚えたように、男は草の上に寝ころんだ。
「……きりがないな」
ため息まじりのつぶやきが、淡い金色の空にとけていく。穏やかで平和な空だ。いまは、まだ。いずれ遠くない先、この空にも無数の火の粉が舞うだろう。せっかく実をつけた麦も、一粒のこらず灰になるに違いない。
せめて刈り入れまで待ってくれと訴えた住民を、なだめすかして避難させたのは昨日のことだ。貴重な食糧を無駄にするのはかなりの痛手だったが、〈まだらの手〉の軍勢が迫っている状況では一刻の猶予も許されなかった。
「やつらの数は増す一方。おまえが炎で弔ってくれてもいっこうに追いつかない。おれたちがくだらない腹のさぐり合いに興じている間に、世界のほころびは広がっていく……」
そこで男は「おい」と魔術師の脇腹を小突いた。
「黙ってないでなんとか言え」
「んだよ、愚痴ってるときは放っておいてほしいって言ってたのはおまえだろ」
「これは愚痴じゃない。解決策を求めているんだ」
「わかりにくいんだよ、おまえはよ」
ぶつくさこぼしつつ、魔術師はこれまでもたびたび口にしていた提案をくりかえす。
「とりえず、おまえ皇帝になって全軍の指揮権にぎっちまえ。したらちっとは動きやすくなんだろ」
「簡単に言ってくれるな」
「簡単だろ。反対するやつはおれが……」
「燃やすな。帝国史に汚点をのこす気か」
過激な魔術師に釘をさしておいて、男はこれまたいつもの回答をよこした。
「おれは皇帝にはならないよ。なりたくないし、そもそも柄じゃないんだ」
なれない、とは言わないところがこの男の食えないところだと魔術師はつねづね思っている。
「おれの故郷はいまでもあの国だからな。この戦いが終わったら、あそこへ帰るんだ」
「あんな貧乏国のどこがいいんだか」
「来ればわかるさ。いまから楽しみだな。おまえを皆に紹介するのが」
「なんでおれが行くって決めてんだよ」
「いいじゃないか」
男は勢いをつけて立ち上がり、魔術師に笑いかけた。
「友人を家に招待するのは当然だろう」
「……美人がいるなら行ってやってもいい」
根負けしたようにつぶやいて、魔術師も腰を上げる。そのままふたりは肩をならべ、野営地から立ちのぼる夕餉の煙のもとへ歩いていった。