ときをかけるカピバラ
―― カピ姫様はボゥ~と星を見ている……
ここはとある日本の東北地方、小さな丘と広がる海、そして満点の星空。
僕の目の前には香箱座りのカピ姫様。見た目はカピバラそのものだが、地球のカピバラではない。とある異世界にある げっ歯類王国の姫である。
その中でも空間と時間を操れる特別な存在のカピ姫様は『弱者救済』が使命とされ、それを何よりも誇りとしている。
そして僕はカピ姫様に仕えることを使命とする者。見た目はただの人間である。
日本で生まれ育ち、最後は何らかの病気で亡くなったというかすかな記憶はあるが、名前も年齢も覚えていない。
数少ない記憶の中で、常に病院のベッドでカピバラの動画を視るのが唯一の楽しみだった気がする。
そしてある日、げっ歯類王国で目覚めた僕はカピ姫様の『補佐役』を任命されたのだった。
「色々な異世界に行きましたが、ここが一番、星が綺麗ですねぇ カピ姫様」
―― カピ姫様は眠そうにしている……
すると突然、カピ姫様が立ち上がる。瞳がランランと輝いていた。
そう、カピ姫様は基本的に二足歩行である。初めて見たときはびっくりした。
「ん? どうされました? あぁ、例の星が揺れていますね。また誰か無理やり召喚されましたか?」
そう、本人の承諾が無い無理な異世界召喚は星が教えてくれる。
その人物に対して救済を行うのが我々の任務である。
「カピ姫様、では行きましょう。 今、座標を特定しますので」
▽▽▽
―― ダメコリャ王城 召喚の間 ――
「……ここは? わたしは何でこんなところに? あなたたちはいったい?」
私は自分の部屋で普段通り眠ったはずだった。金曜の夜に少しだけビールを飲んで、週末は一日中、寝ているつもりだった。
でも、目の前にはなんだか分からない偉そうな服をきた人達がたくさん並んでいる。
夢ではない。夢であって欲しいけど、残念ながら夢とは思えない。
「ようこそいらっしゃいました、聖女様。ここはダメコリャ王国です」
趣味の悪い派手な衣装のでっぷりしたおじさんが話を始めた。誰が聖女だ!
「……そんな国は知りませんが?」
まさかの異世界転生? うわぁ、すごい迷惑! そういうのは高校生とかにしてあげれば喜ぶ人も結構いるだろうに。
なぜ、私みたいな二十八歳の彼氏どころか友達もいない地味な中小企業OLを連れてくることになった? なんの特技すらないし、運動も苦手だわ!
私の気持ちはおかまいなしに、でっぷりしたおじさんは楽しそうに話を続ける。
誘拐しておいてなにが楽しいのやら。
「ええ、勿論そうでしょう。ここは聖女様からしますと異世界となります。自分は宰相をさせて頂いておる者です そしてあちらにおわすのは我が国の太陽、ダメコリャ国王です」
ふと見ると壇上に一番偉そうな格好をした老人が座っていた。キンキラキンの衣装が馬鹿にしか見えない。一目でダメ王と分かるタイプだ。
「よくぞ参った、聖女よ。我が国で働けること名誉とするがいい」
何を勝手なことを言っているのかと思う。でも、一旦、冷静に話すしかない。私も社会人だし、感情にまかしての討論はうまくいかないのは分かっている。
「いや、私は聖女では無いですし、明後日からは会社に行かなきゃなりませんので、ここにいる訳にはいきません。つうか、普通に誘拐ですよね、これ」
「何が誘拐じゃ! これは正当な召喚だ。お前は聖女として国中に広まった悪素を体に取り込む仕事をするのだ! 大変名誉なことじゃろう」
ますます、勝手なことを言い始める偉そうな馬鹿王。これは話にならない。
「悪素とか意味分からないですし、そもそも何でわたしがやらなきゃいけないんですか!」
すると、宰相だと名乗った人が目の前に来た。どうでもいいけど、眉毛が無いわ。つうか皆も眉毛が無い。そういう文化なのかしら?
「それは宰相である自分からご説明しましょう、聖女様。この国は現在、悪素を呼ばれる邪悪な瘴気が発生しております。これをどうにかしませんと国が亡ぶような事態となります」
そのまま説明が続いた。要するに『聖女が祈って悪素を吸い込め』 『一年間くらいで終わると思うよ、知らんけど』 『やらなきゃ処刑して、別の聖女を呼ぶだけだ』という理不尽極まりない内容だったけど。
私は頭を抱えたくなったけど、念のため確認しておかないと。
「役目が終わったら、わたしは元の世界に戻れるんですか?」
ダメ元で聞いてみた。返す気は無いんだろうなとは思っていたけど。
「申し訳ありませんが、帰る方法はありません。お役目が終わり次第、高位貴族としてのんびりお過ごし頂く予定としております」
絶対、嘘だわ~。終わったら処分する気まんまんだわ。
「……分かりました。納得はしていませんが、別の方が呼ばれるのも悪いので、できるだけやってみます。できるかどうか分かりませんが」
すると、クズな王様が勝ち誇ったようにニヤニヤしていた。あぁ殴りたい。金属バットが転がってないかしら。
私の返答を聞いて眉無し宰相が満足そうに笑いながら、おもむろにアクセサリーみたいなものを手に取った。
「聖女のチョーカーです。こちらを装備ください。より魔力が増大するアイテムです」
うわぁ……。首輪やん! 何か変なアイテムやん! 逃げられなくなるやつやん。
すぐにも逃げ出したかったが、騎士みたいな人に両腕を掴まれ、無理やり装備させられた。
馬鹿王が勝ち誇ったように叫ぶ。
「ハハッ! 罠にかかったな。それは逃走防止の呪具だ! これでもう逃げられないぞ。
逃げだせば爆発する仕組みなのでな。まあ、逃げなくても一年後に爆発するがな」
そんなことだろうとは見た瞬間に分かっていたけどね。せめて馬鹿王を連れて逃げだすか? 道連れにしたいわ。できれば眉無しのでっぷり宰相も。
そんな私の気持ちを知らず、馬鹿王は続ける。
「しかし、余も鬼畜ではない。ネックレスの後ろに余の署名がある。一年間の結果を見て、期限を更新してやろう。せいぜい国のために精進することだな」
署名した馬鹿王しか外せないなどのいらない説明を受けて、細かいことは明日ということになり、私の使用する部屋に案内された。
部屋は私の借りているアパートの五倍くらいは広い。そこにお茶のセットと聖女の衣が用意してあった。
明日には侍女を連れてくるということらしい。今日はドアの外で騎士が護衛すると言って、でっぷり宰相は去っていった。まあ、護衛じゃなくて見張りだろうけど。
やっと一人になった部屋で考えてみた。
何でこうなった? 人生で特に良いことも悪いこともしてない。目立たず、静かに暮したいだけだったのに。
日本には帰れない。一年後にはきっと殺される。言ってみれば死刑囚みたいなものだ。
別にやりたいことがあった訳じゃないけど、こんな終わり方は嫌だなぁ……。
「つまらない人生だったなぁ……」
私がベッドにうつぶせで倒れこみ思わずつぶやくと、そっと頭を撫でられた。
誰かと思い、顔をあげるとそこには二足で立っているカピバラがいた。
「何でここにカピバラが? あなたはどこから入ってきたの?」
訳がわからず、カピバラに話しかけると、後ろから声がかかった。
「こんばんは。星が綺麗な夜ですね。ちなみにそちらはカピ姫様です」
振り返ると男性がいた。なんか日本人っぽい。眉毛もある。
でも、何の回答にもなってないなと思いながらも、質問してみる。
「あの~ あなた達は誰ですか? どこから来たのですか? 何が目的ですか?」
色々聞いちゃったけど、仕方がない。危ない人だったら一年間の命もあったもんじゃない。
でも、意外と自分は冷静に対応できる人間なんだなと新たな一面を発見した気がする。
すると若い感じに見える男性は微笑みながら答えてくれた。
「はい。お答えします。まずは夜分に勝手に女性の部屋に入って申し訳ありません。緊急事態と思いまして急ぎました。お詫びします。ちなみに部屋に結界張りましたので普通に話して大丈夫です」
でっぷり宰相と違い、ホントに優しくて、誠実な雰囲気を感じる。これはじっくり聞かなくては。
「カピ姫様は地球のカピバラではありません。異世界のカピバラです。そして特殊能力により、異世界を自由に移動できます。僕はカピ姫様の補佐役です。まあ、怪しい者です」
自分で怪しいって言っちゃうんだ。と思いながらも更に聞いてみる。
「あなたは日本人ですか?」
「多分、元々はそうだったのかと思います。でも名前も年齢も覚えていないのです。覚えているのは出身が錦糸町だったことくらいです」
名前忘れても、錦糸町を覚えているのはなんでやねん? と関西風のツッコミを心の中でしながらも次の言葉を待つ。
「カピ姫様は本人の希望無く召喚された人を元の世界に返す使命を持っています。あなたも無理に呼ばれたのでしょう。戻るかこちらに残るか確認しにきました」
「帰れるなら帰りたいです。でも、私はもう帰せないと言われました。嘘だったということですか?」
「この世界の人では無理です。カピ姫様なら可能ですよ」
優しく微笑む青年。モテるやろなぁ。
「でも、呪いの首輪みたいの着けられたので、逃げられないです」
涙が出てきた。帰れない残念さではなく、こんな状況でも気を遣ってくれる存在がいたことがありがたかった。一年後に死ぬことになってもひとつだけ良い思い出ができたことをきっと思い出すだろう。
「首輪ってこれですよね? 外しておきましたよ」
「えっ?」って、思わず首を触るもなにも無くなっていた。
「こんなもの僕たちには玩具と同じです。代わりにこの国の王様につけておきます」
それは素晴らしいアイデアです。是非、お願いします。
「この国が亡ぶというのは防げないのですか?」
「それはこの国が対処するべきことで、あなたが気にすることではありません。実際、他国に援助依頼すれば対処できるのですよ。他国からの援助には大金がかかるから安上がりにあなたを召喚しただけです」
都合の良い女扱いかよ!
「あと、私が帰ると別の人が呼ばれるとか……」
「後で、召喚の間とかいう部屋の魔法陣を壊しておきます、召喚玉も割って再生不能にしますからもう大丈夫です」
なんて頼もしい。でも最後にもうひとつ聞きたいことがある。
「私は日本に戻っても、また違う異世界に呼ばれる可能性ありますか? そもそもなんで私が選ばれたのか全然分からなくて?」
「あなたは魔力が大きいのです。まあ、地球では使い道がないですけど」
意外な才能があったみたい。いらないけど。
「それでも心配ならば髪色や髪型を変えてみてはいかがでしょうか? いまどき、女性に髪のことを言うのは良くないですが、予防になりますので」
ハラスメントについて異世界の男性にまでそこまで気を使わせるのもどうかなと思いながらも、なぜに髪色?髪型?
「聖女の条件は魔力量が前提ですが、加えて『長い黒髪』『黒い瞳』『貧乳』が絶対条件となります。」
「最後のはいらなくないですか?」
「でも、巨乳の聖女ってなんかしっくりこないでしょ?」
う~む。なんか納得できない気もするが、今は日本に帰ることを優先しよう。
「それで、どうやって帰るのでしょう?何か儀式みたいなことするのですか?」
自称、怪しい青年は優しく首を横に振りながら
「カピ姫と手を繋げばすぐに帰れますよ。でも、帰ってから夢だと間違えないように記念品を持ち帰ることをお勧めします」
「記念品ですか……。別にいらないですけど」
「宝物庫からなんか持ってきますか? 王冠とか飲み会のネタになりますよ」
どういうネタで使うんだろう? つうか飲み会とか行かないし。
「馬鹿王の王冠なんて死ぬほどいらないです。ではこのお茶セットの小さなティースプーンだけ握っていきます」
「分かりました。ではカピ姫様、ご準備お願いします」
近づいてくるカピバラ…… じゃなくてカピ姫様。そして手を繋ぐ。
「待ってください。私はなにを御礼すればいいのですか? たいしたこともできないのですが」
「なにもいりません。これはカピ姫様の使命なのですから」
「でも……」
「では、地球に戻って困っているカピバラがいたら助けてあげてください」
そんなカピバラは見たことないですけどね。
「はい。準備OKです。目を瞑ってください。目を開けたら日本です。お疲れ様でした」
軽いな。
▽▽▽
―― ダメコリャ王城 王の間 ――
ここは王の私室。悪趣味の装飾品で満ち溢れている。
そして、馬鹿王が力いっぱい叫んでいた。
「なんじゃぁ! なぜ余の首に聖女に着けた呪具が着いておる!」
でっぷり宰相があたふたしている。
「陛下! 落ち着いてください。呪具の署名が読めないのです」
「読めないとはなぜだ? そうじゃ聖女はどこだ? あいつがやったのか!」
そこに騎士が二人飛び込んでくる。
「聖女様が見当たりません。城内くまなく探しましたがどこにもおりません!」
「召喚の間の魔法陣および召喚玉が粉々に破壊されています」
でっぷり宰相はさらにあわてつつ見張りの騎士に確認するも昨晩は聖女の部屋で特におかしなことは無かったと言う。
「宰相! これを外せる者を至急呼ぶのだ!」
「いや、あの、署名した者以外には解除も更新もできないようにしたのは陛下だったかと……」
「ならば署名した者を探せ! 今すぐじゃ!」
「異世界かと思います。多分、聖女様のお力でこのようなことに……」
召喚の間はもう使えない以上、異世界からの再召喚は不可能となり、呪具を外す方法はもう無い。仮にできても聖女が署名した訳でも無い。
「どうにかせい! どうにかするのだぁ!」
…… 一年後、馬鹿王は爆発した。
▽▽▽
―― 日本 私の部屋 ――
朝、目が覚める。夢では無い。証拠に掌にティースプーンがある。
周りを見渡す。うん、私の借りているワンルームだね。
そして、スマホでカレンダーを確認する。日曜だ。
「やはり昨日は異世界にいたのかな。なんだったんだろう」
ベッドの上に正座して考える。突然召喚とかいう儀式に巻き込まれたこと、呪いの首輪を着けられたこと、日本に帰れないと言われたこと、人生をあきらめたこと、そしてカピ姫様に救ってもらったこと。何回も何回も思い出す。
「私の人生って、なにもしてこなかったなあ」
平均的な高校に行き、少しだけ英語が得意だったので大学の英文科に進んだ。その後、中堅企業に新卒で採用され、総務部で無難な仕事をしていた。
趣味もなく、友達もいない。スマホのアドレスは家族と美容院と歯医者さんくらいだ。あとは会社の緊急連絡先か。
「変わろう」
昨日、死んだと思おう。やり直そう。でも、何をすればいいのか分からない。
なにげなくスマホの画像を見る。近所の無料公営動物園で撮った珍しくもない生き物たちばかり。
そう言えば、趣味というほどでもないが、子どものころからテレビで動物番組はよく視てたと思う。
特に動物が好きという訳ではないと思う。でも、動物は私に踏み込んでこない、だから安心していられる。
「私はなんでも深くかかわるのが怖いだけなんだね」
あらためて口に出してみる。そして思い出す。
『困っているカピバラがいたら助けてあげて』
スマホで銀行の残高を確認する。なんの遊びもしてこなかった私はそこそこの預金がある。
会社を辞めて、大学に行きなおす。そして動物保護の仕事をする! そう決めた!
早速、予備校を調べて、オンライン授業の申し込みをする。会社は半年後に退職する段取りを考える。辞表も用意しなきゃ。
そして、まずは美容院に電話しよう。バッサリ切ってショートにしちゃおう。カピ姫の毛並と同じ色合いにしよう。
大学に行きなおした私は動物愛護の団体での仕事を目指す。
人と深い付き合いをするのはいきなりでは無理そう。でも動物相手ならきっと行ける。
翌年に無事、希望の大学に編入でき、卒業後は念願通り海外の世界的な動物愛護団体に就職した私は必死に毎日の業務をこなした。
昔の私を知っている人はいない。もし、いたら別人と思うだろうくらい、積極的な人間になった。
そして、勤務して数年たった頃、ある異変が起きた。
『南米で山火事! 野生のカピバラが街中に溢れる』
上司を説得し、どうしても救助に向かいたいと強く強く志願した。
なんでそんなにと不思議がられながらも承認され、現地に向かった私。
着いた直後はかなりの混乱があったものの、大規模な山火事とならず沈静化した。
しかし、山の植物などは焼け落ちておりカピバラを山に戻しても飢えてしまう。
山の所有者と話し合い、自費でエサとなる植物を植えさせて欲しいとお願いした。
勿論、喜んで承諾してもらい早速、当面のエサと今後のための苗などを山に植える作業を繰り返した。
最初は変わり者が必死にやっているね。くらいの反応だったが、次第に山の所有者や地元の人たちも手伝ってくれて復旧は予想よりかなり早く完了した。
私がエサを置き場に準備し、新しい苗を植えていると常に周りには数十頭のカピバラがいてくれた。
その後も定期的に通っては自費で果物などの植林もした。将来はもっとカピバラが増えてくれると嬉しいな。
たくさんのカピバラに囲まれながらカピ姫様は元気かなといつも思い出す。ついでに怪しい青年のことも。
今もどこかの異世界で困っている人を助けているのかなぁ……。会いたいなぁ。
―― のちに伝わるお話。
彼女の周りには常にたくさんのカピバラが集まっていた。エサが目当てだろうと言っていた者もいるが何も持っていなくてもいつも囲まれていた。
彼女が山に来るとたくさんのカピバラが出迎え、山を去る時はたくさんのカピバラが見送っていた。
晩年、そんな彼女を見て人々は『カピバラ達の聖女』と呼んだ。
尚、彼女のお気に入りの写真はティースプーンをくわえたものだったと言う。
▽▽▽
ここはとある日本の九州地方、無人島の砂浜。そして満点の星空。
「ここは初めてですが、夜風と波音がいいですねぇ カピ姫様」
―― カピ姫様はボゥ~と星を見ている……
完