第一話
──さぁゲームを始めよう…
どこかで声がした。
その声は耳元で囁くように優しく僕の身体を、脳を、そして心を、溶かしていった。
悪魔の甘い囁き…まるでソレを思わせる。
頭の先から足のつま先までを捉え、決して逃がさぬように。そう、そこはまるで楽しくも苦しくもない鳥籠のような…。
不意にそんな感覚が現れるもんだから、どんなに痛くても笑顔を絶やさない顔は、あまりの寒気に歪めてしまうほどだった。
「どうしたの、アリスー??風邪でも引いた?」
「ううん、なんでもないよ」
そして、その感覚がなくなるとまたいつもの何にもない笑顔に戻る。
隣にいるのは姉のグレーテル。金髪というより黄色の腰まである長いストレートの髪は、後ろで綺麗に束ねられている。一般的にはポニーテールというらしい。
顔は整っていて、こんな山奥でなければ男共が沢山群がってくるだろう。母親譲りの吊りあがった目は不機嫌さを思わせる。
僕はアリス。母親譲りでも父親譲りでもない白髪は少しはねている。長さは短く、脇ぐらいまで。顔は幼く、自分で言うのもアレだけど、笑顔がよく似合う。背はそこまで高くなく、姉と並ぶと凹凸がハッキリとする。
「そう??…なら良いけど」
「もう、心配性なんだから…。さ、早く続きを読んでよー」
「はいはい…」
姉の膝へ頭を乗せる。空を見上げる僕は手を頭へ乗せながらも思う。
本のページをめくる音が聞こえるとまた目を閉じる。
「──…目が覚めると、そこはもといた自分の世界でした。…ハイ、おわり」
「んー、また最初から読んでよー。途中で寝ててわすれちゃったぁー」
「って言ってもアリスはこの話覚えてるでしょー??…はぁ、本当にこの話が好きね」
「うん、大好き」
不思議の国のアリスは小さい頃から大好きな読み物だった。
もちろん、自分の名前が書いてあって環境が似てて…ちょっと自分に似ているから。
また姉が話し始める。
とても優しい姉。
僕の我儘とかも聞いてくれるし、一緒に遊んでくれる。
僕はそんな姉が大好きだ。
姉は母親譲りの顔と父親譲りの頭脳。どちらも完璧なのである。
それに比べて僕は、綺麗というよりも可愛いという表現が似合う。頭も特別に良いわけでもない。中間地点なのだ。
「あー!アリス」
「んーなぁに?」
「あ、あ、歩くウサギ…」
「ウサギ??二足歩行で?」
驚愕している姉の視線の先を僕も見る。
確かに、ソレはいる。…いるというよりも、ソレらしきものだった。
ウサギという表現はどうかしてるとは思うが、そう表現できない事もない。
なぜなら、そこにいたのは一応少年なのだから。しかし、少年とは言えど頭から生えているソレはたしかにウサギのものだった。
獣耳。しかもウサギの。
なんという境遇だったのだろう。短い茶髪の髪の毛は7,8歳の子に似合っていた。服はYシャツで赤いネクタイは異様に目立った。ズボンは幼さを見せる茶色のチェックの短パン。
「あー、もう!!こんな時間に呼び出すだなんて、まるでボクが落ちこぼれ見たいじゃないかー…」
はぁ、ため息をついて首にぶら下がった時計…本と一緒の懐中時計。
──面白そう…。
本のアリスだってあんなに楽しがっていたんだ。きっとどれだけ楽しいだろう。
そんな衝動が僕を襲う。
スッ、と立ち上げったのは僕……ではなく隣に座っていた姉だった。
「な…どうしたの」
「追いかけましょう!」
それだけ言うと、座り込んでいる僕の手を思い切りひっぱりウサギ目掛けて走り出した。
そして、なんと…
「こんにちわ、ウサギさん。これから何処へ行く予定なのかしら??」
「不思議の国さ、美しいお嬢さん」
「あら、どうしましょうアリス」
「不思議の国??行きたいんだったら行けば良いじゃん」
「そうじゃなくてね…」
そういうと言いにくそうに顔を背けた。
「く、口説かれちゃった」
あぁ…こんな時、自分達が都会暮らしだったらどんなによかっただろうと思う。
たしかに、都会なら沢山の男共が群がりうるさくなるが、それと同時にいろいろと学べるのである。
しかし、ここは人気のない山奥である。男もいないから、姉は天然というか…純粋なのである。何事にもすぐに信じてしまう。
依存症とまではいかないが姉は僕のことが好きである。一人の女性とかそういう恋愛的な感情ではなく、家族としてだ。前聞いた時なんかは僕を尊敬しているとまで言われた。
そんな姉の言葉まで対処できない僕は、黙ってウサギについていった。
「君達、着いてくる気なの??」
「当然よ」
間髪いれずに即答する姉。
ますます僕たちを不審がっているウサギにニコリと笑顔を向ける。
「こんにちわ。ついていってはダメなのですか?」
「う~ん…ボクもよく分からないけどダメだと思うよ」
「なぜなのかなぁ」
「不思議の国は危険なの。普通の人はあそこには入れない」
「狂ってなくちゃいけないってこと?」
「そう──…ってなんで分かったのかな!?」
「だって僕は「アリスは天才なのよ」
最後の言葉をいう暇もなく姉にさえぎられてしまう。
はぁー、といつものように頭を抱える。
ウサギの少年はすこし考える素振りをした後言った。
「分かった。特別だよ??」
「あら、女王様とやらにお願いしてくれるのね?」
「頑張ってみるよー。ボク、お姉さん達の事気に入ったしー」
いつのまにやら二人で和解していた。
特にウサギの少年はさっきまでの警戒心ほおもいきり解いていた。
ダメだこりゃあ。っていうか行ってもいいんだ…。女王様ってどんだけ優しいんだよ。
「あ、そういえばさっきは何て言おうとしたの?」
「へ??なんかあったっけ」
「私がさえぎった『だって僕は』の後よ」
「あー…」
いらないことまで記憶しているこの卑しい脳めッ!!
姉は大事な事を覚えずにいらないことばかり覚えてるんだろー。
「んーとね、忘れちゃった」
「馬鹿ですね☆」
「ウサギ野朗アリス何が分かるって言うのよ。これも一種の可愛さよ」
ウサギ野朗って…。ダメじゃん。完全に馴染んでるし。
…まあ、いいや。
僕の目の前にはもう少しで新しい扉が開かれるんだから。
さっき、言おうとした事…そんなに簡単に忘れる脳じゃないよ、お姉ちゃん。
だって僕は────…