人間の価値はパスワードにかかっている
拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「このパスワードは、あんた自身が作ったものだな」
確認口調にディスプレイの中で老人は大仰に目を丸くした。
「むろん。無粋な乱数生成プログラムなど使用するものか」
「了解。主旨的に当然だろうが、石橋は叩いて渡る主義なんでな」
「堅実だな。他に質問は?では始めてくれ」
老人は有名な実業家で、億万長者で、――人間価値の探究とやらに耽る、自称哲学者だ。
パスワード解析でAIと人間を競わせるのは、人間の勝利が存在価値の証明になるということらしい。負けたらどうする気だ。
というか単純な記号の順列組み合わせ速度では、人間はコンピュータに敵わない。だから『試行数』という評価基準を決めたってとこがなあ。
酔狂にも、情報セキュリティのクラッキングに見立て、クラッカーが大勢集められた。賞金のためとはいえ、乗る奴らも奴らだ。おれもその一人だが。
必要な物はすべて用意する。その豪語どおり、大抵の衣食住がタダなのはいい。
だが、最も必要なはずの情報は僅か。
パスワードは81桁ある。一般的なキーボードで入力可能な記号しか使われていない。
それ以上は探れということか。
まあ、さっきの発言からして、パスワードはそれだけで意味のある言葉なんだろう。
なら方針は確定だ。
おれのクラッキング方法はちょっと特殊で、暗号の構成要素から生成法則を割り出すのではなく、使う人の人間性ってやつを見る。
この81桁という長さにも理由がある。自己顕示欲ってやつが。
81歳という自分の年齢にかけてあるってことは、パスワード本体も『自分らしさ』ってやつ、一色なはず。
なら、あのじいさんの自己定義はなんだ?
哲学者だ。
哲学者って何について考えてるんだ?
実存か?
理性か?
そんなものを考えてる自分自身か?
自分自身の存在を定義する世界か?
いろいろ考えてはみたものの、どうしても、81桁には足りない。
「いかん、集中力が切れてきたな」
コーヒーのお代わりでもと席を立ったが、派手にこけた。
いっそのこと一眠りした方がいいかもしらん。
コップを捨て、席に戻ってきたおれは、目を疑った。
ディスプレイが派手な祝賀メッセージで埋まっている。なんだこれは。なぜおれが最速解読者になっている?
慌ててログを漁り、おれは笑った。笑うしかなかった。
さっきこけた時に偶然スペースをきっちり81桁分、そしてエンターを押していたとは。
そりゃ偶然や虚無に意味を見いだそうとするのは、確かに人間くらいなものなんだろうが。
『第5回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』に参加しようと考え、最初に思いついた話ですが、書き上げるのがどんどん後回しに。
その間、主人公をライバル視しているクラッカーとか、「オレはもう5年も解析に取り組んでるんだ!」と叫ぶ無精髭男とか、いろいろキャラクターが湧いて出ましたが、1000字という字数制限の前に、片っ端から没になりました。