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true177の短編小説詰め合わせ【5】

演劇の冒頭だと思ってゆるふわ同級生女子に壁ドンしたら、勘違いされたんですけど!?

作者: true177

 今日も、あずま 啓史けいじの日常は放課後から始まった。高校の授業はどうしたって? そんな腐った鯛より使い物にならない廃棄物は忘れてしまった。


 部活動に熱心な男子高校生と箔をつけると見栄えは良くなるが、所詮は文武両道を続けられない部活全振り型学生である。通信簿には、お世辞にも優秀とは言えない数字でびっしり埋め尽くされていた。


「……啓史くん、これ落としたよー。落としたらいけないような物の気がするけど……」

「ありがと、悠月ゆづき。ポケットが軽いと思ったら……」

「スマホはカバンにしまっておいて、って校則に載ってたはずなんだけどね」


 電子機器が勉学の妨げになると言い分も聞かずに断罪していた世は流れ去り、スマホの持ち込みを許可する高校が多くなってきた現代。


 この大波に乗れなかった旧世代サーファーこと啓史たちの通っている高校は、未だスマホ所持の罪で取調室にぶち込まれるのである。


 同級生であり部の仲間でもある西尾にしお 悠月ゆづきからスマホを受け取った。付き合っている彼氏はいないらしい。


 着信画面には、応援しているチームの試合結果がずらりと並んでいた。


「おいおい、何連敗してるんだよ……」


 将来を暗示しているかのような通知には、自然と肩が沈んでしまうと言うものだ。高校受験に失敗しなかっただけビクトリーロードを歩んでいると思い込みたい。


「たまには勝つときもあると思うよ? そんな弱いチームばっかり応援して、何が楽しいの……?」

「悠月には分からないだろうけど、ギャンブル魂って言うのがあるんだよ! 大穴が優勝したら、ドーパミンが洪水になって襲って来るぞ……」


 快楽物質が放出された瞬間をシミュレーションしてみると、弱小チームのファンを辞められたものではない。会場まで応援しに行くことは一切ないが、心の中の分身が遠征しているので良いこととしよう。


 重力に従ってストレートに垂れている長い髪を後ろで括ってある彼女は、啓史を『はいはい』と受け流して小道具の箱を漁り始めた。次の劇の練習時間まであと少しということなので、真っ当な行動だ。スマホで時間を潰す気まんまんの啓史が氾濫因子なのである。


 ……悠月がもっと身近にいたら、きっと休み時間も充実するんだろうな……。


 淡い色の願望が、青空と同化していく。クラス替えというくじ引きゲームの敗者には幻であっても、理想像はそう簡単に変化するものではないのである。


 悠月が幼馴染だったら、人生の壊れたランプがどれほど復旧するだろうか。事実を捻じ曲げてでも、裁判で関係を立証しようと思い立ったことは一度や二度ではない。『幼馴染』は法的に争えないことを知って初めて断念したほどだ。


 無機質な壁を幾枚も隔てて分離された世界に、啓史の居場所は無い。授業で指名されることも野良サッカーに誘われることもなく、毎日を機械的に過ごすだけの空間だ。


 教室に掲げてある『夢と希望を持って未来へ羽ばたこう』という胡散臭いスローガンが達成される日は、少なくとも一年の間は無いだろう。派閥が横行するクラスのどこに希望を見出すのか、武器も手段も与えられなかった一般男子生徒は分からなかった。


「……あれ、私の衣装が無い……。啓史くんが着てるそれじゃないよね……?」

「当たり前だろ。色違うんだしさ……。待て待て、なんで小道具箱に衣装を詰め込んだんだよ?」


 あと一回練習を完遂すれば終わるという、夕暮れの活動室。未使用でない衣装を小道具箱にしまうのは理解に苦しむ。


 丁寧に底へ封じ込めてあったとしても、真夏の湿度に耐えかねた汗のにおいは拭えない。男女関係なく、汗がしみ込んだ服は鼻をつんのめらすのだ。


 慌てて部員全員の服が吊られてある小部屋へとドタバタ駆けていった悠月を尻目に、啓史は次の台本を手に取った。


 台本の表紙をめくったところに主役とヒロインが明記されているのだが、一年の役割はほとんどが脇役。下手をすると、森林に生えている大木を演じる羽目になる。主権国家に似つかわしくなく、役の拒否権は認められていない。


 上級生が多いから仕方側面が強いが、もっと公平に選別をしてもらいたいものだ。


 脇役の欄に目を滑らせた啓史だったが、名前が見つからない。視力はリングの向きを完璧に暗記して最高評価を獲っている。


 配役無しという案件も、ソシャゲで激レアを引くくらいの確率で存在するにはする。その場合、お役御免で定時退社だ。


 ……まだ一年生だし、これは先輩からのねぎらい……?


 厳しく指摘をされてばかりだが、温情も持っていたのだ。有難き幸せ。


 台本を詳しく読み通さずに机へ突き返した時、紫の地雷系衣装を手にした悠月が戻ってきた。街中でこれを着るとナンパ師払いのお守りになる。


「ずいぶん早かったな……。なんで小道具箱に入れたと思ったんだよ……」

「よくよく考えたら、服は小道具じゃなかったね。へへへ……」


 乾いた唇を舐めて、ちょこんと悠月の舌が飛び出した。


 実際に箱へ衣装を投入するという事態は起こっていなかったが、不快になったのは事実。こやつを許せるか……? うん、犯罪以外は許せる。


 風のうわさで流れてきたものによると、悠月が学校内かわいいランキングの上位にランクインしたらしい。投票者が全員男子で総投票数が二十票なので、信憑性には欠ける。


 ……悠月を彼女に持ったヤツは、よっぽど幸せになれそうだな……。


 バカは年を取ると扱いに困ると言われる。個人的考察から言わせてもらうと、そんなことは無い。


 顔だけが突き抜けている馬鹿がそうなるのであって、他にも得意な武器を所持していれば不幸な結末には至らないのだ。仕事が出来る、常に謙虚、雰囲気で癒される……。あ、専業主婦だけはやめてもらっていいですか?


 台本に名前が載っていないと言うことは、今日は用なしだということ。ここに残っていても、悠月の劇を観客として楽しむしかない。


 彼女の劇を楽しもうにも、一年に主役級のキャラクターはほとんど割り当てられない。棒立ちで滑り台役をしている悠月を見て、何を感じればいいのだろう。


 労働基準法に違反して、責任を負わされるのは顧問と先輩の部長。さあ、帰宅だ、帰宅だ。


「……啓史くん、何か用事でもあるの? 『今日は予定空いててヒマだから最後まで元気ハツラツ』とか言ってたけど」


 通学カバンを背負って帰宅準備を整えた啓史に気が付いたか、なあなあ親友こと悠月に腕を引き留められた。


 そこの台本を広げて目に入れれば土下座してくれるのだろうが、そこまで啓史も鬼ではない。迷える子羊を優しく諭してあげようじゃないか!


「台本を見て御覧なさい、迷える子羊の悠月よ。神のお告げが書いてある事でしょう」

「またまた、宗教で寄付金を吸い取る教祖様になっちゃって……」


 バカと賢さが闇鍋になった悠月が台本を手に取り、そしてフリーズした。


 斜め上からチョップすれば、直るだろうか。……いや、セクハラで訴えられたくないからやめとこう。


 声を投げかけても、鋼に変化した身体で弾き飛ばされた。火炎放射器が無いと、心の中心部まで呼びかけが届きそうにない。その前に学校が火事になる。


「あれ、あれ……」

「そんなに驚くことでもないだろ。俺たちはお役御免になったってことだよ」


 未来永劫職に就けなくなった失業者の嘆きが、今の悠月にはマッチしている。退部を命じられたのならその顔も納得できるが、一日限定の首切りでアナフィラキシーショックを起こすとは想定外だった。


 彼女の手が、逃げ場所を求めて震えている。台本に釘で打ち付けられたまま離れず、しきりに目を指でこすっていた。


 一年生に休暇をやるとフライングして、まさか啓史だけがお暇するようになっていたのだろうか。


 ……悠月の名前も載ってなかった気がするんだけど……。


 彼女の苗字名前どころか、『西』『尾』『悠』『月』のいずれかの文字も見かけていない。日本の戸籍から神の手で抹消されたのでなければ、悠月も抜け番に指定されているはずだ。


 魂がその場に取り残された悠月は、ついに台本帳を床へと落としてしまった。残像の軌跡を、彼女の視線が追いかけて行く。


 動画をスローモーションで撮影した記憶は無い。スマホで撮影でもしようものなら、証拠が残って特別指導行きの片道切符を掴まされることになる。途中の駅は存在せず、終点に着くころには丸坊主になっていることだろう。


「何固まってるんだよ、悠月。分かったら、さっさと帰るぞー」

「……これ見て……」


 配役の書かれた紙が、遠慮がちに差し出された。風に揺られて、表紙と配役の反復横跳びをしている。教室の窓が全部しまっているのは確認済みだ。


 悠月の瞳は、大きく見開かれていた。高級ホテルのシャンデリアのように輝いているのは、奥からこみ上げてきた涙で潤っているからであろう。


 啓史がネットから採集してきたネタで笑い転げたこともあった。初演技の木役で枝が折れ、腹を抱えて飛び跳ねられたこともあった。まだ三、四か月しか経っていない中で、悠月の笑顔は何度も目にしてきた。


 今頂点に昇った満月は、一寸の曇りもかからないまん丸。愛想笑いで躍動しない筋肉までもを総動員して、一種の芸術作品が作られている。本人に撮影許可を撮れなさそうなのが玉に瑕だ。


 もう金曜日で、明日は休み。ただただ虚無な授業と休憩時間で疲労困憊だった肉体が、老廃物をそぎ落として復活した感覚がした。


 マイナスを持っていても、それ以上のプラスで打ち消すことが出来る。咲き誇る悠月で、今日一杯は胸に浮かぶ埃の塊も水に流せそうだ。排水溝が詰まって損害賠償請求の紙が投函されるかどうかが、唯一の不安要素である。


 どのような幸福を授かったら、悠月が溶けそうになるほど活き活きとするのだろうか。宝くじの三等以上と天秤で釣り合っているのではなかろうか。


 彼女に促されて、再び台本の配役表を流し読んだ。まさか、脇役一番手に抜擢されてた……? いや、流石にないよな……。

 上から順に読み込んでいくが、保持データと合致する氏名は記載されていない。脇役はもちろん、モブすら役が降られていなかった。


「……幻覚でもみたんじゃない? 金曜日だから、疲れてるんだよ」

「……ここ」


 腹に力を入れた圧力のある声に押されて、指を差された場所に視線が移る。


 息が止まりそうになった。眼球が圧力で飛び出しそうだった。一生働きづくめというブラック企業もびっくりの労働環境とは言え、シフトを抜けてもらっては困るのだが。


『主役:東 啓史 ヒロイン:西尾 悠月』


 昼に食べた定食は、唐揚げだったかカツだったか。脂が逆流して、吐き気をよもおした。選ばれた誇りより、圧倒的にプレッシャーが勝ったのだ。


 口を押さえてうずくまった啓史に、悠月はなりふり構わず寄り添ってきた。


「……大丈夫? とっても体調悪そうだけど……」

「いや、問題は無いんだけど……。まさか、主役になるなんて……」


 一分前は予想だにしなかった未来が、手をこまねいていた。だから将来の可能性は無限大だと揶揄されるのだ、と今更ながら実感した。


 主役に求められるものとして、最大の要素は演技力だ。大根役者のロボット踊りを先輩の前で披露するわけにはいかない。いくらルックスが良くとも、学力が高くとも、コンピュータの棒読みで台詞を音読されてはたまったものではない。


 啓史にその要素が備わっているかは微妙だ。如何せん、まともにしゃべる役を任せてもらったことが無い。主役に抜擢された理由は、無い頭でいくら考えても出てきそうになかった。


 ……もしかして、代役……?


 どの部活も、メンバー全員がフル出場は出来ない。やむを得ない事情で学校を休んでいたり、勉学に集中するため部活を辞退したりすることがある。……この高校で真剣に進路を考えてるやつなんかいなさそうですけどね。


 秋口に行われる記念上映を以て、三年生は引退する。主役とヒロインを一年が務めているとなれば、レギュラーをつかみ取れなかった先輩がどう出てくるか予測できたものではない。大方ピンチヒッターとしての登板だろう。


 頭の頂点から湯気が上がっている悠月には目もくれず、台詞が書かれたページを開いた。軽い雰囲気漂う部活とは言えど、責任は重大だ。


 ……どんな物語なんだろうな……。


 悠月と共演できる、またとない機会。作られた言葉を発するだけでも、彼女と演技が出来るのは部活動の糧になる。


「……そうだ、どんな感じの舞台? ラブストーリーかな、戦闘ものかな……?」

「……えーっと、ご希望の世界観ではなさそう……」


 手書きの腑抜けた書体で『れんあいものがたり!』と銘打ってあるが、その中身は登場人物全員が頭をおかしくしたラブコメであった。ちなみに部長は曲がりなりにも偏差値上位である。……部長、よくこんな台本思いついたな……。


 少なくとも悠月の望んだ、純粋な演技力が試される舞台はセッティングされないようだ。悲報にもめげず、このバカヒロインを貫き通して欲しい。現時点で登場人物と似たり寄ったりな点については擁護出来ない。


 今日演じる範囲の台本を読み終わったところで、ページ下よりに追伸が記されていた。冒頭に付け足したいシーンが最後に添付されているらしい。


 リンゴが空に向かって落ちていくような世界では、何が起こっても警察が呼べない。そのことは承知していたのだが。


 ……これって……。


 書かれてあった内容に、思わず絶句してしまった。単なる思い付きで急遽ねじ込まれたような、後の話と脈絡の無い展開であった。


 悠月は、これを許可するのか。拒否権が無いのだから拒否出来ないのは知っている。


「どーう? 変な箇所あった? おかしいと思うところがあるなら、今すぐに訂正しに行かないと……」

「……台本、必ず最後まで読んで」


 啓史が力を振り絞って出せたのは、その一言だけだった。






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 小道具と役の配置も完了し、メガホンを持っている脚組み監督がうなずいている。部外者が乱入してセットを破壊しようものなら、ブラックリストへと入れられて職員会議の晒し者になるに違いない。


「……そろそろだね。私、どれだけ今日という日を待ち望んでたか……」

「台本確認するまでは気を抜いてたくせに、よく言えるな……」


 悠月が主役を熱烈に欲していたのは事実である。


 源流をたどっていくと、彼女の原点は小学校低学年まで遡る。親に連れていかれたコンサートで、役者が空を飛びまわっていたのが理由だそうな。ワイヤーか何かで吊られているのが真の正体であるが、子供の夢を親は壊さなかったらしい。


「それにしては、今日の台本は簡単だったなぁ……」

「どこがだよ……。スマホで法律について調べて、結構大変だったんだからな……」

「へぇー、侮辱罪とか?」


 決められた通りのことを遂行するだけで罪に問われることは無い。相手の同意がある以上、ある程度のことまでは犯罪と見なされないのだ。


 悠月は、台本そのままのストーリーも平気なのだろう。クラスでポツンと動かない点Pになり切っている啓史と、体育系で賞をとってくる実力の悠月では、肝っ玉の厚さが違うというものである。


「スリー、ツー、ワン」


 時限爆弾のカウントではない。映画監督もどきが、唐突に練習を始めようとしているのだ。台詞の量が膨大だと言うのにカンペを持たせてくれないお上は、新参者の無様な失敗を目に入れたいのだろうか。


 この期に及んでも微笑が残る悠月と対照的に、冷や汗が流れた。演技でこのザマでは、平常で一生できる事は無い。


 ……よく余裕ぶった顔が出来るな……。


 周囲の色に合わせて変化するカメレオンを切り捨てて、何色にも染まらない悠月。タバコやお酒に釣られて人生を棒に振ることは無いだろう。頼もしい限りだ。


 強いて彼女に色付きがあるとするのならば、ほっぺたのピンク色か。


「スタート!」


 戦いの火蓋が、切って落とされた。私情を持ち込んではいけない舞台の上で、レールに乗ったやり取りを行うと断言してしまえばそれまでである。


「……あー、今日もバケツをひっくり返したような青空だねー!」

「……お嬢さん、待ってくださいな」


 悠月と会話が嚙み合わなかった。台本でそう設定されているのではない。おい悠月、あれだけ余裕な顔を見せておいて台詞間違えはないだろ……。


 彼女が冒頭の下りを嫌って無視したのかもしれないが、基本に忠実な悠月のことだ。奇をてらった作戦で敵陣へ突っ込むことはしないはずだ。


 脱線しかけたレールを、ダイナマイトの爆発力で元に戻す。それしか、方法はない。


 啓史は、悠月を壁際に押し込んだ。抜群の運動神経も理外の攻撃を受けては無力だったようで、小高い丘のような胸が衝突してしまった。彼女のウィークポイントは、これだ。


「……!?」


 悠月の顔が、みるみる内に赤く染め上がっていく。染色液に細胞を浸したかのようなスピードだ。赤面する練習など、何処でしてきたのか聞いてみよう。


 胸が触れてしまうアクシデントこそあったが、気にして劇の流れを止めてしまうことは無い。主役とヒロインしか登場しないシーンで、啓史が固まってしまってはいけないのだ。


「……一回、俺と付き合ってみない?」


 繁華街のナンパ師でも、壁ドンしてまで野暮な言葉を吐かないだろう。妄想の酷い男子がかっこいいと支持しているが、そんなことはない。羞恥心で心臓が爆発してしまう。


 ……街中で悠月に出会ったとして、こんな誘い方できるか……?


 狭い場所に押し込まなくとも、同じ部の女子を惹きつけられやしない。悠月に恋愛の話を振られたこともないしな……。


 彼女はきっと、格式の高い将来有望な高級男と結びつくのだろう。結婚式くらい、高校のよしみで正体して欲しい。


 ここからは、一方的に啓史が悠月へ猛アタックをする場面だ。演技抜きで話しかけたら、ちょっとは俺のことに気を向けてくれないかな。


「何でもそろってるぞ、俺の家は。スポンジ、石鹸、洗剤……」


 何が揃っているのやら。一般の家庭にも置いてあるものばかりだ。生存競争にとって何ら好影響を与えていない。


「悠月も好きなんだら、俺の事……」


 おぼろげに浮かんでくる台詞を連ねようとして、空気の供給がストップした。いや、ストップせざるを得なかった。


 ……これじゃあ、俺が告白してるみたいじゃないかよ……。


 ヒロイン役は悠月だが、ヒロインの名前まで同一ではなかった。キャラになり切れていない啓史の大失態である。将軍様の御前で披露していたのなら、即刻伝馬町の牢で死罪になっていることだろう。


 壁ドンしている男の腰が引けていては印象に悪影響が残ってしまうが、もうどうでも良いことだ。責任役の先輩からのカットがかかるまでの辛抱である。早く、カットしてくれー!


 個人の動画投稿者は、編集でミステイクを帳消しにすることが出来る。最近の音声収録も、不許可の部分のみを再集録する技術がある。高校の小規模演劇部に、そのような機能は備え付けられていなかった。生出演だから当たり前である。


「……啓史くん、遊びで言ってないよね? お遊びだったら、死んでも呪うよー……」

「遊びなわけないだろ」


 悠月のジト目が、胸に突き刺さる。カットが確定しているからと言って、追撃するのはやめていただきたい。ガラスでできたノミの心臓が、けいれんを起こしてしまう。


 劇中にアドリブを入れて、ハリセンで叩きのめされていた部員が過去にいたらしい。台本の製作者に全権委任されているこの場所で、遊べるわけが無い。


 監視役が立っている気配に襲われて、つい大声になってしまった。台詞を間違えたことは重々承知してくれているだろうが、後でこの話を持ちネタにされないか不安だ。


「……啓史くんがそこまで思い切ったことをしてくるなんて、驚いちゃったけど……。啓史くんなら、そこまでしてあげてもいいかな……的な?」

「……」

「もう、恥ずかしがらずにそんなこと言うなんて―……。ここ、皆の前だよ?」


 ……名前以外は台本通りなんですけどね……。


 トラウマ大賞を受賞する戦慄の表情は放送事故だったようで、見た人を癒す悠月の腑抜け顔が戻って来た。僕らの悠月が戻って来たんだ!


 獰猛なミス追及野獣と化した同級生に、どう対処するか。今日の晩飯代を搾り取られそうで財布のチャックを確認したくなる。勝手に持ち場を離れられないのが歯がゆい。


 歯車が空回りしていて見るに堪えなかったか、啓史のメンタルが半分削られたところでカットがかかった。


『カットカット! 全然使えないよそれじゃあ……。代役だからしょうがないと言えばしょうがないんだけどさあ……』


 啓史が来週も引き続き主役に入ることは無い。ぎこちない動きになるのが予想出来ているのなら、声を荒げないでくださいな。


「……その、啓史くん……」


 妙に身を縮こまらせて、手のひらをしきりにこする悠月。足元ばかりに目が行っていて、焦点もおぼつかない。インフルエンザの末期症状だろうか。病院に連れていくなら、精神科が適当そうだ。


「なんだよ、そんなにモジモジして……。トイレに行くなら、今の内に行ってこいよー」

「……どうしてそんなに平静でいられるのかな?」

「それは俺のセリフだ。ヒロインと名前を言い間違ったのは謝るけど、台本通りなんだから責めなくてもいいだろ……?」


 マニュアルの手順通り作業をして上司に怒られたとなれば、辞表を額に打ち付けて会社を訴える。それくらい積極的な人材を、国際社会は待っている。世界にはばたけ、俺!


 悠月と付き合うことになった人も、彼女が虎視眈々とボロを狙い打とうとしているのでは夜も寝付けまい。外見だけで人を判断してはいけないいい例だ。中身も良いんだけど。


 啓史なら、悠月の長所短所を全て丸め込める。何かの拍子に付き合えないかなー。いや、悠月が俺に恋してくれるわけないよな。要素も見つからないし。


「……え?」


 素っ頓狂な間抜け声が悠月から飛び出したのは、丁度その時であった。首の関節が固定されていて、悲鳴を上げている。


「……台本、最後まで読めって言ったよな? 冒頭に、最後のページが入ってただろ?」

「……いや、だってあれは啓史くんが私のことを……、ナンデモナイ」


 クイズ番組の早押しポイントを過ぎてしまった。ボタンを押して『ダウト』と叫べば、誰でも一ポイント獲得である。


 悠月はよく、序盤だけ復唱して関係ない後半をスッパリ切り捨てることがある。効率よくキャラに溶け込むのに重要な取捨選択であり、間違いどころか正攻法だ。


 ところが、今回は例外だった。ページ下隅の小文字など、彼女の節穴で捕捉することは出来なかったのだろう。壁ドンへの反応が鈍かったのも、そのためか。


 ……あれ、それって……。


 悠月のやりとりは、全てアドリブ。それも、演技ではない。ゴリ押せば陥落すると思っている同級生に押し倒されて、何事だと頭が真っ白になったはずだ。俺、ただの不審者だ……。


 そんなことは問題でない。部活仲間の少女、悠月の純粋な想いがにじみ出ていたということである。


「……わすれろー! いまのこと、らいしゅうまでにわすれろー!」


 バスケットボールでダンクをしたくても手が届かない、闇雲にジャンプする子供を想起してしまった。目を瞑って両腕を振り回されるよりはマシだ。


 近くて遠く、手を伸ばせば幻に消えてしまう存在だった悠月。自分なんかがつり合うはずないと決めつけていた、悠月。


 ……好きになって、いいのかな……。


 新しく芽生えた気持ちに、まだ戸惑いを感じる。啓史の体内で生まれた赤ちゃんを、状況が飲み込めない免疫装置が攻撃しているのだ。


「……啓史くんなんか、啓史くんなんか……」

「……バラしたのは誰だったかな……?」

「うるさいうるさい! ……今日のところは勘弁してくれないかな……」


 悠月は、気力が天に召されたかのようにうなだれた。毛布を掛けてあげれば、すぐにでも寝息を立てて寝入ってしまいそうだ。


 入部時には、可愛いという小学生の感想しか出てこなかった。気さくに話しかけて来てくれて、他のメンバーや先輩ともコミュニケーションを取れるようになった。悠月に感謝こそあれ、軽蔑や嫉妬の塊を吐き出す訳が無い。


 ……俺のどこを好んでくれたのかは、まだ分からないけど。


 カーテンの隙間から差し込む夕日が、啓史に拓かれた新しい未来を祝福していた。

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