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追憶の日記  作者: ふ。
プロローグ 【街の便利屋】
7/7

6

 静寂の中、心臓の音がうるさいくらいに響く。

 痺れを切らし、ゆっくりと瞼を開ける。しかし、そこは天国でも地獄でもなく、元居た森であった。

 夢でも見ていたのであろうかと地面へ向けていた視線を上げてギョッとする。ウェアウルフは確かに目の前に存在し、今にも丸太のような腕を振り下ろそうとしている。しかし、まるで時間が止まってしまったかのように固まり、その腕は振り下ろされることなく固定されている。

 もちろん、実際に時が止まっているわけではない。それを証明するように木々は風に揺れ、濡れた鼻はひくひくと小刻みに動いている。


 「お、いたいた。」


 森の奥から声が聞こえた。まるでピクニックに来たように今にも鼻歌でも歌い出しそうに思える声色であった。


 「いやー、マザーに頼まれて探しに来たはいいけどさ。迷っちゃって。」


 闇の中から現れたのは、全身を黒で装った男であった。まるで闇を纏うようなその姿は暗がりに溶け込んでおり、真っ白な肌と髪だけが亡霊のように浮かんで見えた。

 男はこちらへ歩み寄り、うずくまるジュードを一瞥した後、ミトの足の傷を見る。


 「がんばったな。痛かっただろ。もっと夜目が効くやつがいるんだけど生憎ちょっと出先でね。」


 懐から小瓶を取り出して中身を傷口へとかける。淡く発光したその液体は患部へと一滴残らず吸い込まれ、たちまち傷口を塞いでいく。

 傷口が塞がったのを確認すると、男はジュードのこめかみに指を当てる。数秒ほど経った頃だろうか。血の気の失せた顔に血色が戻り、呼吸も深くなる。


 「うっ…。」


 「ジュード!よかった…。」


 「少しは楽になったでしょ。頭痛はしばらく続くから我慢してな。」


 鈍い痛みが頭に走り、顔を顰める。霞む視界に映るのは今にも泣き出しそうなミトといつか孤児院で見かけた男----クラインであった。


 「さて、じゃあいい子にできた君はもう帰っていいよ。」


 その言葉に初めてジュードは目の前にいるウェアウルフに気づく。存在を勘づけないほど石のように固まっていたウェアウルフはクラインの言葉を聞くとすぐさま踵を返し、森の奥深くへと消えていった。


 「これで不良少年に不良少女を無事届ければ一件落着だな。」


 クラインは懐からタバコを一本取り出して、火をつける。

 未だ回り切らない頭でも自分達が助かったことは理解できた。先ほどまでの命のやり取りを思い出し、安堵のため息が漏れる。


 「ちょっと待ってください。」


 森の出口へと向かいかけたクラインをミトが呼び止める。


 「どうした?まだ足が痛む?」


 「いや、あの、その…。」


 クラインの使った薬はポーションと呼ばれる回復薬の中でもかなりグレードが高いものであり、痛みもかなり緩和してくれる代物である。あの程度の傷であれば歩行に支障をきたすほどの痛みは残らないはずだ。

 言いにくそうにもじもじとしていたミトだが、意を決したように口を開く。


 「この森に満月草がいっぱい咲いている場所があるんです。そこに連れて行ってくれませんか。」


 ジュードは思わず困惑してしまう。もう散々な目に遭ったのだ。正直、そんなものより早く孤児院に帰りたい気持ちが先行していた。


 「いいよ。」


 「もちろん、ダメなことだとはわかってます。でも私ほんとうに…、え?」


 あまりにも軽い返事に思わず変な声が出る。

 目をまんまるに見開くミトにクラインは思わず吹き出す。


 「場所も遠くないし。」


 吸いかけの煙草を一気に吸い付くし、煙を吐き出す。呆然と立つミトと横たわるジュードを脇に抱える。


 「----それに夜の森ってわくわくするじゃん。」

 

 次の瞬間、重力に襲われる。何が起こったのかはすぐに理解できた。クラインはしゃがみ込むと上へと跳んだのだ。


 「っ!!」


 「ほら!目を開けろよ!」


 "跳んだ"というよりは"飛んだ"と言う方が近いだろうか。顔に吹き付ける風に目を開くのは容易ではなかったが、二人はクラインの言葉になんとか瞼を持ち上げる。

 耳を打つ風の音が遠くに聞こえる。青みを帯びた雄渾な月は息を飲むような美しさであった。

 目に吹き付ける風のせいであろうか、それとも魔力酔いの影響であろうか、月が霞んで見える。


 それが頬を横に伝う自身の涙のせいだとジュードは気づかなかった。


 上へと向かっていた力のベクトルが弱くなる。それは至極当然のことでクラインは決して"飛んだ"わけではなく、"跳んだ"だけなのだ。やがて浮遊感はなくなり、重力によりものすごい速度で地面へ急降下する。声にならない悲鳴をあげる二人とは対照的にクラインはまるで羽根が地面に落ちるように衝撃も音もなく着地する。


 「ちょ、跳ぶなら跳ぶと言ってくれよ!」


 「ほんとに!死ぬかと思ったじゃない!」


 涙を浮かべながら抗議をする二人にやれやれとクラインは肩をすくめる。


 「歩いていくの時間かかるしこっちの方が早いじゃん。」


 「だからって----。」


 飄々とした態度に腹が立ったが、憤りはすぐに消え去る。

 降り立った際の風圧で青白い花びらが周りを舞う。幻想的な風景に目を奪われ、思わず怒りも言葉もどこかへと失せてしまったのだ。


 「ちょっと周りを見てくるからゆっくりしなよ。けどあんまり長居はできないからな。」


 クラインはそう言うと森の暗がりへと消えていった。


 「すごく綺麗。」


 しばしの沈黙の後、ミトはそう漏らした。ジュードも賛成と言わんばかりに黙って頷く。

 青白く輝くそれは月が帯びる魔力によるもので、年に一度、十六夜の晩にこの地上に大量に降り注ぐ。その魔力を浴びて満月草は美しく光り輝くのである。

 しかし、その魔力を浴び、発光した花は月が欠け始めると途端に枯れてしまう。その一瞬の儚い美しさから遠方より何度も訪れる者もいるくらいである。


 空を舞う花びらも落ち着いた頃。ふと、ジュードはある疑問を思い出す。


 「なあ、なんで抜け出してまでこれを見たかったんだ?」


 綺麗な光景であるが、今年だけ無理に抜け出す必要はないはずである。特にミトのことであれば尚更、そういった考えには至らないのではとずっと不思議に思っていたのだ。


 「実は私、もうそろそろ孤児院を出て全寮制の王都の魔法学園に行くの。」


 ミトは目の前の花弁を優しく撫で付ける。


 「お母さんは私が産まれてすぐ流行病で死んでしまってそれからは親子二人で暮らしててね。全く気遣いができないし、すぐ怒るし、お仕事でいつも家にいないし。そのくせすごく厳しくて嫌いになることもあったわ。」


 つらつらと語る瞳が揺らぐ。


 「一度、お母さんがいないことで揶揄われたことがあったの。ものすごく悔しくて帰って泣いてたらたまたま仕事終わりのお父さんに出くわしちゃってね。」


 どうしたんだ。と何気ないふうに声をかける父に対して、ミトは激昂した気持ちを言葉も選ばずにそのままぶつけたという。それを受けて父親は驚いたような表情を見せたが、何も言わずにその日は終わったらしい。


 「次の日、お仕事を休んでここへ連れてきてくれたの。まさか、こんな素敵なところ知ってるなんて思わなくてすごく驚いたわ。」


 どうやらこの場所に特別な思い入れがあるらしく、どうしても連れてきたかったらしい。しばらく無言の時間が続いたが、少しずつお母さんとの思い出を語ってくれたらしい。出会い、些細なことで喧嘩した日。仕事で大怪我をして一晩中泣かれた日。そして、ミトが産まれた日のこと。


 「細かいことまで覚えててね。それを聞いた瞬間、どれだけ自分を、お母さんを愛していたかってことに気づいたの。『ミトとも新しい関係をここから築きたい。』なんて言ってさ。お父さんは言わなかったけどたぶんここがお母さんにプロポーズした場所だと思うの。」


 自身の愚かさからくる自己嫌悪と溢れる思いから泣きじゃくるミトの肩を優しく抱き寄せたという。幸せな内容とは裏腹に語るミトの目には複雑な感情が泳いでいた。

 その5年後、当時話題になっていた殺人鬼により殺されたのだ。

 突然の訃報にしばらく呆然とする日々が続いた。近場に親戚もいないミトは程なくして父親と親交のあったマザーの孤児院に引き取られた。涙も出ず、食事もほとんど喉を通らず、憔悴するミトを見兼ねてマザーが連れ出した場所は偶然にもこの場所であった。

 あの日と変わらない満開の白い花を見た瞬間、あらゆる感情が溢れ出した。濁流の如く絶えず湧き出る感情の中でミトはある決心をする。


 「騎士団に入団して、お父さんを殺したやつを見つけて罪を償わせてやるの。そのために大変だったけどたくさん勉強して、ようやく夢の一歩を踏み出せる。そんな新しい一歩を踏み出す前なんだから楽しい思い出も欲しいじゃない?」


 いつも見慣れているはずの笑顔が急に眩しく感じる。ジュードはなんだか恥ずかしくなり、思わず目を逸らす。


 「あ、今クサいこと言ったって思ったでしょ。」


 「お、思ってないし。ほら、もう行こうぜ。」


 「ねぇ、ジュード。」


 なんだよ、と振り返るジュード。そこには優しく微笑むミトがいる。


 「ありがとう。」


 胸から湧き上がる感情を悟られないようにジュードは踵を返し、タバコを燻らすクラインの元へと向かう。顔の輪郭を撫でる夜風を一層感じながら少年少女は重たい身体を引きずる。


 激動とも言える夜がようやく終わった。

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