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窓の外の景色から時刻は夕暮れらしかった。
酷く頭が痛い。体をほぐそうと伸びをする。浅い眠りを繰り返していた頭が徐々に覚醒してくると、何やらシスターたちが騒がしくしている事に気がつく。どうやら眠りから呼び起こされた原因はこれらしかった。
「--どこに--」
「いままで---どうして---」
途切れ途切れ聞こえる単語から察するにどうやら院内の誰かが門限になっても戻ってきていないらしい。時計を見ると確かに、門限の時間を30分も過ぎている。多少の遅れは許してくれる孤児院であるがこの時間は許容の範囲外らしい。人騒がせなやつも居たものだと乾いた喉を水で潤す。
「どうしてミトが----どこにも----」
思わずむせかえりそうになる。聞き間違えでなければどうやらミトが門限を破り、どこかしらで道草を食っているようだ。馬鹿がつくほどの真面目人間のミトが連絡もなく門限を破るはずがなく、何かトラブルがあったと考えるのが普通である。慌ただしく走り回る振動がそれを物語っている。
ベットから降り、部屋を出ると目の前をシスターたちが忙しなく行き来している。何事かと尋ねたいが、中々捕まらない。
「あれ、ジュードじゃん。もう体調大丈夫なの?」
振り返るとそこには"コーネル"が立っていた。孤児の中でも最年長で部屋長をまとめるリーダーの役割もしている。感情の起伏は顔に現れないタイプのようだが、皆から慕われているところを見ると、単に表情が乏しいだけなのかもしれない。
「あの、この騒ぎは?」
「ああ、これ?ミトが外に出たっきりまだ戻ってきてないらしいんだよ。今までそんなことなかったからみんな大騒ぎさ。」
四角いメガネのブリッジを中指で押し上げ、眉を顰める。予想通りの内容ではあったが、だからこそ腑に落ちない部分もある。
規律を重んじる性格は何も部屋長という立場から生まれたものではなく、騎士団出身の厳格な父親から叩き込まれたが故の性根だからである。何か心の葛藤が生まれる隙も暇もなく、決められたルールがあればそこを優先する。そう言う人間であったはず。
「自警団にも届けは出してるから次期に見つかるとは思うけど心配だよな。ジュードも元気になったからってあまりはしゃぎすぎるなよ。」
肩をぽんっと叩くとコーネルは行ってしまった。その背中を見送り、ジュードも歩き出す。
今朝の様子を思い返すもいつもと違ったところはないように思えた。心当たり----といえばあるにはあるが、そんな馬鹿げたことをするはずもない。そうまでしてする必要性を感じない事柄だ。この10パーセントにも満たない可能性を話すことで引っ掻き回してしまっては元も子もないことになる。しかし、どうしても、どう考えてもそこに行き着いてしまう。
「どうするんだよ!」
「仕方ないだろ!」
言い争う声にぴたりと足を止める。
掃除用具や遊び道具を置いている物置から何やら声が聞こえる。言い争っているようだが、内容まではわからなかった。ゆっくりと近づき、扉に耳を押し当てる。
「大丈夫だよ。ちょっと危ない目にあったらすぐ帰ってくるって!」
「でもミトが怪我したらおれらもタダじゃ済まないっすよ…。」
くぐもっていた声がクリアになり、はっきりと聞こえる。中にいる人物がテミスだと分かり、思わず心臓の鼓動が早くなる。もう一人はテミスとよくつるんでいる"ポー"のようで、どうやらこの騒動の鍵となることを知っているらしい。
引き戸の取手に手をかける。しかし、スライドさせるのを拒むように手が動かない。一瞬、ほんの一瞬躊躇をしたが、手をかけた方の手首を逆の手で握り込むとグッと目を瞑り、力任せに扉をスライドさせる。
「っ!?なんだよ。お前か。」
大きな音を立てて開く扉にテミスは肩が跳ね上がるも、そこに立つジュードを見て薄ら笑いを浮かべる。
「何を話してた?ミトが帰らない理由を知っているのか?」
「ふん。知ってたらなんだよ。お前には関係ないだろ。」
普段とは違う様子に多少気圧されたようだが、詰め寄るジュードの肩を押しのける。
「それに親を見殺しにするような腰抜けに教えたところでどうにもなるまい。」
五感が過去へと意識を誘う。---炎の熱さ、悲鳴、焦げた肉の匂い、そして降り注ぐ血の雨。
魔物から身を挺して守ってくれた父様、母様、使用人のマーク、ベラ----。込み上げてくる吐き気にぐるぐると目がまわる。
ぐっと拳を握り締める。
そしてそのままそれをテミスの顔面へと叩きつけた。
鼻筋に炸裂した衝撃にテミスは思わず尻餅をつく。鼻から温かい何かが流れ出るのを感じて手をやると、そこには鼻血がべったりと付いていた。
「これでおあいこだな。」
虚をつかれた表情から一変、大量の鼻血に困惑と不安が入り混じった表情となる。お構いなしに襟ぐりを掴み顔を寄せる。
「時間がないんだ。早く話してくれ。」
いつになく真剣な面持ちがダメ押しとなり、文字通り鼻っ柱を折られたテミスは涙目で話し始めた。
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「この時期の森には魔物を沈静化させる植物があるから大丈夫?」
魔物の住み着いた森には出入り禁止とされているが、実のところこの時期だけに生息する植物から出される特殊なフェロモンで魔物は嘘みたいに落ち着き、危害を加えることがない、そんな嘘をミトに吹き込んだらしい。
「ぼ、ぼくもほんとに信じると思わなかったんだ。どうしても今日満月草を見に行きたい様子だったからからかうつもりで…。」
真面目でバカなミトはテミスから聞いた話を鵜呑みにし、話を聞くと外出許可を取り、森へと向かったらしい。とんぼ返りと想定すれば往復で2時間かからないくらいなので確かに門限には間に合う時間である。
つまり戻れなかったと言うことはやはり何らかのトラブルがあったとみて違いなかった。
「このことを二人はシスターたちに伝えてくれ。」
力なく頷くテミスの襟ぐりを離し、立ち上がる。
「お、お前はどうするんだよ。」
傍観していたポーがテミスに駆け寄りながら問いかける。
ジュードは深呼吸をする。
その目には先ほどまでの迷いや、恐怖はない。
「友達に何かあったらさ。目覚めが悪くなるだろ。」
ジュードはこの街に来て一番の笑みを浮かべ、決意の拳をさらに強く握った。