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仄かに光る街灯も消え、活気付いてくる頃、顔にかかる陽光に思わず顔を顰める。
どうやら本を読んでいてそのまま寝てしまったらしい。"ジュード"は開いた本に思わずシミが出来ていないかを確認する。
昨夜、遅くまで読んでいた本を傍にあくびを噛み殺す。開いた窓からの風は心地よく、本を読んでいる時間と、この朝の時間だけが心が安らぐひと時であった。
その安息の時間も束の間、騒がしい足音が聞こえ、引き戸が壊れんばかりの勢いで叩き開けられる。
「こら!いつまで寝てるのよ!」
猫のように鋭い目を爛々とし、その少女----"ミト"は叫ぶ。寝起きに爆弾を喰らったジュードは頭を抱える。
「寝起きなんだよ…。勘弁してくれ…。」
「うるさい。あんたが来ないとお祈りが始まらないのよ。」
ジュードがこの街、アクアラインの孤児院に来てもう一週間程が経つ。元々はこの街の出身ではなく、西へ少し行った先にあった小さな村の領主の元に産まれた一人息子である。高齢での待望の第一子、それも男児ということもあって大切に育てられていた。
しかし、そんな幸せも突如として奪われる。
魔物の群れの移動の道中に運悪く位置した村が襲われてしまったのだ。備えがなかったわけではないが、小さな村故に大した兵力もなく瞬く間に壊滅してしまった。魔物に襲われジュードの両親は死亡。運良く生き残ったジュードは領主と元々親交のあったマザーが引き取ったのだが、未だ孤児院のメンバーとは馴染もうとせずにずっとこの調子である。部屋長のミトも手を焼いている様子で朝から怒声が鳴り響くのが定番となりつつあった。
「だからおれ抜きでやっていいって言ってるだろ。お祈りだなんだか知らないけど----」
「いいから行くの!連れてこなくて怒られるのは私なんだから!」
首根っこを掴まれずるずると引き摺られる。ようやく観念し、重い足取りで礼拝堂へと向かう。
神様など信じていないジュードにとってお祈りだとか神の教えなどより本を読む時間のほうが有意義であったが、こうなるとミトはテコでも動かないのだ。共に過ごした時間は短いが、そのことは身に染みて理解していた。
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いつものように礼拝を聞き流し食事を取り終え、軽い足取りで帰路に着く。その姿を見たミトから盛大なため息が聞こえる。
「礼拝中ずっと寝てるし、終わったら一目散に朝ごはんに向かうし、本当呆れたわ。」
ミトの小言に肩をすくめる。興味のないことには集中できないタチなのだから仕方がないだろ、と言葉にはしなかった。何やらぶつくさと聞こえてくるが右から左へ受け流す。壊れたラジオと一緒で、まともに聞けたものではなかった。
礼拝堂から孤児の過ごす建物と繋がる大きな渡り廊下を歩いている最中であった。
建物の真ん中は吹き抜けになって、庭園となって眼下に広がっている。この時期、色は少ないがいつも綺麗に手入れをされており、季節の花が色とりどりに花を咲かせる。
「シスタークレアだわ。」
その一言に足を止める。
庭園の手入れは当番制で所属するシスターによって管理されている。シスタークレアと呼ばれたその女性も例外ではないが、今は手を止めて談笑しているようだった。
陽光に照らされる美しい顔には思わず見惚れる者も多いであろう。時折、手を口に当てて微笑む姿に綺麗よね、とミトが口から言葉を漏らす。しかし、そんなミトを他所にジュードは隣に立つ異様な男の方に目を奪われていた。
真っ白な頭に青白い肌。おおよそ血が通っているとは思えない肌に線の細さも相待って病的な印象を受ける。髪の毛とは対照的に着ている服は真っ黒でまるでカラスのようだと思った。
「隣の人は?」
「ああ、北のとこにある何でも屋さんの人じゃない。確かクラインさんだっけ。」
黒ずくめの男改め、クラインと呼ばれる男。
出で立ちの奇妙さだけではない。その男の纏う泥のような重い雰囲気にえも言われぬ薄気味悪さを感じていた。
「なんでもマザーの古い知り合いらしいわよ。月に一度来てああやってマザーやシスタークレアと話しているの。」
不意に男がこちらへと目を向ける。物陰に隠れる時間もなく、交差する視線。まるで頭を掴まれたように離せずにいると男がふと微笑んだ。
瞬間、背筋を駆け巡る悪寒に思わずヒッ、と声が漏れる。
「急にどうしたのよ。」
「な、なんでもない。」
怪訝そうに見つめるミトを尻目に足早にその場を去る。飲食店でネズミを見てしまったような感覚に思わず口を押さえる。
足元への衝撃に意識が現実へと引き戻される。しかし、時すでに遅しで思い切り顔面を地面へとぶつける。
「ああ、悪い。怪しい奴がいたもんで思わずね。」
聞き覚えのある鼻に付くような物言いに顔を顰める。足をかけてきた少年----テミスは悪気はないような言い草で前髪を掻き上げる。
「怖い顔をして歩いているもんだからさ。ほら、立ちなよ。」
差し伸べられた手は取らずに自身の力で立ち上がり、膝についた埃を払う。テミスはその様子にわざとらしく肩をすくめて見せた。
入園初日に挨拶がなかったのがよほど気に食わなかったらしく、ことあるごとに何かと突っかかってくるのである。何度となく体験した構図にいい加減辟易していた。
「全く、君の心情は察するけど人からの親切を無下にはするものではないよ。」
「そいつはどうも。」
すれ違いざまにわざと肩を当ててやると、テミスは眉を顰め、鼻を鳴らす。
「辺境の地とは言え家族の端くれだから声をかけてやったのに。やはり親族を囮に我先に逃げ出す蛮族とは分かり合えないようだ。」
背中越しに浴びせられた言葉に足が止まる。グッと拳を握り込みこそしたが、ジュードは重い足を引きずるようにその場を後にした。ミトが追いかけてくるのがわかる。何かを言っているようだが全く頭には入らなかった。
その日の夜、夢を見た。
血塗れの床。次々積まれていく肉の塊。
断末魔さえ飲み込む深い夜。
こびり付いた記憶は自分を戒めるようにあの夜を繰り返した。