凌久は見た
本編25話「お嬢様、許しを請う」の凌久から見た二人。
初めて久遠さんがうちに来た日。
怯えて躊躇する姉に、無理矢理久遠さんと二人できちんと話すよう諭した。
「俺、隣の部屋行ってるから。二人でちゃんと話せよ」
そうは言ったけど、見ないよ、とは言ってない。
そりゃあさ、盗み聞きはよくないと思うよ?
でもさ、気になるだろ?
襖を気づかれないくらいそぅっと細く開けた。
隣の部屋にいた二人は何やら日本語ではない言葉で話している。
英語……、だとは思うんだけど。早すぎてよく聞き取れない。
知らない単語も多すぎるし。
――もしかして、ヴァイオレットの国の言葉、なのかな……?
俺は正直、姉ちゃんに前世の記憶がある、なんて半信半疑だったのかもしれない。信じる、とは決めたけど、どこかで物語の中のことみたいに思っていたのかもしれない。
それが、姉ちゃん以外に、本当に前世の記憶を持つ人が現れて、実際に俺にわからない言葉で話している。物語が急に現実味を帯びてきて、逆に不思議な気持ちにさえなった。
「……あっ……!」
思わず俺は声を漏らしそうになって口元を押さえた。
盗み見ていると、久遠さんが急に姉ちゃんを抱き……っ、抱きしめたのだ!
「あわわわわ……!」
姉のラブシーンを見せられる弟の気持ちになれよ……!
あ、いや、盗み見てんのはこっちなんだけど……!
何やら抱きしめながらさらに久遠さんが話している。
すると姉ちゃんも、おお、だ、抱きしめ返した……!?
久遠さんの頭をよしよししている。
しばらくすると、久遠さんが体を離して、姉ちゃんの手を取りキスした。
姉ちゃんはそれを嫌がることなく受け入れて、穏やかに微笑んでいる。
――カップル成立の瞬間を見てしまった……。
それは弟としては複雑な気持ちだったけど、同時に安心でもあった。
ひとりきりで知らない場所で生活していかなくちゃならない姉ちゃんをずっとはらはらして心配していたから。学校に行ってる間、俺は助けてやれないから。
でも、久遠さんみたいな、姉ちゃんの前世に詳しい人がそばにいてくれるなら。
それは弟としては、やっぱりどこか肩の荷が下ろされたみたいな安堵感があったのだ。
――よろしく頼むぜ、兄さん……!
とか、思ってたんだけど。
なんかさあ、姉ちゃんにまったく恋してる人特有の甘さ、みたいなものを感じないんだよなあ……。
「凌久、おかずいらないなら、私、食べるわよ?」
「食べるよ……!」
久遠さんのいる前でも、横から俺のおかずを取ろうとするし。やたら食いしん坊になっちゃって。
にこにこ食べている姿は恋する乙女のそれではない。
しかもさあ、この人たち、平気で手にキスとかいちゃいちゃしてるのに、どうも姉にはドキドキ、のようなものを感じられないのだ。平然と、当然のようにそれを受け入れている。当たり前の挨拶、みたいな。
なんか、さ。こう、手を触れてドキドキ、とか、キスされてぽうっとする、みたいな、少女漫画的なのないの!?
あんなイケメンが尽くしてくれてるのに!?
「ね、ねえ。姉ちゃんと久遠さんは付き合ってるんじゃないの……?」
とうとうある日、姉ちゃんにそう訊いてしまった。
するとあろうことか、姉はぽかんとして俺を不思議そうに見た。
「付き合ってないわよ?」
あれで!?
えぇぇ……。
なんでもない人にキスしたりする!?
「えぇ? だって、あんなの挨拶でしょう?」
これだから西洋圏の人は……っ!
しないって!
日本人はしないの!
ええぇ……、久遠さんはどういうつもりなんだろう。
もしかして、本当にただの挨拶なの?
「ね、ねえ久遠さん。久遠さんって他の人にも手にキス……とかするんですか?」
ある日、どうしても疑問で、久遠さんにも訊いてしまった。
すると、久遠さんはふふっと綺麗に微笑んだ。
「するわけないよ。日本人だよ?」
「で、ですよね……」
じゃあ、うちの姉にだけ特別なの?
「それは、ヴァイオレット様には普通にしてたから」
そ、そうか。
久遠さんにはちゃんと日本人だという自覚もあって、他の人にはやらないんなら、わざとなんだろうか? それともつい、前世の癖が出ちゃってるだけなの?
久遠さんはミステリアスに微笑むだけで、あとは何も教えてくれない。
今日も当然のように手を握ったりし合ってる二人に俺は複雑な気持ちしかない。
……まあ、だんだん慣れてきたけど。
なんにしても、二人が仲良ければまあ、それでいいか。
「うん、美味しい……」
久遠さんからもらったお菓子をほくほくした幸せそうな笑顔で食べている姉には、恋の風情は依然としてない。
……まあ、いいか。幸せそうならそれで。
俺がやきもきするのも馬鹿らしいや。
恋愛ジャンルなのに一向に恋を始めようとしない主人公にセルフつっこみでした!
本編25話はこちら↓
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夜、もう一話番外編を更新予定です。