父、落ち込む
本編26話「お嬢様、作戦を練り直す」で譲と遭遇した日の円華の父の話。
仕事場にて。
「何、あの生ゴミみたいなの?」
峰岸課長が、机の一角を指差してそう訊いた。
「生ゴミ……って、課長。紫野さんですよ」
「いや、それはわかってるけど。何、あれ?」
机に突っ伏して、そこだけどんよりした空気が澱んでいる。
くすくすと周りの職員たちが笑った。
「娘さんを朝、彼氏が迎えに来たそうですよ」
ビクッと紫野航の肩が揺れ、ガバリと起き上がる。
「か、か、カレシじゃないから……っ!」
「彼氏でしょうよー。じゃなきゃ、普通家まで迎えに来ませんって」
課員のひとりがにやにやしながら、指摘する。
紫野航の顔はみるみる青ざめた。
「か、カレシじゃないもん……っ!」
「『ないもん』って、女子高生か。……んー? 娘さんって、今年高校入学したばっかりだよね?」
峰岸は、有給休暇の届を受け取っていたのを思い出して首を捻る。確か、子どもの入学式だと聞いていた。実際に出たのは下の子の中学校の入学式らしいが、その時上の子も高校入学で同日に入学式が重なってしまい、そちらに行けないのが悩ましいとさんざん愚痴られたのを思い出したのだ。
「あ、そうなんですよねー。高校入学三日目にして同級生が迎えに来たらしいですよ」
「おっ、娘さん、やるぅ……!」
「だから、カレシじゃないですって! 紹介されてないし……! うちの娘をそんな尻軽女のように言わないでください……!」
そしてまた突っ伏す。
「ま、彼氏でも尻軽でもなんでもいいけど。あれ、使えるようにしといてよ。忙しいんだからさ」
課員にそう伝えて、峰岸は軽く肩を竦めた。遠くから、ビシッと紫野航が手を挙げる。
「課長ー! 僕、今日、早退します!」
「却下。今日、紫野くんいないと打ち合わせにならないでしょう」
「鬼! 課長の悪魔! パワハラ! 有給休暇の権利を行使させろー!」
「うるさい。緊急事態ならまだしも、たかが娘の彼氏でしょう」
「た、たかが!? 充分、緊急事態ですよ!」
「――じゃあ、よろしくね」
「か、課長ー!」
涙目の紫野航を無情に突き放して、峰岸が部屋を出ていった。
「紫野さん、大丈夫?」
「大丈夫じゃない……けど、仕事する……うぅ、まーどーかー」
課員はみんな、苦笑をかみ殺した。
面倒な案件を含む打ち合わせが無事終了し、昼休みに入ると紫野航は廊下に出ておもむろに携帯電話を取り出した。学生時代からの友人に電話を入れるためだった。
「玲志、聞いてよ……」
数コールで出た電話の相手は電話越しでもわかるくらい、深く溜め息を吐いた。
『いやさ、航。俺、仕事中なんだけど』
「知ってる。でも今なら昼休みだろ?」
『じゃなきゃ、出ないよ。なんだよ?』
「む、娘が……!」
『ど、どうした?』
「い、家に男を連れてきた……!」
『……あ、そう』
「『あ、そう』!? いやいやいや、もっとちゃんと聞いて!」
『彼氏か? まあ、年頃だもんな。相手が問題なわけ?』
「……クリストフォロスの同級生だった……」
『ああ、じゃあ、いいじゃないか』
「よ、よくないよ!」
『どこが?』
世間的には聖クリストフォロス学院の学生は良家の子女とされている。
学校の偏差値も悪くないはずだ。つまり、お買い得、とも言える。
「と、とにかく、どこの誰だって、よくないよ!」
『うぅん? まあ、父親的にはそうなのか……、独身の俺にはわからんけど』
「玲志、頼まれてくれない?」
『何を』
「円華に探りを入れてくれ!」
『は?』
「あれが本当に彼氏なのか、を!!」
『いやだね。自分でやれ』
そのまま、相手はブチリ、と一方的に通話を切った。
無情にツーツー、と響く携帯電話を握りしめて、紫野航はその場にへたりこんだ。
家族の前では物わかりのいい穏やかな父親を演じているが、実情はこんなものだ。そして、周りの誰もとりあってくれないことに悲観しかない。
そこへ食堂に向かうために峰岸が数人の部下と共に通りかかった。
「紫野くん。そこ、邪魔」
冷たく言い放った峰岸に、紫野航がじっとりとした目で見上げる。
「……鬼」
「なんだと?」
「……なんでもないです。すみません……」
立ち上がってとぼとぼ歩き出した背中を見送り、腕組みした峰岸課長は首を傾げる。
「……あれで、仕事はちゃんとこなすから不思議だよね」
「まあ、紫野さんですからねぇ……」
部下たちも、苦笑した。
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