1560年 6月12日 17:30 田楽坪西
1560年 6月12日 17:30 田楽坪西
七人の軍将
二人の英雄が散った田楽坪の西-鳴海道は、今川方の敗残兵や織田方の武者狩りが犇めく桶狭間道や大高道・大高街道に比して人の数も疎らであった。道を過ち迷い込んだ今川兵を哨戒する織田兵が狩り取る位だ。少なくとも鳴海道は織田方の勢力圏と言えた。その更に西-雑木林に囲まれた田楽坪を見渡せる場所に数人の戦支度の者達が潜んでいた。彼らは目の前で繰り広げられる遣り取りを一つも見逃さんとばかりに眼を四方八方に走らせている。思考の中のマルチタスクは常態化し、この時代の人間の誰よりも状況把握に最適化された者達ばかりだった。身の危険な兆候があれば、直ぐ様に排除し、決して油断は怠らない。一種異様な雰囲気を醸し出し、誰も彼らに近づこうとはしなかった。彼らが非常に危険な存在であると兵達は本能的に悟り、迂回した。中には槍に長けた者、武略に長じた者、馬を使えば誰にも負けぬ者-一団の傭兵団にも劣らぬ戦力を有していたのだから当然ともいえる。
結局、織田信長は見つけられなかったようだ。憔悴した池田恒興が去り難い様に何度も大池に振り返る。その池田恒興を柴田勝家が抱える様に守っている。大池での織田信長が捜索が終了し、織田方の主だった武将が去ると、田楽坪は一層侘しさが増した。
「織田信長も死んだか。・・・後に三英傑・東海道一の弓取りと呼ばれた男達がこの世界にはもう居ない。多少、予想とは違う事象も生じたが、予定調和と言うものか。・・・東海道が荒れる。それは日ノ本全体に波及するであろう」
その男は、信長本隊が義元本隊に襲い掛かるまで信長の許にいた天候を読んでいた男だった。あの戦乱の中もいとも簡単に潜り抜け、この地に潜んでいるだけでも、彼が類まれなる能力を持っている事は疑いない。撤退する織田兵を見遣りながら、独語とも周りの者に言い聞かせるとも取れる物言いだった。
眼前の鳴海道から田楽坪に至る場所は水で塞がれ、万が一織田方に見咎められ追手が迂回して追い掛けて来ても十分に逃れられる場所であった。
織田兵が撤退してしまえば、この田楽坪もかつての静けさを取り戻すであろう。男が見下ろす鳴海道にも商人が戻り、民人の営みが再開される。三英傑と東海道一の弓取りと讃えられた男達の死等忘れたかように・・・
「漸く我らの出番と言う事か」
「腕が鳴るのう」
「これだから脳筋は・・・」
「ワシの頭の使いどころ来るの」
「ふん!」
「久し振りの集いと言うに、皆纏まりがない」
見れば、男の背後には6人の男の姿が窺えた。それぞれ風貌も兵装も全く異なる。ある者は日に焼けた肌を晒し、透き通る程の白い肌を持つ者もいた。苛々と足を踏み鳴らす者、穏やかに目を閉じ来るべき刻を待つ者、七人七色と言える。正に日ノ本の各所から集まった様な態である。それぞれが別の方角を見、思いを馳せていた。自らの本願地が別の場所にあると言う事か。その目は日ノ本の隅々に及び、彼らが遠方より此処に来た事を示していた。
夕刻になり、再び大気の状態が不安定になってきたのか、桶狭間には再び雨が降り出す。相変わらず菅笠を被った僧然として男は、微動だにせず、田楽坪を見遣っている。戦場に消えた男達に思いを馳せているかの様に。
夕闇が迫る頃、六人の男は計った様に立ち上がる。
「刻限だぞ」
一人の男が金属製の何かを見て、菅笠を被った僧然として男を促す。それでも男は動かない。
「何をしておる!これ以上は夜盗に襲われるぞ」
先程から苛々と足を踏み鳴らしていた男が声を上げる。六人が旅立ちの支度をし、ゆっくりと西に向かって歩き出す。
菅笠を被った僧然として男は漸く夢から覚めた様にノロノロと立ち上がる。
「・・・ああ」
噛み合わぬ声を上げ、六人の後に続いた。
七人の軍将が去った後には、今も死臭が漂う戦場だけが残った-




