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7人の軍将 -前章譚-  作者: mocha
 6.四雄死す
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1560年 6月12日 15:50 田楽坪・大池・大高道・長福寺

  1560年 6月12日 15:50 田楽坪(でんがくつぼ)・大池・大高(おおだか)道・長福寺

   織田方 500人 織田信長・川尻秀隆・佐々成政・金森長近・林秀貞・池田恒興・森可成(よしなり)・柴田勝家

   今川方 1500人 鵜殿長照・瀬名氏俊



   田楽坪(でんがくつぼ)

   織田信長


 儂は勝利に酔っていた。(今川)義元の首は重臣や名もない雑兵(ぞうひょう)の手に次々と渡っていた。

(無礼講じゃ、酒を浴びる程飲みたいわい)

 酒を余り嗜まぬ儂が、この時ほど酒を欲した事はない。儂は大池近くの大きな岩を見つけ、その上に腰を下ろしていた。足腰が痛み、刀を杖替わりに立てていた。

 しかし、この深い泥は何とかならぬものか。歩き難くて敵わぬわ。前を見遣れば、大池が広がっていた。正確に言えば、大池が氾濫し、池の周辺が水没していた。儂は手足の泥を注ごうと大池に近づいた。喧騒が聞こえた気がした。しかし、(今川)義元は死に、近習・馬廻(うままわり)も全滅した。ただの空耳だろう。



   田楽坪(でんがくつぼ) 

   池田恒興


 漸く自分の番が回って来た。(今川)義元の首は泥に塗れ、余りにも惨めに感じられた。名もなき雑兵(ぞうひょう)から御首(みしるし)を受け取ろうとした時、風切り音を聞いた。反射的に地に伏せていた。近くでどっと音がする。(今川)義元の首を持っていた雑兵(ぞうひょう)が泥の中に倒れた。背を矢が射抜いていた。

(敵の伏兵か?)

 完全に油断していた。風切り音は更に続き、矢が続けざまに射られた。泥に身体を伏し、やり過ごすしかなかった。幾つかの足音が聞こえ、僅かに顔を上げた。すると、今川の決死隊と見られる一団が水没した大池周辺を越え、深い泥を物ともせず、(くだん)雑兵(ぞうひょう)に近づくと(今川)義元の首を攫った。

「おのれっ!」

 立ち上がろうとしたが、敵の矢が飛来し、再び身を伏せるしかなかった。その間にも今川の決死隊は遠ざかって行く。

「小癪なっ!」

 甲高い声が響いた。(織田)信長様が(今川)義元の首を奪い返されたのに気づき、走り出そうとしていた。

 風切り音がした。

義兄あにじゃっ!」

 思わず叫んでいた。乳兄弟であり、自分の母が(織田)信長様の父である(織田)信秀様に後妻として入ったため、義兄弟ともなった。だから二人きりの時は義兄あにじゃ義弟おとうとと呼び合っていた。義兄あにじゃがこちらに振り返った時、その頭部に流れ矢が当たった。それを見た途端、走り出していた。矢を物ともせず、義兄あにじゃを助けようと。

 大きな水飛沫が上がった。義兄あにじゃは大池に落ち、沈み始めた。手を差し伸べようとしたが、義兄あにじゃの身体は見る見るうちに池に沈んでいった。

 池に飛び込もうとした時、後ろから止められた。

「止せっ!」

 いつの間にか(柴田)勝家殿が来ていた。

「ここは底なし池。其方(そなた)も飲まれるぞ」

「離せ!義兄あにじゃを助けるのじゃ!!」

 何度も飛び込もうとするが、(柴田)勝家殿の太い腕に阻まれた。そのうち何人かに引き留められ、泣く泣く大池から離れた。

「何故じゃ!何故こうなった!!」

 大池を恨めし気に見ながら、人前を憚らず声を出して泣き咽んだ。傍らで(柴田)勝家殿が大きく肩を落としていた。



   田楽坪(でんがくつぼ)・大池

   織田信長

 

 大池に沈んで行くのを実感していた。痛みも冷たさも感じなかった。光が徐々に遠ざかっていく。

 儂の頭に何かが過った。

(夢・・・か?)

 (今川)義元を首級を挙げ、清洲城に凱旋する儂。三河国・松平元康との同盟。美濃国の奪取。足利義昭を冠しての上洛。

(足利義昭?知らぬな)

 そして、三好家との抗争。比叡山延暦寺の焼き討ち。甲斐国・武田信玄との三方ヶ原の戦いの敗戦と(武田)信玄の死。将軍・足利義昭の追放。朝倉義景・浅井(あざい)長政の滅亡。長篠の戦いに勝ち、武田家を弱体化させた。一向宗本願寺の降参。甲州征伐、宿敵・武田家の滅亡。儂は中国・四国・越後征伐を準備のために京・本能寺に居ったな。

 最後に、本能寺の変が儂の頭を駆け巡る。敵は明智光秀?知らぬな。

 じゃが、一つ判った事がある。この桶狭間で死ななくても、結局儂の未来は変わらぬと言う事だ。

(フハハ・・・所詮は死ぬるか)

 笑うしかあるまい。深く沈みいく意識の中で、最期の感情は喜悦であった。



   田楽坪(でんがくつぼ)

   瀬名氏俊


 私は御屋形(今川義元)様様の首を胸に掻き抱きながら、近習に引っ張られるようにして、長福寺に撤退していた。

「うわあああっ!」

 人目を憚らず号泣した。

「瀬名(氏俊)様っ、気を確かに!」

 近習が労わる様に私に声を掛けるのが聞こえる。だが、涙が止まらない。

(どうして・・・どうしてこうなった)

 沓掛城(くつかけじょう)に居た時、今川方は戦勝に沸いていたはず。それがどう転んでこの様な仕儀になったのか。何とか桶狭間山から逃げ延びて来た御屋形(今川義元)様の近習の一人に確認したところ、(義元)本陣の名立たる将が揃って討ち死にしたと言う、信じられない内容だった。だが、御屋形(今川義元)様様が桶狭間の南の外れの田楽坪(でんがくつぼ)まで逃げ落ちて来た事を考えれば、妙に符合した。

(ぜ、全滅に近いではないか)

 御屋形(今川義元)様の本陣が織田方に急襲されたとしか考えられない。其処までの過程はともかく、そういう事なのだろう。

 我が隊は長福寺に戻った。御屋形(今川義元)様が死んだとあって、長福寺の住職が慌てて首桶を持って来る。

「そのままでは、ご領主(今川義元)様も可哀そうでございます」

 そう言って首桶を差し出す。丁重に受け取った近習の一人が私を見る。

「瀬名(氏俊)様。住職の申す通り、御屋形(今川義元)様のご冥福をお祈り申し上げねば」

「だが・・・」 

 抱いた首を渡すまいとする。

「御屋形(今川義元)様は瀬名(氏俊)様のだけの御屋形(今川義元)様ではありませぬっ!!」

 近習が強く申す。見れば、長福寺の講堂に集まった全ての兵が首を垂れ、涙を流していた。私の手から力が抜ける。御屋形(今川義元)様への執着が消えて行くのが判った。近習がに首を取り上げると、丁寧に首桶に入れるのを黙って見ていた。

「住職」

 近習が促すと、長福寺の住職が頷き、その場に座り、経を読み上げ始める。境内に居る全ての兵が跪き、手を合わせる。

「瀬名(氏俊)様・・・」

 近習が囁く。

此処(ここ)で瀬名(氏俊)様がしっかりしなくて如何なさる?これから御屋形(今川義元)様の仇討ちもあります。御屋形(今川義元)様の首を持ち帰った者が主役にござりますぞ」

 それは悪魔の囁きの如く私の耳朶(じだ)を打つ。

「仇討ち・・・」

 私は掠れた声で呟く。

「大将の首を持ち帰った者こそ今川家で第一人者になる資格があるのです」

「今川家・・・第一人者」

 私は反芻する様に繰り返す。

「そう、瀬名(氏俊)様こそ、それに相応しい」

「相応しいか・・・」

 その時、その近習が妖しい笑いをしていた事に私は全く気づかなかった。


 瀬名氏俊隊に実しやかにある噂が広まっていた。

「聞いたか?」

「ああ」

 兵卒の二人が密やかに囁き合う。

「我が隊(瀬名氏俊隊)の弓兵が射った将兵の一人があの織田信長だったらしい」

「本当か?」

 別の兵卒が話に入って来る。

「もし本当なら、その弓兵が一番手柄だな」

「しかし、瀬名(氏俊)様の号令による一斉射撃じゃろ?特定出来まい」

「それこそ、我も我もと弓兵全てが名乗りを上げるだろうな」

「では我らも名乗りを上げるか?」

 兵卒の一人が冗談めかして言う。

「なら、弓兵から弓矢でも掻っ攫って来ねばな」

 総大将である今川義元が討たれた事を知っている瀬名氏俊隊は長福寺から沓掛城(くつかけじょう)に撤退を始めていた。御屋形(今川義元)様の首を押し頂いて・・・

 その中で、敵の総大将である織田信長を討ったと言う噂だけが唯一つの光であった。

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